──「偏頭痛」。これは読むのが苦しかった。
寺尾 ホメオパシーの話ですね。翻訳もこれが一番大変でした。まず、マンクスピアという動物が出てきますが、これは架空の動物です。描かれているもののいちいちが、どういうものかわかりにくいし、頻出するホメオパシーの用語もわけがわからない。これは私も相当苦労しました。
──「解説」によると、コルタサルが通訳の勉強でノイローゼになったときに書いたとか。
寺尾 ええ。「毒をもって毒を制す」ために書いたと言われています。ホメオパシーというのは、アルゼンチンで30年代とか40年代にけっこう流行した一種の民間療法のようです。いろいろな人が病気の治療に使っていて、他にも似たような治療法があり、怪しげな藪医者もけっこういたようですね。
ちょっとオカルトっぽいところもあったようで、当時のビオイ=カサーレス*2の日記などにも出てきますし、彼の回想録にも書いてあります。神霊実験みたいな儀式を行うこともあったようです。
*2 アドルフォ・ビオイ=カサーレス(1914年〜1999年)、アルゼンチンの作家。代表作に『モレルの発明』など。幻想的な作風で知られ、短編の名手でもあった。
──自分がノイローゼになりかけているときに、ああいう作品を書いたということは、コルタサルにとっては文学がセラピーでもあったわけですね。
寺尾 そういう側面はあるでしょうね。食べられなくてスープも飲めなくなったときに、短編を書いて食べられるようになったとか、そういうことを言っていますから。
──そういう書き方は、いわゆる神様の視点で小説を書くんじゃありませんから、その先には、いわゆる近代的な自我に囚われた作家が書く作品とは違う世界が開ける可能性があると思います。本人は、その辺のことをどう考えていたのでしょう。
寺尾 シュールレアリズムとか、前衛芸術一般から重要な着想を得たと言っています。オートマティズムとか、そういう無意識の領域を創作の中に取り込んでいますし。彼は、現実の壁を何とか破って、フィクションの世界や虚構の世界、あるいは夢や無意識の世界に入っていくことを楽しんだ作家だったのでしょうね。つまり、現実を広げると言うのか、現実世界という壁を打ち破るための手段としてフィクションがあるという見解があったんだと思います。
──生と死の関係にもそれが言えますね。日常的な生の世界の壁を破って、死の世界に近づいていくという。というわけで、次は「キルケ」になります。これは、まさにその生と死を扱った作品ですね。
寺尾 ええ。コルタサルが生と死を扱った作品には傑作が多いです。ギリシア神話の素養がないと少しとっつきにくいところがありますが、探偵小説めいたところもあり、特に気にしなくても大丈夫です。コルタサルには、9歳ぐらいからポーを読んでいたという逸話があって、この作品にはその影響が如実に出ていると思います。こういうおどろおどろしい話、彼は嫌いじゃない。人間の内に巣食う悪魔みたいなものを書くのが好きですね。
──最後に正体を明かされかけたデリアが、追い詰められて叫ぶシーンがあるじゃないですか。あそこが怖かった。
寺尾 ええ、私もぞっとしました(笑)。
──「天国の扉」は、最後のシーンに驚きました。あれ? 死んだ本人が出てきちゃったと思ったものですから。
寺尾 そうですね。たとえば、「セリーナはそこにはいない」という死んだことを悲しむ通常の叙述文と「セリーナは我々のほうを振り向きもせず〜」というありえない描写を、改行のない長い段落のなかに絶妙に混在させて、現実と幻影とをうまく近づけて、独特の効果を出すことに成功しています。
──われわれ編集者が拙いリライトなどをするときに、まず気にするのが人称です。人称が混乱していると、人間関係がよくわからないですから。ここではその幻想と現実が入り混じる複雑な関係が、すっきりと表現されていると思いました。
寺尾 ええ。そこらへんはコルタサルも厳密に追っていると思います。実はこれ、勘でやっている部分も恐らくあるけれど、推敲のときには綿密にチェックしているようですし、はじめはインスピレーションに駆られてバーッと書いていくんでしょうけど、最後にはきちんと効果が出るように直していますよね。
