貞淑でやりくり上手な妻の死が、失意のどん底にいた夫に思いがけない大金ともはや解くことのできない謎を残す「宝石」。期限内に子どもができれば莫大な遺産を受け取ることができるという条件に焦り苛立つ親子と夫婦を描いた「遺産」など、計6篇を収録。
わずか10年間の作家生活で、驚異的ベストセラー『女の一生』をはじめとする長編の数々、300作を超えるヴァラエティ豊かな中・短篇を世に送り出したギィ・ド・モーパッサン(1850-1893)。
作家の絶頂期に書かれた中・短篇を集めたアンソロジー第2弾『宝石/遺産 モーパッサン傑作選』を訳した太田浩一さんにお話を伺いました。
──「モーパッサン傑作選」の第1弾『脂肪の塊/ロンドリ姉妹』から2年、このほど第2弾の『宝石/遺産』が発売されました。中・短篇のアンソロジーは全3巻を予定していますが、ひとまずお疲れさまでした。
太田 ありがとうございます。
──太田さんにはすべての収録作品をセレクトしていただいていますが、翻訳以前にとても大変な作業だと想像します。
太田 まずは「これは訳したい」と思ったものをいくつか挙げてみたのですが、これがかなりの数になりまして......。とても全3巻に選んだすべてを収めることはできません。そこで方針を決めて、特に優れたものが多い中篇を最低2つ入れて短篇と組み合わせて一巻を編むことにしたんです。それで自分の選んだものから、いま簡単に既訳が手に入るものを極力外してみました。
──なにせモーパッサンは300作以上の中・短篇を手がけたというのですから驚きです。
太田 すごい分量ですよね。ぼくはいつもモーパッサンのことを考えるとゴッホを思い浮かべるんです。モーパッサンは1850年生まれで1893年に亡くなっていて、ゴッホは1853年生まれで1890年に亡くなっています。
──あ! まさに同時代の人ですね。
太田 しかも、モーパッサンもゴッホもそれぞれ作家、画家として活躍したのは約10年間です。ゴッホはその間に油絵だけで800点ぐらい描いています。だから、短期間に馬車馬のように作品を残したという点でもよく似てるでしょ。ほかにもまだ共通点があって、二人とも梅毒を病んでいたと言われています。モーパッサンは最期にほとんど発狂して亡くなっていますが、ゴッホも晩年は精神病院に入院しています。
──モーパッサンの場合、心を病んだことが作風に影響を与えることはあったのでしょうか?
太田 晩年の作品はやはり、自身の精神状態を反映したものが多いように思います。第3弾に収録予定の中篇「オルラ」もその一つで、ドッペルゲンガーに悩まされる物語です。いわゆる怪奇ものに分類される作品ですが、あまりフランス文学にはそれに類したものがないんですね。そういう独自性の観点から傑作のひとつとして評価され、よく読まれています。
──よく読まれているといえば「脂肪の塊」は、おそらく誰もがタイトルは聞いたことのある代表作の一つだと思います。『脂肪の塊/ロンドリ姉妹』の目次には、「脂肪の塊」の下にカッコづきで(ブール・ド・スュイフ)とあえて記されているところに太田さんのこだわりを感じました。
太田 それはいろいろと編集部ともめたんですけどね。「脂肪の塊」というのはそもそもよくないタイトルだと思うんです。「塊」がよくない。かといってこれに代わるいい日本語が思いつかないんですよ。
──わたし自身、思春期に「脂肪の塊」を読んでみようと思わなかったのはこのタイトルゆえです。のちにプリプリむちむちでチャーミングな女性のことを指していると知った時にはびっくりしました。
太田 原題は Boule de suif ですからボールですよね、丸々とした、肉感的なおねえさんという意味です。そんなみずみずしく魅力的な娼婦の源氏名に、「脂肪の塊」なんて不気味で醜悪なイメージの名前をつけるわけがないんですよね。
──とはいえ、今風に「ぽちゃかわ」「マシュマロ女子」みたいな言葉だと軽いし原題からも離れてしまう。
太田 最初に日本語に訳した人も困った末に決めたのでしょう。有名なフランス文学者の辰野隆(たつのゆたか)は「脂饅頭(あぶらまんじゅう)」がいいだろうと言ったらしいですが、これはたしかに原題に近いような気もします。
──ちょっと日本の妖怪にもいそうですが......。
太田 だからぼくは「ブール・ド・スュイフ」という題名にしたいと言ったんです。でも編集部と相談して、一般の読者が「脂肪の塊」と同一作品とわからないのは困るだろうということになってこの形に落ち着きました。ついでに言うと長篇傑作『女の一生』も原題はUne Vieで「女の」という言葉はないので問題です。かといって『ある人生』とかそんな感じでは全然しっくりこない。英訳でも両作品のタイトルには困ったようで、原題どおりにはつけていないものが多いんです。
──大学入学時からフローベールと並んでモーパッサンもお読みになられていたとか。
太田 そうなんです。モーパッサンの作品、特に中・短篇は読みやすくて入りやすい作品が多いんですよね。作品集が出れば、その都度ほとんどを買い求めて読んでいました。
──太田さんは『感情教育』の翻訳も手がけていらっしゃいますが、作者のフローベールはモーパッサンの師匠ですね。フローベールから受け継いでいる気質みたいなものは何か感じますか?
