『オイディプス王』は、古代ギリシャのソポクレスによるギリシャ悲劇の最高傑作とされる戯曲だ。紀元前427年頃とされる誕生から数えれば、実に2500年近くもの間、数多くの芸術や学問の光を浴びて、世界に根を張って生き抜いてきた。今回、その永遠不滅の傑作に、古典新訳によって一条の光が加えられた。あらたなスポットを当てたのは、シェイクスピア作品の翻訳などで知られる英文学者の河合祥一郎さん。自身が立ち上げた「Kawai Project」で、新訳・演出を担当して上演活動を続けている人だ。いま、オイディプスを照らして見えてきたものは何か。演劇との関わりと合わせて、話を伺った。
──演劇との関わりはいつ頃から?
河合 大学に入るまで芝居をやったことはなかったんですけれど、東大劇研(東大演劇研究会)に興味があって捜したところ、調べてみると「劇団夢の遊眠社(旧・劇研)」と変わっていました(笑)。
──先生は60年生まれ、そうすると70年代後半のことですか?
河合 そうです。その当時は「夢の遊眠社」なんて聞いたこともなかったものですから、「なんだこれは、なんか危ない感じがするぞ」と思って行かなかった(笑)。で、英語が好きだったし、英語劇でもいいやと思って、代わりにESSのドラマセクションに入ったわけです。そこで先輩の内野
その内野さんが、私が二年生のときに声をかけてくれたんです。「おい河合、利賀村へ行くぞ」とね。なぜならば、内野さんの指導教官だったシェイクスピアやベケットの研究で知られる高橋康也先生が──後に私の義理の父となった人ですけども──当時の早稲田小劇場(現・SCOT=Suzuki Company of Toga)の鈴木忠志さんと仲良しで、鈴木さんから「世界演劇祭*注1をやりたいんだけれども誰か通訳をできる奴はいないか」と相談を受けたからなんです。「タダで使える学生を」と(笑)。
注1 早稲田小劇場(現・SCOT/Suzuki Company of Toga)は、1976年に東京から富山県利賀村に拠点を移し、合掌造りの民家を改造した劇場を利賀山房と名づけて現地での活動を開始した。「国際演劇祭」とは、1982〜1999年に開催された日本で初めての世界演劇祭「利賀フェスティバル」のこと。
それでまず内野さんに声がかかり、後輩の私も連れて行かれ、それからは利賀村に毎夏ずっとこもって、鈴木忠志──忠さんと呼んでいました──の稽古場通訳をやり、海外から来る俳優たちを羽田に迎えに行ったり雑用全般もやって芝居の現場に関わりました。白石加代子さんと現在はブロードウェイのスターとなったトム・ヒューイット氏などが日本語と英語で芝居をするとき、忠さんの日本語のダメ出しを通訳していたわけです。
でも学生でしたから、大学院に行くときにいったん現場を離れました。イギリス留学が終わって帰ってきた頃に、今度は蜷川幸雄さんから、シェイクスピアのシリーズをやっているので委員会に入ってくれと言われて、また芝居に戻ることになったんですが。
面白いのは、私は東大に入学したときに文Ⅲ10組というクラスに入ったんですけど、一年上に宮城
──では、利賀村は初めの頃から?