──さきほど、保坂和志さんの「小説は作者を超える」の話が出ました。コルタサルの場合も、要はそういうことだろうと思うんです。つまり、インスピレーションに駆られた書き方と、人称などを細かなところまで後追いする緻密な作業とが、矛盾せずに両立する幸福な場合があって、そのときに自分の意図を超える、作家の主体性以上の小説が現れるということですね。見事だと思います。
寺尾 作品が自立した生き物になっていくということですね。だからこそ、いろいろな読み方ができるし、どこの国の人でも読むことができる作品になるんだと思います。
──普通に解釈だけにこだわ拘って読んだら、こういう作品は枯れてしまいます。いくらも多様な解釈、矛盾した解釈が可能だし、だからこそ面白い。
寺尾 そうですね。「天国の扉」が私にとっては一番面白かった。他もすべて読み応えがありますけど。
──最後は「動物寓話集」です。この作品では、少女の一人称のモノローグと、客観的な三人称を使った語り手の叙述が混在しています。その交換が臨機応変で、自由な叙述の中に実にスムーズに少女の語りが入ってくる。そこで浮かび上がるのは、コルタサル自身にある少女への共鳴と同調です。そこから出てくる立体感も強烈でした。
寺尾 私もそう思います。コルタサルは人称の使い方が絶妙です。yo(私)と言ったり、ときにはtú(君)と言ったり。つまり「あなた」とか「おまえ」とか「きみ」とか、「あなた」に宛てるいろいろな形で滔々と書いていって、それがフッとあるときに一人称「私」に変わったり、三人称になったりする。この作品ではまだそこまでいっていませんが、すでに一人称と三人称の絶妙な交錯という側面は見えていますし、これは前の短編「天国の扉」も同じだと思います。
──「奪われた家」でしたか、コルタサルが雑誌社に持ち込んだときにボルヘスと出会ったというもっともらしい逸話があって、実はこれが現在では偽りだと言われているようですね。
寺尾 そうです(笑)。編集部に処女短編を持っていったらボルヘスがいて、彼に渡したら「一週間後にもう一度きてくれ」と言われて、言われた通りに出かけていくと、「あれはすばらしい短編だから出版に回した」と言われた、という話ですね。ボルヘスがコルタサルから聞いたと言っています。しかし、当時を知る人の証言によると、コルタサルは原稿を人に託して編集部に届けてもらったということですし、ボルヘスはそもそも編集部に顔を出すことがまったくなかったようです。
──意図的なデマが伝説と化したわけですか。
寺尾 そうでしょうね。二人が結託したか、あるいはボルヘスの独断だったのか。とにかく書いているのはボルヘスです。そういう捏造された逸話は、ラテンアメリカ文学の世界にはけっこうあります。
──他に何か、有名な伝説化の逸話はありますか。
寺尾 ガルシア・マルケスとバルガス・ジョサがベネズエラのカラカスに行ったときに、カラカスからメリダという山の中の町へ行って、そこから帰ってくる飛行機が山の中ですごく揺れて落ちそうになった。そこまでは本当の話です。ところが、そこでバルガス・ジョサがパニックに陥って、ガルシア・マルケスの胸ぐらをつかんで話しかけたという。そして、「どうせこのまま二人とも死ぬのだから、本当のことを言ってくれ。カルロス・フエンテスの『聖域』をどう思った」と訊いてきた、とガルシア・マルケスがインタビューで言ったようです。それが伝播して、死にそうになったバルガス・ジョサがフエンテスの小説についての評価を聞きたがったという逸話が広がった。でも、これは完全にガルシア・マルケスのでっち上げです。
──そういうことが珍しくないのですか。
寺尾 珍しくありません。カルペンティエールなどは、出生地を偽っています。彼は生涯ずっとハバナの生まれだと言い張っていましたが、スイスのローザンヌから出生証明が出てきて、調べてみると間違いないという結論でした。
──それは、ただの経歴詐称というようなものじゃなくて、寺山修司が自分の出自で嘘をついていたみたいなもので......。
寺尾 文学の一部ですね。
──面白いなぁ(笑)。寺尾さんは今回の『奪われた家/天国の扉』をどう評価なさいますか。
