飛行士と作家、ふたつの顔を持つサン=テグジュペリがアメリカ亡命中に執筆した『戦う操縦士』は1942年に刊行されました。自身の戦争体験にもとづく自伝的小説です。
命を危険にさらすだけの無益な偵察飛行を命じられた主人公は、死の意味を自問しながら空に飛び立ち、高高度での装置の不具合による肉体的苦痛、敵戦闘機との遭遇、激しい対空砲火などの困難な状況を経て、ついにその問いへの答えを見つけ出します。
『ちいさな王子』『夜間飛行』『人間の大地』に続く、古典新訳文庫のサン=テグジュペリ作品第4弾を翻訳した鈴木雅生さんにお話を伺いました。
──本書の訳者あとがきで、「サン=テグジュペリといえば、なにを置いても『ちいさな王子』だろう」とおっしゃっていますね。たしかに、日本人の多くが子ども時代に読んだか、あるいは作家自身が描いた王子の絵をどこかで目にしていると思いますが、鈴木さんご自身とサン=テグジュペリ作品の出会いは......?
鈴木 やはりLe Petit Prince、『ちいさな王子』を子どもの頃に読みました。あの頃は意味をよくわかっていなかったのですが。その後、大学でフランス語を始めるにあたって読み直した程度なので、僕はそんなにサン=テグジュペリのいい読者だったとは言えません。語学の勉強のために、ジェラール・フィリップによる『ちいさな王子』の朗読テープを聴いたりはしました。あれは非常によかったです。『ちいさな王子』は美しく詩的でとても好きな作品ですが、当時、それ以外はほぼ読んだことはありませんでした。今回翻訳をした『戦う操縦士』も名前は知っていましたけれども、なんかこう、手が出なかった。
──そんな鈴木さんに、『戦う操縦士』を訳してみたいという思いが芽生えたのはどうしてでしょう。
鈴木 こういう作品に興味はあるかと編集部がいくつか提案してくれた中に『戦う操縦士』が入っていたんです。それで、すでに出ている翻訳でざっと読んでみたら、『ちいさな王子』はもちろん、民間機パイロットの経験から書かれた『夜間飛行』とも『人間の大地』とも違う、もっと男臭い作品だった。見たことのない作品だとも、哲学的な思索の強い作品だとも思いました。それと同時に、詩的な部分が際立っていて、場面ごとの転調がとても激しい作品だと思いました。戦争の殺伐とした描写から、ふいに幼年時代の思いに浸りこんでいって、そして詩的で高揚に溢れる文体に変わっていき、さらにそこから哲学的な思索に入っていく......というように。ただ単に辛い時期を生きたとか、あるいは英雄的な行為をしたというのを書いているのではなくて、死を直前にして、今までの人生がパッと甦る中で自分の本質的なところを突き詰めていくところが非常に面白いと感じたんです。あと、それまで『ちいさな王子』だけを読んだのではよくわからなかったところが本作を読むことで見えてくるような気がして、これは訳してみたいと思いました。
──『『戦う操縦士』は、主人公が軍用機のコクピットにいる状態で物語が進行するわけですが、同乗している2人との顔の見えない会話、操縦士である主人公が見ている景色、そして、零下50度の上空で凍結したペダルをなんとか動かそうとやみくもに踏み込んで、(酸素の供給が足りず)目がかすみ胸が苦しくなるというような体の変化など、自由を制限された閉鎖空間でのリアルな描写の数々に、改めてサン=テグジュペリが飛行士であることを強く感じました。
鈴木 そうですね。飛行士ならではの描写だなと思うところは訳していて幾つもありました。例えば、地上にいて装具をつけている間は重くて鬱陶しかったんだけど、いざ空に上がると、そういった地上にいたときのいやだなと思うものが全部なくなっていくというようなところなんかは、ああ、面白いなと思ったところですし、あとは装置で飛行機と繋がれたときに、自分と飛行機が一体になって、飛行機から養分が流れ込み、循環していく。自分が飛行機の中の器官の一つになったというようなところなんていうのは、ほんとにこれは当事者にしかわからない感じだろうという。
──その部分は、わたしも読んでいてすごく面白いと感じました。ロボットアニメの主人公の体が、乗り込んだメカの内部に有機的に取り込まれたりするような設定とか、意志を持ったメカとの間に友情が結ばれて互いに影響を及ぼしあうとか、子どもの頃に観たそういうものを思い浮かべてしまいました。飛行士の感覚としてはかなり近いのかなと。
鈴木 あと、翻訳している間、僕自身が今まであまり意識していなかった高度を気にするようになっていました。フランスに行く飛行機で、フライトマップをチェックして今の高さはどのくらいだろうと確認したり、作中に出てきた高度になると窓の外の景色を見て、高度1万メートルというのは思いのほか高いな、高度700メートルというのはかなり低いなと思ったり。