河合 ええ、初めの頃にはずっといましたね。世界演劇祭が立ち上がる前年(1981年)から、第五回世界演劇祭(1986年)までお手伝いしました。通訳のみならず、夜、芝居がはねたあとお客さんをそれぞれが宿泊する民宿へ車で送る仕事などもやりましたよ。客入れから何から、ともかくこき使われて(笑)。
──いい演劇的青春ですね、それは。
河合 そうそう。「おい、河合、そんな客入れのやり方があるか!」と、忠さんに怒られたりしていました(笑)。
──演出家のダメ出しを通訳するって大変じゃないですか。
河合 とんでもなく大変です。
──気合いを翻訳しないといけない(笑)。
河合 そうですね。あと、そのときの演出家には、忠さんだけじゃなくてロシアから来たヨナス・ヨラサスという演出家がいて、彼は英語で話すんですけど、その通訳もしました。演出家というのは、蜷川さんもそうでしたが、癇癪持ちばかりで、瞬時にパッとやらないと爆発する(笑)。たとえば、ある単語がわからないみたいなことでモソモソやっていると、ヨナスに「何でお前に英語の説明をしなきゃいけないんだ」と怒鳴られたりしました。ともかく緊張の連続でした。
──役者、演出家になろうとしたことは。
河合 利賀村に通っていた頃には、自分でも早稲田小劇場の小さなアトリエを借りて、自作・演出の『サロメ幻想』というお芝居を書いて、友達と一緒にやったことがあったんですけれども、本職の役者さんたちを見ていると、やっぱり役者は大変だなと思いますし、とても真似はできないと思いました。ただ、海外の演出家を含め、忠さんや蜷川さんの稽古場に長いこといると、いろいろ学ぶことがありました。
──すごい勉強になったでしょうね。
河合 ええ。たとえばジョナサン・ケントというイギリスでは五本の指ぐらいに入る演出家が来日して、野村萬斎さん主演の『ハムレット』を演出したときに、私は今度は通訳ではなく翻訳家として初めて稽古場に参加したんですが、『ハムレット』に関しては私なりの解釈がいろいろあったこともあって、ジョナサン・ケントと解釈をめぐって、そこは違うでしょみたいに意見が衝突したんですよ。そしたら彼は、小道具のナイフをグサグサッとテーブルに刺しながら、いや、ここは絶対にこうだみたいな感じになった。後で制作さんから、「河合先生、すみませんけど演出家には何も言わないでください」と言われて、「そうだな、翻訳家がいちいち演出に口を差し挟んでいたら、それは稽古場が成り立たないよな」と納得して、それ以来は一切引くようにしました。それが逆に溜まり溜まって、自分でやるしかないということになったわけです(笑)。
私はほんとに恵まれていて、蜷川さんの稽古場にも長くいたし、ジョナサン・ケントとか、鈴木忠志さんとか、RSC(Royal Shakespeare Company/ロイヤルシェークスピア劇団)芸術監督のグレッグ・ドーランといった人たちの稽古場にもいたので、そういう中で育ってきたという思いがあります。
──最初の時点で、会わずに離れてしまった野田秀樹さんとは、その後どうだったのですか。
河合 野田さんとは、学生時代の私は、ほとんど何もタッチしていないんです。駒場のESSにいた頃は、まだ夢の遊眠社が駒場小劇場で活動していた時代で、たとえば5号館の3階でわれわれが発声練習をしていると、5階から彼らが発声練習しているのが聞こえてくるみたいなことはありましたが。せいぜい、われわれの先輩が野田さんの同期で、「おい、ストップモーションというちょっといい練習方法を遊眠社から盗んできたから、俺たちもやってみようぜ」みたいなことを教えてくれたことがあったくらいで、ほかには全く関係ありませんでした。
夢の遊眠社が初めて紀伊國屋ホールに進出したときには、裏切られたと思いましたね。ずっと駒場小劇場でやっていたのに、メジャーの紀伊國屋ホールへ行っちゃったので、「もう観てやるもんか」と思いました。それまでは、ずっと観ていたんですけど。
──野田秀樹は、初めはアングラ風の暗さがあったけども、その頃に芝居が変わりましたもんね。
河合 そうですね。ところが、面白いことに、大学のクラブ活動としての「夢の遊眠社」の活動顧問が高橋康也先生だったんです。そのつながりだったかどうか覚えてませんが、野田さんが私のことを「河合君」と呼んでくれるようになって、今では昔から知っているかのように扱ってくれています。