寺尾 優れた短編集ですし、傑作ぞろいだと思います。コルタサルが初めて出版した短編集でもあります。日本では今までは一本ずつバラバラに紹介され、切り売りされていたわけですが、やはり八本まとめて一つの本というふうに捉えるべき本だと思います。すべてブエノスアイレスとその周辺が舞台になっていますし、彼が現実という枠をどうやって乗り越えていこうとしているか、その方法を多様な形で模索する様子が見て取れます。それをバラバラに訳したのでは、小説の一部分だけ読んでいるような感覚になるかもしれない。八つまとめて五一年に出版された姿で再現したことで、そこに通底するものが見えてきて、そこが一番面白いところだと思います。ブエノスアイレス時代のコルタサルが何を追い求めていたのか、初期コルタサルがどのように創作に臨んでいたか、非常によく出ている本だと思います。アンソロジーなどに入れられてしまうと、「奪われた家」も、チャーリー・パーカーを扱った「追い求める男」も、有名な「アホロトル」(ウーパールーパーのこと)も、みんな同列に扱われてしまって、時代の違いが見えてこなくなってしまう。コルタサルの出発点がどこにあったのか、この八作全部並べて読むことで探る面白さがあると思います。そういう意味でも、これを日本語で出すことの意義は大きかったと思います。
──先ほどの言葉で言うと、中性的というのが一つのキーワードになりませんか。
寺尾 そうですね。いやらしい性の匂いはしないけれども、性的暗示が随所にちりばめられているという感じでね。
──ある意味で、汚れがないのかもしれないけれど、いびつ歪でもあるという(笑)。
寺尾 そうです。ともあれ、やはりコルタサルの出世作であり出発点です。
──ところで、寺尾さんは「ラプラタ幻想文学」という言葉をお使いになっています。「魔術的リアリズム」という言葉がありますけど、2つは全然違うものなのですか。
寺尾 私の見解では両者を区別しています。『魔術的リアリズム 20世紀のラテンアメリカ文学』(水声社)という本を2012年に出版して、その中で議論していますし、最近の『ラテンアメリカ文学入門 ボルヘス、ガルシア・マルケスから新世代の旗手まで』(中公新書、2016年)でも概略しています。
──簡単に言うとどう違うのですか。
寺尾 端的に言えば、魔術的リアリズムは、ある歪んだ視点を一つの共同体全体に適用し、中心に据えることで普通と違う出来事を起こすことです。それに対し、ラプラタ幻想文学の出発点は、そもそも現実を否定して、フィクションを現実と置き換えることにある。つまり、現実とフィクションの関係をひっくり返す文学です。ボルヘスとか、ビオイ=カサーレスが代表者で、コルタサルにも共通する部分があります。現実から逃れて、現実とフィクションが入れ替わってしまうような話は、『遊戯の終わり』にも出てきます。
──それを詳しく知ろうと思ったら、まず中公新書かな(笑)。
寺尾 そこから入って、水声社の本の進んでくれるといいですね(笑)。
──寺尾さんが初めてコルタサルを翻訳したのはいつ頃ですか。
寺尾 2014年の『対岸』と『八面体』が最初です。いずれも「フィクションのエル・ドラード」から、コルタサルの生誕100年に合わせて出ています。私はこの年から翌年までスペインにいて、スペインからアルゼンチンにも行きましたし、ニカラグアに行ってコルタサルの親友だった作家のセルヒオ・ラミレスにも会って、コルタサルゆかりの地にもいろいろ行きました。
──解説の中で「短編小説家コルタサル」と書いていらっしゃいました。彼には評判を呼んだ長編がないわけじゃない。それでも、彼の本質は短編だとお思いでしょうか。
寺尾 私はそう思います。『石蹴り遊び』という長編が63年に発表され、ラテンアメリカ文学ブームの真っ只中に発表されたということもあって、当時は評判を呼びましたが、ちょっと形式的な実験に走りすぎているという印象が、今読むとします。コルタサルは長編小説になると実験をするんです。手法的実験。こういう形式で小説を書いてみたらどうだろうとアイデアや野心に駆られるようですね。短編の場合は自分のオブセッションとか、見た夢とか、取り憑かれたものとかを、何としてでも書かなければという意気込みで、ワーッと一気に書くけれども、長編になると理知的に形式の事を考えてしまう。