──わたしたちが飛行機で移動するといえば大きなジェット機なので、サン=テグジュペリが乗っていた偵察機から見た地上の人たちの様子はそれでもなかなか想像しづらいですね。どれくらいの高さでどのくらいの飛行速度だと人が動いているのがちゃんと見られるのかまではわからない。同じ機体に乗っていても、操縦士、観測員、機銃員で見える景色が違うことにもハッとさせられました。
鈴木 それについては、ここに模型があるのですが......。友人に作ってもらいました。これがあったので、非常にイメージがつかめたんです。操縦士のサン=テグジュペリは、上部のガラス天蓋で覆われたここにいるんですよね。機銃員は同じところに後ろ向きで乗っています。地上から見ると飛行機雲(「聖母の紡ぐ糸を思わせる純白の線」)が伸びているのかもしれないけれども、主人公にはそれもわからないというくだりがありましたけれども、それはつまりこういうことなんですよね。観測員のデュテルトルは前方のガラスが張り出したところいて、この通り透明になっているから周囲が全部見える。下のほうも見える。これを作ってもらったおかげで、状況を明確にイメージできたというのがありますね。
──臨場感あふれる訳文を読んで、こっそり鈴木さんは飛行機大好き男子なのかなと思っていたのですが違ったようで......。翻訳に際して、プラモデルのパーツを入手されたんですか?
鈴木 そうです。フランスの飛行機というのは、軍事マニアの間ではそれほど人気ではないらしいです。負けた軍ですからね。だからそれほど流通もしていないみたいなんですが、たまたまネットでこのフランス製のパーツを見つけて、プラモデルが趣味の友人に作ってもらったんです。
──本書のあとがきにお名前があった関口健勇さんですね。じつは以前、タモリさんが司会をされている某テレビ番組で珍しいプラモデルを扱った回に出演していらしたのを拝見したことがあります。
鈴木 プラモデルファンの間で一目置かれているようです。僧侶でもあり、学生時代にはフランス文学を専攻していて、わたしたち夫婦の友人なんです。一緒にお酒を飲んで盛り上がったときに「プラモデルがあるんだけど、作ってくれない?」とお願いして、さらに、軍事関係のこともいろいろと質問して教えてもらいました。
──作中には軍事用語がたくさん出てきますよね。訳出作業以外の事前の調査がたいへんだったのではないでしょうか。
鈴木 知らないことはおさえておかねばと、フランス軍について、あるいは第二次大戦のフランス軍戦闘機について、軍事関係のことはずいぶん調べました。資料を読んだところで「この飛行機がどのような状況下で導入された」くらいのことしかわからないのですが。それ自体は物語の本筋にはまったく関係ない情報であっても、あらかじめ頭に入れておかないとやはりその雰囲気というか、時代の空気というか、その状況がイメージできません。それに、日本の読者は日本語だけで読むわけですから、あまり専門的な言葉を使ってもわかりづらくなってしまうという問題もある。翻訳というのは、日本語で自立するものであるべきだと思うのでそこは工夫が必要でした。
──のっけから出てくる「二/三三飛行大隊」という名称も、わたしたちの日常生活ではまず馴染みのない類ですが、訳注が簡潔明快なおかげでひっかかりを感じずに物語に入ることができました。
鈴木 サン=テグジュペリが所属していた部隊名をどう日本語に訳すかは、最初に苦労したことの一つです。『戦う操縦士』には新潮文庫の堀口大學訳(1956年)とみすず書房の「サン=テグジュペリ著作集」に収められた山崎庸一郎訳(1984年)がありますが、どちらも違う訳し方をしているし、数ある研究書をひもといても部隊名の表記がずいぶん違うんですよ。どうしてそんなことになっているのかがなかなかわからなかった。訳注に書きましたが、第二次世界大戦の開戦後は、航空団が再編されているにもかかわらず部隊名は以前からのものが使用されていたんです。つまり開戦前には、「第三三連隊第二飛行大隊」だったけれども、開戦後は、その名称が軍事編成上の意味を持たなくなったんです。それで、数字を羅列した「二/三三飛行大隊」という訳語を与えました。そこに落ち着くまでにずいぶん調べなくてはいけなかったですし、いろいろな人に訊いたりしました。
──同じように、調べてみてようやく明らかになったことや、それが訳語に影響を及ぼした箇所で印象に残っているものはありますか?