太田 もともと詩に関心があったモーパッサンは、フローベールの友人である詩人のルイ・ブイエから詩の手ほどきを受けました。そして小説の方はフローベールから手ほどきを。特にフローベールからは、徹底的に文章を考えたり、推敲したりするという訓練を受けたみたいです。ですからモーパッサンは、10年間という短期間にたくさんの作品を書いているけれど、決して書き散らしたという印象はない。ずいぶん苦吟しながら書いているところがあるように思います。
──文章をつづる苦しみを告白したフローベール宛の手紙が、『脂肪の塊/ロンドリ姉妹』の解説で紹介されていますね。
太田 フローベールはよく「文体の苦悩」という言葉でその苦しみを吐露しているんですけれど、弟子のモーパッサンもまたそれを味わったわけです。また文章を書くことの手ほどきは、文体のみならず、ものの見方を学ぶことにも及びます。それについては、モーパッサンの長篇『ピエールとジャン』の序文が小説論になっていてそこに書かれていますよ。
──どの作品も心の不確かさ、傲慢さ、強欲さ、節操のなさなど、誰もが隠したい部分や見たくない部分を緊密な構成で浮かび上がらせています。作品からモーパッサンは複雑なものの見方をする人だろうとは想像できるのですが、どうもそれ以上はよくわかりません。
太田 そうですね。じっさいつかみにくいんですよ。そのまま「複雑な人物」としか言いようがない。自分のことや自分の考えなんかを表明するのが好きな作家もいますが、モーパッサンに関して言えば自己韜晦癖みたいなところがあって、私生活もよくわからないところが多いんです。
──底ぬけに明るい感じだけはしません。略歴を見てもご苦労が多そうというか。
太田 端的に言って、師匠のフローベールとは家庭の資産状況が違いますからね。フローベールの父はルーアンの市立病院の外科部長ですから上層のブルジョワです。モーパッサンの場合、フローベールのように定職にもつかずに好きなものを書いて暮らすことはできませんでした。海軍省を退職した後は執筆活動のみで生計を立てなくてはならなかったからこそ、より多くの、とっつきやすい作品を生み出す必要があったんです。新聞や雑誌にどんどん作品を発表して、ある程度たまってきたら短篇集にまとめる。そうすれば、二重に儲かるでしょう。
── 金銭的な苦労があったせいでしょうか。お金に狂わされる人たちの話が多いような......。さもしい言動も出てきて呆れるんですけれど、滑稽でもあり、古典ということを忘れて面白く読みました。
太田 19世紀の小説ではお金が描かれることは割と多いのですが、モーパッサンの場合、たとえば「遺産」では、金銭絡みで登場人物のものの見方が変わる様子がリアルに描かれています。黙っていても巨額の遺産が転がり込むと思っていた時は仲睦まじかった夫婦が、手に入らないかもしれないとなるといがみ合い、でもやっぱり手に入るとわかったらもう一転して仲良くなっちゃうという具合ですね。
── 「パラン氏」では、妻の不貞を女中からほのめかされた途端に、溺愛していた息子がパラン氏の目に突然怪物のように見えてくるとか、一瞬で人生の歯車が狂うさまが怖くもありおかしいです。別居後に偶然再会した時には、恥をかかせて復讐しようと声をかけて自分が被害者のように振る舞うけれど、同時に、俺の金で養ってるんだという優越感も透けて見えてむしろ恥ずかしい。
太田 モーパッサンの物語の主人公ってそんな人が多いですね。『女の一生』のジャンヌにしても、一見被害者のように見えるけれど、ある意味では人生を舐めているようなところがある。パラン氏については、自分がそもそも経済的に優位に立っていて、それによって若い妻と結婚できたことに自覚的じゃなかった。自分に資産がなかったらこの女性とは結婚できなかったとは、おそらく考えなかったんですね。
── 人生を甘く見ていたら、思わぬどんでん返しにあってしまった。
太田 「パラン氏」には他にも注目すべき点があります。父と子の関係です。じつはモーパッサンには隠し子が二人か三人いて、同居はせずにお金を送ったりしていたようです。「遺産」にも子どもができるかできないかの問題が大きく扱われています。本人がどんな感情を抱いていたかはまったくわかりませんが、作品に父と子の関係がたびたび見られることから、作家の執着したテーマだったと思われます。