吃驚したのは、ロンドンに行っている最中の野田さんから、「キャサリン(女優キャサリン・ハンター)と一緒のワークショップがあるから、能の「
2007年に野田さんに単独インタビューをさせて頂いて、それを『シアターアーツ』という演劇批評誌(国際演劇評論家協会日本センター)に掲載したこともあったり、2009年に野田さんが大英勲章OBEを受章なさったときにお祝いに駆けつけたりとか、いろいろ親しくさせて頂いています。尊敬する先輩です。
──いまは、お忙しいのですか。
河合 ええ。今は、来年(2018年)の9月に、新橋演舞場で上演されるシェイクスピアの『オセロー』の翻訳を手がけています。オセローは中村芝翫さんで、妻のデズデモーナが檀れいさん、部下のイアーゴーに今井翼さんというキャストで、音楽は松任谷正隆さん、演出が蜷川さんのところにいた井上尊晶さん。その台本を急遽上げてくれというので、今やっている最中でして、おかげで頭がすっかり『オセロー』*注2のほうに入っちゃっています(笑)。
でも、韻文ですから『オイディプス王』につながりますし、翻訳する前に原文を確かめなければいけないという、『オイディプス王』をやったときと似たような作業に苦労しています。私が『オセロー』翻訳で苦労しているという話をすると、「河合さんは長年シェイクスピアを研究してきて『オセロー』なんか頭の中に入っているでしょうから、翻訳なんかすぐにできるんじゃないの」みたいなことを言われたりすることがありますけれども、いざ訳すとなると、テクストがどうなっているのか仔細に検討しなければならないんです。
そうすると、アーデン版もオックスフォード版もケンブリッジ版も、微妙に全部違っていたりするわけですね。なぜなら、シェイクスピアの原本には存命中に単行本で出たクォート(四折)版と、死後の1623年に出た全集版のフォリオ(二折)版の二種類があって、こっちの版にはある台詞が、こっちの版にはないといった微妙な違いがあるからなんです。
たとえば、オセローがデズデモーナを殺した直後、外から侍女エミーリアがドンドンドンドンとドアを叩き、"My lord, my lord! What, ho! My lord, my lord!"と言う声が聞こえてくる場面があります。それを聞いたオセローは、「何だ、この声は。まだ死んでないのか。死にきっては?」と言うのですが、これまでの翻訳を読んでいると、外からのエミーリアの声が聞こえたときに、なぜ殺したはずのデズデモーナがまだ生きているとオセローが思うのかよくわからないことに気がつく。これ、実は訳されていない台詞があって、デズデモーナは死ぬ瞬間に"Oh, lord, lord, lord!"と叫びながら死ぬんです。そのlordという同じ言葉が、オセローの耳に再び聞こえてくるわけですね。
──うわあ、それは欠かせないセリフですね。
河合 ええ。なぜそんなことになったかと言うと、これまでの翻訳が使っていたのはフォリオ版だったからです。クォート版にはあったその台詞が、フォリオ版にはないんです。
例外は松岡(和子)さんが訳した『オセロー』(ちくま文庫)でした。松岡さんは、Arden 3と呼ばれる最新の現代版をお使いになっていて、それにはクォート版が使われているわけです。
ですから、『オイディプス王』を訳すときにも、原典を確かめるところから始めました。ところが、いくつもある英語版を見ていくと、版によってセリフの行数が違うことがわかりました。たとえば最初のオイディプスの台詞が13行であったり、14行であったりするんです。これは私にとっては致命的な大問題でした。
シェイクスピアもそうですが、韻文で書かれた台詞は一行一行がある種、楽譜のように、拍数が重要になりますから、行数が違うということは、音楽で言えば小節の数が違うということになるんです。私は、この音はシャープなんじゃないかとか、フラットがついているんじゃないかとか、微妙なところでこだわりたいのに、小節の数が違ったらそもそも曲が違うじゃないかという話になる。で、『オイディプス王』の英語版を見たときには、絶望的な気分になりました。
──英語は、その点はあまり意識しないのでしょうか。それは重訳であったために逆説的に見つかったことなのかもしれませんね。