──頭を使うわけですか。
寺尾 ええ。なので、残念ながら私には物足りない。訳したいともあまり思わない。
──深い話ですね。頭を使うほうが面白くない。
寺尾 ええ(笑)。理性的になり過ぎるんでしょうね。内側から出てくる、それこそ無意識から出てくるもののほうがよほど面白い。『懸賞』(1960年刊行、未訳)のような長編を読んでいると、確かによくできているとは思っても、登場人物が機械みたいに動かされていて、形式を追うだけのような感じがするんです。それでも『石蹴り遊び』には内面の探求みたいなところがあって、その部分は面白いけれども、やはり形式的な実験が先走って、せっかくの優れた部分が薄れてしまっている感じがします。
──やっぱり短編小説家なんですね。
寺尾 私はそう思います。『石蹴り遊び』を高く評価する人もいますが、それは好みの問題でしょうね。
──『欲望』というアントニオーニの有名な映画があって、あれの原作がコルタサルですね。
寺尾 そうです。原作は「悪魔の涎」(Las babas del diablo)といいます。
──わたし、寡聞にも知らなかったんです。ミケランジェロ・アントニオーニのあの映画は60年代に観ていますけど。原作者を話題にすることはなかった。
寺尾 当時からコルタサルはヨーロッパでもけっこう有名な作家でした。フランス語訳もされていますし、イタリア語訳も英語訳も相当出ていて、とくに『石蹴り遊び』はアメリカでヒット作になりました。フランスとイタリアでは短編が受けて、ブームの一翼を担う作家として評価されていました。
「悪魔の涎」については、権利を売ったときの話が書簡に出てきます。アントニオーニが映画にすると言い出して、何千ドルとかの収入があったと。コルタサルも観たらしいですが、あまり好きになれなかったみたいです(笑)。
──映画一本の権利を売ると相当の収入になるんですか。
寺尾 そこそこの収入にはなるみたいです。コルタサルは、70年代の初めぐらいまでアルバイトをしないと食べていけなくて、通訳をやっていました。彼はフランス語、英語、スペイン語の通訳ですから、国際会議などがあると、そこへ行って同時通訳などをやって、73年とか4年でもまだこれでお金を稼いでいるんですよね。もう有名作家だったのに。
──けっこう苦労しているんですね。
寺尾 そうです。お金をほしがらない人でもありましたけど。物欲もあまりなかったようです。
──そのくせ、自分のことをブルジョワ的保護主義だなどと言っていますよね。
寺尾 そうですね。ライフスタイルとしては、映画を見て、音楽を聴いて悠々自適に暮らすというのが生活スタイルの基本でしたから、そういう意味ではブルジョワなのでしょうね。ただ、裕福だったわけではない。
──別にイデオロギー的にそういうことを言っていたわけではない?
寺尾 そうです。
──ペロンのイデオロギー性が嫌だっただけで?
寺尾 とにかくナショナリズムを強制されるのが嫌だったみたいですね。お国を愛しなさい、みんなで敬礼して整列しなさい、と言われても、基本的に団体行動は嫌いですから。だから、そういう右へ倣え、黙って従えという雰囲気が好きじゃないんです。そのわりに70年代以降は共産主義に傾倒してキューバ支持に回りました。キューバにボロが出ている70年代以降になっても、ずっとカストロを支持し続けています。
──ここらで締めの言葉をお願いします。
寺尾 何度も言いますが、コルタサルの処女短編集をこういう形で出すことができて、ほんとに良かったと思います。彼も生涯ずっと、これを自分の最初の短編集だと言っていました。いくつも短編を書いているのに、この8つを厳選して1冊本にする、そういう趣旨で編まれた短編集ですからね。読者のみなさんには、若きコルタサルの意欲にぜひ思いを馳せていただきたいと思います。とかく51年のパリ時代以降にばかり注目が集まりがちですが、出発点はやっぱりブエノスアイレスにあることが、これを読むとわかるはずです。
──どうもありがとうございました。
(聞き手:今野哲男)