──作品に垣間見える要素からモーパッサンがどんな人物だったのか推し量るほかないのですが、ほかにも、女性嫌いというか、女性というのは男性にとって訳の分からない、信用ならない存在だと考えていたようにも感じられなくもないです。
太田 モーパッサンは生涯独身でしたし、そういうところはあるかもしれません。イミテーションだと思っていたアクセサリーを宝石商に鑑定に行ったら本物で、思いがけず大金を手にする「宝石」もそれを匂わせていますね。貞淑でやりくり上手だと思っていた妻は、どうも夫に隠れて高級娼婦のようなことをやってたらしい。妻の生前はその秘密の収入おかげで豊かな生活ができたと想像させます。
──断言できないけれど、そうに違いないと思わせるいくつもの伏線がすごいです。
太田 鑑定に行くと宝石商が笑うんですよ。あの笑いの場面を読んだ途端に、ひょっとしたら主人公の妻が他の男とそこに宝石を買いに来たことを覚えていたのかもしれないとチラッとよぎりました。
──生々しく感じました、あの場面は。
太田 でも決して断言できるように細かいことは書いていない。そしたらかえって小説がつまらなくなってしまうかもしれませんしね。モーパッサンの作品は、このリアルな曖昧さがいい。だって、現実の世界だってそんなにすっきり割り切れるものじゃないでしょ。
──先述の、気持ちのありかたで同じものが違って見えることもそうです。登場人物たちは、われわれは不幸だとか幸福だとか語ってけれど、じっさいはどちらとも言い切れないんじゃないかと思います。
太田 「宝石」にしても結婚して幸せいっぱいで、愛妻が死んでどん底に陥ったけれど、残された宝石でお金持ちになったら楽しくなって、でも再婚したらまた不幸になっちゃった......と二転三転する話ですもんね。
──素晴らしいディナーで身も心も満たされていた老人が、ふと人生を振り返るうちに自分の中に不幸を見出して落ち込み、最後に自殺した遺体で見つかる「散歩」もまた然り。
太田 あれもなぜ老人が命を絶ったのか、いっさい書かれていないんですよ。話の流れから想像するしかない。だからモヤモヤが残る。このモヤモヤこそが作品に奥行きを与えていて面白いと思うんですよね。
──とっつきやすいテーマに分かりやすい筋立て、登場人物たちの俗人ぶり、そしてこのモヤモヤがいい。
太田 それゆえに大衆に愛され、読み継がれているんだと思います。フランスでは今でもモーパッサンのペーパーバックが続々と出ていますしね。
──翻訳についても質問させてください。太田さんは過去にもモーパッサンの翻訳を出されていますが、重複した作品は訳し直されたんでしょうか?
太田 ハルキ文庫とパロル舎から出したものがありますが、同じ作品であっても古典新訳文庫に入れるにあたって訳し直しました。原文はしっかり読んでいるので、翻訳自体を読み直して修正を加える感じです。言葉遣いや訳文の調子などずいぶん当時と違ってくるところがありました。
──訳し直す上で、登場人物の見方が変わることもありますか?
太田 短篇の場合はまずありませんが、長篇を訳し直す場合はありえます。たとえばフローベールの『感情教育』は、昔読んだ時と翻訳した時ではずいぶんと登場人物の印象が変わりました。これ、重要なんですね。訳す時は、この人物はこの状況でこういうセリフを吐くはずだろうと考えているわけです。そういう観点から見ると、過去の訳に不自然さを感じるところがずいぶんあったりする。あと、口調についても。昔と今では、とくに女性の話し言葉はずいぶん違っていますからね。
──親しい間柄や若い年齢層ともなると言葉からはほぼ性差を感じませんよね。
太田 昔なら女性は「〜ですわ」と語尾につけるのがお決まりでしたが、今はそんな話し方の女性は滅多にいません。かといって、まったく話し言葉の通りには訳せない。男女である程度違いを出さないと翻訳にならないんです。そのへんの按配が難しい。
──言葉の違いといえば、『宝石/遺産』収録の「悪魔」という作品にはノルマンディーの方言が使われています。他にもこういうモーパッサンの作品はあるのですか?