河合 はい。それで、英語から訳すという、いわゆる重訳は無理だとわかったわけです。ギリシャ語の原文を睨みながら訳すしかない、と。そこで、ギリシャ語の原文に英語で注がついた本を複数見つけて、ようやく訳し始めることができたというわけです。
──演出を補う翻訳というものがあるわけですね。もう一つお聞きしたいのは、ギリシャ劇では、一つの場面に出て来る登場人物は3人を越えないといいます。でも、ト書きによると、初めに予言者を子どもが連れて来る場面などでは、3人以上いる場合もある。これはどういうことなのですか。
河合 台詞を言わない人たちは登場人物に数えないのです。台詞を言わないということは、俳優ではないということです。俳優はもともと「ヒュポクリティス」と呼ばれていて、これは今では「偽善者」という意味で使われますが、元来は「答える人、俳優」であったわけです。そしてその俳優が口にする言葉も、リズムに乗って、ある種朗々と、能狂言のように歌われるものだった。
だから、ある種のリサイタルを聴く感じがあったじゃないかと思います。一方が朗々と歌うと、他方からカウンターで声が戻ってくるような。
──ではコロスとの対話などは、意味の上では普通の会話と変わらないけれども、実際に見たらずいぶん印象が違うのでしょうね。一方は複数のコーラスですし、そのコーラスに向かって仮面をつけた役者が歌うような台詞で応答するわけですから。その面白さが先生の今度の訳で、よりわかったように思います。
河合 有難うございます。ソポクレスがそういう形でコロスを単なるコロスとしてだけではなくて、登場人物としても使ったということが、演劇史的には非常に重要なことだと言われています。それまではコロスはコロス、つまり単なる合唱隊であって、メインのストーリーに対して花を添えるだけのようなところがありましたが。
──確かに普通の会話をしますね。それでいて、観客に向かってヒソヒソと秘密を明かしたりもする。異なる役目がいろいろ重なっていて、観客目線で喋るときもあれば、ナレーションをする場合もある。
河合 そうですよね。だから蜷川さんは、『オイディプス王』もそうですが、ギリシャ悲劇を演出するときには、コロスをものすごく視覚的にグルグル回らせてみたりしています。コロスが存在することによって、たった3人しかいない俳優たちをどう浮き立たせるのか。そこらへんが、上演のときには重要なんだと思いますね。
──役割が前触れもなしに変わっていくところは、古代のものなのに近代的と言うか、あるいはポストモダンと言うか、そんな感じさえ受けました。訳語でもたとえば「理性」という言葉をお使いになっていますが、あれはたぶん日本では明治以降に翻訳で作った近代の言葉で、それが出てきたということはギリシャでは昔から「理性」と訳してもおかしくない観念のようなものがあったんだろうと思いました。
河合 ええ。おそらくそうだったんだと思います。
──で、なんでそう読めたのかなと考えていたら、芝居には劇的な緊張というものが必要じゃないですか。緊張の表し方には、沈黙だったり、意味もない多弁だったり、スピードだったり、それから役者の集中だったりと、いろいろあると思いますが、先生の今回の翻訳には、訳語と訳文、お使いになる語彙や言い回しに新しくはないけれども、古いだけでもないという独特の緊張感があることに気がついた。たとえば「名にし負う」とか。
河合 はい、急に古くなったりしますね(笑)。「舳先をもたげる」とか、「かんばせ」とか、「きざはし」とか、「ふしど」とか。
──ああいった言葉は、普通の翻訳家は使えない、と言うか使いませんよね。
河合 そうですか(笑)。
──使ったら、普通は違和感を感じると思います。なんだこれと、わざとらしささえ感じかねないのに、それがないんですよね。その秘密は何なのでしょう。
河合 シェイクスピアでもそうですが、そもそもある種の韻律に乗っかるということ自体が、一つの枠組として「これはお芝居です」という違う世界へと誘う、メッセージになると思うんですね。だから何らかのリズムに乗っかって、読者がそっちのほうに入り込んでくれさえすれば、その世界の中では、むしろある種の仰々しさや、芝居がかった言葉が感慨を誘うし、劇的緊張にもつながると思うんです。
──普段は、ああいう言葉の選び方は。
河合 あまりしないです。ただ、私は狂言をよく見ています。狂言の世界でも「このあたりの者でござる」というところから始まるいわゆる「ござる語」を使うわけです。そして、普段は使わない言葉がいっぱい出てくる。