鈴木 軍事用語のような専門的なものではないのですが、翻訳に取り掛かる前に堀口大學訳と山崎庸一郎訳を読んでみて、どうしてもわからなかったものがありました。ポーラというかつての子守について回想する場面で、チロル地方の山小屋の話が出てくるんです。
子どもたちは誰もポーラを覚えていなかった。すでに故郷のチロルに帰ってしまっていたのだ。あの地方によく見られるかわいらしい木組みの家に。雪に埋もれたその家は、晴雨計の付いた玩具の山小屋にそっくりだろう。太陽が輝く日にはポーラが戸口に姿を現わす。晴れた日になると晴雨計の山小屋から機械仕掛けの人形が出てくるように。 (『戦う操縦士』p.184)
鈴木 この「晴雨計の付いた玩具の山小屋」と僕が訳したものが、堀口大學訳では「日和見小屋」、山崎庸一郎訳では「観測所」となっています。もとの言葉はchalet -baromètre(シャレー・バロメートル)なんですが、これが何のことか最初は全然わからなかった。ですが、今のわれわれが恵まれているのはインターネットがあることです。ネットで画像検索をしてみたら、ちっちゃい玩具みたいなものだと判明しました。
──百葉箱のようなものだろうと思いながら読みました。
鈴木 その通りです。それがチロル地方独特の木組みの家そっくりの外観で、晴れて気圧が高いと片方の戸口から女性の人形がトコトコと前に出てきて、雨が降って気圧が低いと反対の戸口から男性の人形が出てくる仕掛けになってる。今はあまり見かけないみたいですけれど、昔はそういうのが家庭にあったらしいんです。
──シャレーと言ったら山小屋を想像します。なるほど、それで先人の「日和見小屋」や「観測所」という訳語が出てきたわけですね。
鈴木 チロル地方は晴ればかりだから、晴雨計の付いた玩具の山小屋と同じようにポーラがおもてに出てくると言っているのが、原文を読んでみてもなかなか理解できませんでした。どうしてこの言葉がここに出てくるんだろうと腑に落ちず、辞書を見てもわからない。堀口大學や山崎庸一郎先生はずいぶん苦労されただろうと思います。
──インタビュー冒頭で「場面ごとの転調がとても激しい作品」とおっしゃっていましたが、主人公が過去を回想したり、哲学的な思索を展開している時の静けさにとりわけ心を奪われました。実際には、飛行機のプロペラが回り続け、激しい砲撃に遭遇し、あたりでものすごい轟音がしているはずなのですが、文章の中には静謐な空間が拡がっていると感じたんです。そこに乗員との会話がはさまれると、いきなり緊張感あふれるトーンに変わるのでなおさらでした。
鈴木 主人公が自身の内側に沈潜していくときと切羽詰まった状況では、当然文体を変える必要があるだろうと最初に考えました。外側のいろいろな攻撃に対処しているときは、臨場感を伝えるためにそれほど長い文章にはできません。軍人はあまりくだくだしいことは言わないだろうとも考えましたね。緊急時の会話は簡潔になるだろうと。
──それから、作品全体を通してどのページにも何行かにいっぺん、格言めいた、アクセントになる、サン=テグジュペリの核心に満ちたかっこいい言葉が出てくるのも気になりました。
鈴木 そうですね(笑)。翻訳をするには、その言葉がそこでどういう調子で発せられているのかを原文から読み取らなければなりません。それを無視してただベタッと訳すとメリハリがなくなっちゃう。使い古された比喩になってしまいますけど、翻訳はやはり「楽譜を演奏する」ようになされることが僕の感覚に一番近いです。原文は楽譜みたいなものです。楽譜からは絶対離れちゃいけないけれども、その楽譜を自分がどういうふうに受け取って、どこにアクセントを置いて訳すかというのが翻訳の面白いところだと思うんです。だから、ここから転調していってずいぶん文体が変わっているな、あるいは言っている内容が変わっているなと感じたところは、それが表に出るような形で訳に反映させました。
──過去の回想と哲学的な思索を経て、サン=テグジュペリの思いはついにヒューマニズム(人間主義)へと至る。偵察飛行の任務から帰還する終盤は、作家の語りがどんどん観念的になっていきます。25章から27章にかけて滔々と述べられる考察をだらけさせず、しかもわかりやすく読ませるにはリズムやアクセントを意識するのとは別の種類の苦労があったのではないですか?