たとえば妻が夫を指して言う「こちの人」とか。『ハムレット』の劇中劇で「べちの人」なんていう表現もしましたが、現代人には意味がわからないかもしれませんね。
──知らないことがかえって劇的な緊張を生むことにつながることもありそうですね。いい俳優の力はすごいですから。
河合 そうですね。小劇場であれ、歌舞伎であれ、狂言であれ、ジャンルは問わず、いい俳優がいるかどうかでかなり違ってきます。
あとは解釈です。同じものをやるにしても、いい演出家がついているかどうかで全然違いますし、演出家で違ってくるということは、作品をどこまで理解して、今おっしゃったような劇的緊張感がどこにあって、それをどう表現すべきかということをわかっていることがいかに大切かということだと思うんです。
──『オイディプス王』は、ミステリーで言うと倒叙法、まず大きくネタばらししておいて、その上で仔細がどう展開するかと読ませる面白さがあります。謎の魅力に、形而上学的な興味を被せて読む魅力と言うか。先生の新訳には、そういう二重性がくっきり出ていると感じました。
河合 そうですか。そうであれば、古典であるソポクレスも、新しい翻訳を出す意義がありますね。
──担当させてもらって、オイディプスの表情やイオカステの立ち居振る舞いが見えてくるようでした。ある種の心理戦と言うか、お互いの言葉のやりとりの妙で展開していることがわかりましたし、ただ読みやすいということではなく、ダイナミックに展開する迫力のある戯曲であることがわかった。とてもいい翻訳をいただいたと思っています。
河合 有難うございます。もともとソポクレスが書き込んだドラマそのものは、非常に演劇的に盛り上がるようにできています。それを日本語でどうやって再現してみせるかというところが翻訳の難しいところです。
──コロスがエピソードを述べる場合と、歌う場面とがシンメトリカルに交代しますよね。あれも見事ですよね。あのリズムがあってこそ心理戦が印象的になるんだと思いました。
河合 そうですよね。心理ばかりが語られていたら、単なる近代劇みたいなものになってしまいますが、歌によって盛り上げるという演出が、すでに戯曲の中に込められているわけですね。2500年前のソポクレスの手によって。
あと、今回長い解説を書く機会を頂いて、それがとてもありがたかったです。その準備であれこれ調べていたら、イオカステがどこで真実に気がついたかに関する川島(重成)さんの説を知って、しかもそれを支持する別の学者さんもいらっしゃたので、これはちょっとはっきりさせておかなきゃと思いました。私には作品に対する自分なりの解釈をはっきりさせないと翻訳できないというところがあるんです。
ソポクレスが立ち上げようとしているものをもう一度自分なりに見極めて、すべてにわたってその意味を吟味できていなければ翻訳できないという感じがするんですよね。
──やはり演出家なんですね。
河合 そうなんですかねぇ(笑)。
──イオカステがどこで真実に気がついたかという、あの部分はとても面白かったです。女性心理にも触れておられて、オイディプスは母親と寝たということが肉感としてわかった。僕も、今までは男目線で読んでいたと自省したのですが、イオカステの言葉を息子と寝てしまったと悟った女が言う台詞と思って読むと、作品の深みが全然違います。その意味でもほんとに新訳だなという感じがしました。
河合 今回はいろいろな発見がありました。オイディプスがライオスと行き違う「三叉路」などは、最初の下訳では私自身も「三叉路」と訳していたんです。でも「三叉路」では確かにすれ違うことはない。馬場(恵二)さんの論考をよく読みこむと、ああ、なるほどと思った。あれも新しい発見の一つでした。
そういう意味で、これまでいろいろな学者さんが研究してきたものを訳文に織り込んでいくということは、日頃からシェイクスピアについてもやっているもので、それは単なる翻訳者ではなく、学者としても翻訳していることの、ある種の強みだったのかなとは思います。
──コロスの話に戻りますが、昔は舞台に演舞場のような場所があって、コロスはそこからは出なかったと。たとえば蜷川さんが演出したときは、それがどうなっていたのですか。
河合 舞台全体に広がらせるんです。
──境目がなくなってしまう?
河合 そうです。本来のギリシャの劇場の場合には、スケーネ(スカエナ)という壁の前にロゲイオンと呼ばれる高い場所(舞台)があって、その前がオルケストラという、いま演舞場とおっしゃった場所になっていて、オルケストラは低いところにあるわけです。役者たちは高いところに立っているのに対し、コロスたちは手前の低いところでグルグル旋回しているので、周りで見ているお客さんからは、自分たちの足元にいるコロスとその奥にいる役者がはっきり分離して見えるわけです。
でも、別に蜷川さんに限らず、現代で上演する場合には、そういう二段階の舞台構造というのは普通あまり作らないために、役者が登場したら、同じレベルでコロスもいるということが多いですよね。そういう意味では、どうやって演出していくのかということは常に新しい問題としてあると思います。
──コロスと登場人物たちの掛け合いには、コロスが意識下の世界、役者が意識の世界というところもあって、前者が「なる」なら、後者は「なす」世界という違いがあるような気がしますし、その対比も大きな魅力の一つだと思いますけれども、現代はそういう演出をしないことが多いと。それにはおそらく劇場構造の問題も大きくて、昔通りの劇場が使えることはほとんどないし、プロセニアムと言うんですか、多くは額縁舞台でやらなくちゃならないわけですから演出上もいろいろ難しいと思うのですが、先生は今回の解説で上演を前提にして訳したと書いていらっしゃる。
河合 はい、そうですね。
──何か、具体的なプランはあったのでしょうか。
河合 演出プランまでは立てていないです。あれは、上演の言葉として台詞が立ち上がってくるようにという意味で書いたものです。どういう小屋かによって演出は変わるものなので、プランは、実際に上演する小屋を見てからでないと具体的に立てられないところがあります。
──なるほど。演出家には現場空間の専門家という一面もありますもんね。私は方向音痴でして空間が謎だらけなものですから、かえって劇的な空間に感激するきらいがあって、演出家って凄いなと思う。
河合 それは面白い。私も方向音痴なところがあるものですから、そこは同じかもしれません。演劇は特定の空間にフォーカスして、区切って見せてくれるから迷わなくて済むのかもしれませんね。
──オルケストラのコロスというイメージがあって訳されたのでしょうか。
河合 そうですね。私の中にはコロスはコロスとしてこっちにいて、高いところに役者たち3人がいるというイメージがありました。役者たちはそもそも高下駄を履いて、重たい仮面をかぶって演っていたわけですから、実はほとんど動けない感じだった。ただ立って、前を向いて朗々と台詞を吟じるだけです。
なので、演劇にミメーシス、つまり模倣という要素が入ってくるのは、ギリシャ悲劇の後のローマの悲劇や喜劇になったときに役者たちが動くようになってからです。ギリシャ悲劇というのは、たいていは議論劇です。私は正しい、いや、あなたは正しくない、みたいなね。それで収拾がつかないために、デウス・エクス・マキナ*注3が出てくる。そういうことを考えても、ギリシャ悲劇はやっぱり言葉だなということはよくわかります。
注3 デウス・エクス・マキナ:古代ギリシャの演劇で使われた演出技法。劇が解決困難な局面に陥ったとき、絶対的な力を持つ存在が現れ、混乱した状況を解決し、物語を収束させる手法。一般に「機械仕掛けの神」と表現される。
とにかく役者たちは3人とも動かないで、仮面をかぶって朗々と言い合うし、コロスたちは動き回るわけです。お客は、大きなすり鉢状のギリシャの劇場の高いところに座ると、役者たちが仮面をかぶっていることもあって表情なども見る必要はないですし、仮に動きをつけたとしても、遠くですからあまり意味がない。その点では、むしろ音を聞くという芝居、声の芝居という色合いが濃いんです。