鈴木 サッと読んでしまうと何を言いたいのか掴みづらいところで、一番時間がかかった部分です。わかりやすく訳すには、まず論理的に理解して、サン=テグジュペリの思考についていくのが第一で、そのために英訳版も参考にしました。『戦う操縦士』は1942年に初版が出た時に、『アラスヘの飛行』というタイトルで英訳版も同時刊行されています。サン=テグジュペリはフランス語で書きながら、英訳者にその都度原稿を渡していたんです。英訳者は作家にいろいろ聞きながら訳したそうで、たしかにフランス語でちょっとわかりにくいなと思うところが、噛み砕いた英語になっていました。ただし、アメリカの読者にうけない部分は端折ったりしていて、この観念的なくだりもずいぶんカットされているのですが。
──物語の前半でずっと分からずじまいだった「誰のために死ぬのか」という問いに対する答えにあたるのがこの部分ですが、二重カッコでくくられた《人間》とか「私の属する文明」という言葉、他にも、似通った言い回しが何度も呪文のように繰り返されていますね。
鈴木 繰り返しを多用した文体は、キリスト教の伝統的文化の中で育ったサン=テグジュペリらしく、連祷のようなお祈りの文言を意識しているのでしょう。じつは、『戦う操縦士』を訳していて、これは誤読されると危険な作品の一つだなとも思いました。非常に国粋主義者的というか、あるいは愛国者としてのサン=テグジュペリの側面というのを強調される恐れもある気がしたんです。つまり、国のために命を捨てて犠牲になるのは正しいと主張する作品として読まれる危険性はあるなと思いながらも、だけどたぶん作家の本意はそこではないと思うんですよね。自分が属している何か、自分が命を賭けてもいいと思える何かというのが彼の中で遠心的に広がっていくんです。最初は自分がいて、個人だけじゃなくて、自分は何に属している自分なのか。それがまず自分の属している二/三三部隊になり、戦友たち、その部隊、そしてフランスという国になって、その後、文明全体、そしてさらには《人間》になっていく。そういう国とか、民族とかが違っても、誰もが共通に属している《人間》にサン=テグジュペリは行きつくわけだけれども、その途中で止めちゃうと、国のために命を捧げるのがいいというような読み方をされてしまう恐れはあるだろうなと思いました。
──終盤では「結びつき」という言葉が何度も出てきて、自分が何に属し、何と繋がっているのかを訴えていますが、じつは主人公に見えていなかっただけで、それまでの一見脈絡のなさそうな回想や夢想の数々の中にすでにそれらが現れている。その構成が見事でした。
鈴木 それは『ちいさな王子』に出てくる「絆」とも関係していると思うんです。『戦う操縦士』でも「絆」はすごくいっぱい出てきますし、やはりキリスト教的な考え方があるような気がします。僕なりの解釈だと、個々の人間はバラバラに存在していますが、その人間の地平を超えたところに何かが、ここでは神がいて、神と結びついているという意味において、人間という平面では平等である。人間はその地平を超えた何かとそれぞれが結びついていることによって連帯して、隣人愛がある。それがただ単に水平なところに向かっているだけじゃなくて、実はこの水平な関係の奥で、超越的なところにいる神なり《人間》との関係があるんだという。
──キリスト教的な考え方を象徴するものとして聖母マリアを思わせる子守のポーラが出てきたり、心のよりどころ、守るべきものとして大聖堂が出てきますね。ところで、古典新訳文庫の装幀画を描いてくださっている望月通陽さんは、すべての作品を読んでから絵にしてくれるんですが、これ、大聖堂なんです。
鈴木 いやほんとにいいところを取り出して絵にしてもらったと思いました。『戦う操縦士』は、戦争物と見られがちですが、戦闘の状況よりも、その戦闘を通して何が見えてきたか描いているんですよね。
──その見えていくまでの過程を読んで、サン=テグジュペリは、つくづく行動の人だなと感じます。
鈴木 行動によって何かにコミットしないかぎり、絆は作れないということなんですね。『ちいさな王子』では、行動というところもそれほど前面には出てこないわけですけれども。でも、何か働きかけることの重要性、受け身でいるだけ、ただそこにいるだけでは絆は作れなくて、自分が(比喩的な意味で)血を流して、初めて絆というのが生まれるというのは、恐らく『ちいさな王子』の根底にもある。たとえば王子とバラとの関係でも、とにかく手をかけて、水をあげるとか、ガラスの覆いをかけてやるとか、何か働きかけることによって絆が生まれるのは、やはりサン=テグジュペリの飛行士、というか、兵士としての経験に裏打ちされているんだろうと思います。『戦う操縦士』を読むことによって、『ちいさな王子』をまた別の見方で読めるような気もちょっとしました。なんとなく甘いイメージが先行しがちですが、たぶんあの思考の根底にはものすごく男臭い、豪気なものがあるような気がします。
──その豪気なものをハードなテイストで形にした『戦う操縦士』があり、それが刊行されてからほんの数か月後に、サン=テグジュペリがまったくテイストの違う、詩的で愛らしい『ちいさな王子』に着手していることがつくづく面白いですね。
鈴木 ポーラについての回想もそうですが、『戦う操縦士』では自身の幼年時代のことをずいぶん書いていますよね。それが『ちいさな王子』のほうに流れていくのかなという気もしています。
──お話を伺って、両作品をセットで読み直してみたくなりました。
(聞きて:丸山有美、中町俊伸)