──リサイタルですね。
河合 そうです。まさにリサイタル、つまり音楽です。
──コロスの台詞にメロディーはあるのですか。
河合 なかったと思います。イントネーションはあります。弱弱強とか、そういうリズムによって、ある種のうねりが出る。
──15人、同じことを同時に言うのですか。
河合 そうです。ただ、7人と8人の二つに分けて、まず7人が「正」、最初の楽節を動きながら歌い、次に八人がその逆向きに動いて次の「対」の楽節を歌うという、ソポクレスの時代からそうなったのではないかと言われています。
──かなり緊張感のある舞台だったのでしょうね。
河合 すごい緊張感だったと思います。今ではビジュアルをいろいろいじってしまいますけれども、本来は音が中心の世界だったはずですからね。極端なことを言えば、目をつぶったまま聴いてもいいという、そういう世界だったと思います。そういう意味では、視覚的な情報を一切遮断して知的に上昇して行く、つまり思考の世界のようなものだったと思うんですよね。
──目をつぶった思考の世界。オイディプスも最後には自分で目を潰しちゃいます(笑)。
河合 そうですよね。そのほうが、むしろ明確にものが見えるみたいなことになるわけで、ある種、知というものを絶対視した文化の演劇ということでしょう。でも、実際にはコロスが動いているわけなので、本当に目をつぶるわけにはいかなかったと思いますけれど(笑)。
──ミシェル・フーコーの「パノプティコン(一望監視施設≒刑務所)」ではありませんが、監視したり見渡したりするのが目の一番の機能で、それは近代を象徴するものだという話がありますね。その目を、早くも古典古代に自ら潰すというのもすごい話だなと。
河合 そうですよね。
──あのときオイディプスは自由になったのかもしれない(笑)。これはほとんど屁理屈ですが。
河合 いやいや、おっしゃる通りかもしれない。現代は情報社会ですが、情報というものはその多くは目から入ってくる。その目を潰してしまうのは、情報に振り回されないで静かに考えたほうがよいということの、一つの暗示なのかもしれません。
──そうやって考えてみると、最近のマイノリティに対する社会の視線ではないですが、自省しない健常者たちが突然足元を救われてしまうようなことを、『オイディプス王』という形で、はるか昔に考えていたのであれば、これまた面白いですね。
河合 そうですね。物語の冒頭ではテイレシアスが、そもそも目が見えない予言者として、知の全てを担って登場してくるということもありますし。
──そうそう。見えないことが全然デメリットじゃないですからね。それにオイディプスは死なずに生きるでしょう。そこもすごいと思う。
河合 他の人にいっそ死んだほうがと言われても、生きる。生きないと、いけない。
──いつかは自分の手で上演したいということは。
河合 今のところ、まだ考えてはいません。とりあえずは、来年に二本、芝居をやることにしています。『オセロー』は井上尊晶さんが演出する松竹のお仕事なので、私は戯曲を提供するだけなのですが、こまばアゴラ劇場では私の作・演出で、新作の『ウィルを待ちながら──歯もなく目もなく何もなし』という作品を上演し、9月にはシアター・トラムとさいたま芸術劇場小ホールで、シェイクスピアの『お気に召すまま』を新訳・演出でやります*注4。
注4 河合祥一郎さんのブログ参照
でも、今回、いろいろ勉強することにつながったのは、我ながら有難かったです。これでまた別のギリシャ悲劇を翻訳する機会があれば、ぜひ挑戦させていただければと思います。別にギリシャ悲劇にとどまらず、何でもやりますから(笑)。
──それは、ぜひお願いいたします。
(2017年10月30日 東京・駒場にて 取材・中町俊伸、今野哲男)