太田 中・短篇では、一つのジャンルになっているくらいたくさんありますよ。モーパッサンはフランス北西部のノルマンディー出身で、本人もそれを誇りに思っていたようです。このノルマンディーの方言をどう日本語に移すかというのが問題でしたが、フランスで出ている「ノルマンディー方言辞典」とか原書の注を参考にしてインチキ方言にしてみました。
──インチキ方言ですか?
太田 落語でもそうなのですが、方言というのは話す土地がはっきり限定されるようだとまずい。ですから、落語に出てくる方言は人工的なものなんです。つまり、いかにも田舎の人が話しているように作られた言葉ですね。それに倣って自分で考えてみました。でも、あんまりインチキ方言を多用するとやり過ぎな感じになってしまう。これも訳すときの按配が難しいんです。
──翻訳者は必要に応じてこんな風に言葉を作っていくこともあれば、一方ではやはり、正しくわかりやすく大多数に伝わる言葉を守っていく担い手でもありますね。
太田 普段話している言葉はそのままでは文章にはなりません。ぼくはヴィクトル・ユゴーの専門家の辻昶(つじとおる)先生に翻訳の手ほどきを受けたのですが、「君たちが最初からまともな日本語を書けると思っちゃいけない」と言われたものです。当時のぼくは30歳を過ぎていましたがハッとしました。
──翻訳よりも前に、まずは文章を書くところから始めなくてはいけないと気づかされたわけですね。
太田 そうです。それもごく一般的な文章をね。たとえば、週刊誌の文章などは参考になるから「お前、週刊誌の記者になったつもりでちょっと書いてみろ」なんて言われました。語学ができるだけじゃ翻訳者としてはダメですね、日本語を鍛えないと。
──何か心がけていることはありますか?
太田 翻訳する上では語彙力が重要なので、意識して増やす努力をしています。語彙が貧弱だといい訳文はできません。だから、ぼくはかなり前からパソコンの中に単語帳みたいなものを作っています。翻訳に使えそうな語彙を集めて、もう随分溜まりました。とくに同業者の翻訳の文章から拾うことが多いんですけどね。作家の文章よりもすぐれた翻訳者の文章の方が参考になります。
──作家には作家の言葉へのこだわりがあると思いますが、翻訳者よりも個人的な感覚が優先されていると言えるかもしれませんね。
太田 そうですね。翻訳者は作家以上に語彙が豊富でないとダメだとも言われるのはそういうところだと思います。辞書の言葉をそのまま使って翻訳文を作ることもまずないです。たとえば、フランス語の挨拶 « Bonjour! » を翻訳するとしますね。
──辞書的に日本語に置き換えるなら、まず「こんにちは」でしょうか。
太田 でも、日本語の「こんにちは」は「今日(こんにち)はごきげんいかがですか」みたいな言葉を略したものですよね。« Bonjour! » は「bon(よい)+ jour(日)」で「こんにちは」のことも「おはようございます」のこともある。« Dis bonjour à 〜! » の「〜にbonjourと言って」なら「〜によろしく」の意味になる。翻訳についてしばしば直訳とか意訳とかいったことが言われますが、その二分法もあまり意味がないですね。だって、« Bonjour! » の「こんにちは」にしてもある意味で意訳ですから。
──フランス語と日本語は、そもそも違う言語なわけですものね。
太田 そこをわかった上でいい辞書をたくさん引くことが重要だと思うんです。
──太田さんが翻訳するときにメインで使っている辞書はなんですか?
太田 日本の辞書では『小学館ロベール仏和大辞典』を一番よく使うし、フランスの辞書では『グラン・ロベール(Le Grand Robert de la langue française)』と『トレゾール(Le Trésor de la langue française)』ですね。『トレゾール』 はとくに優れていると思います。翻訳では、これらの大きな辞書を引いたあとに日本語として再構築していきます。そのときに一番使うのは「類義語辞典」。ほかに「てにをは辞典」もよく使います。後者は、ある動詞がどんな目的語を取るのかが一目でわかるんですよ。逆に言うと、ある目的語をどうしても一緒に使いたい場合には、どういう動詞が併用可能かわかるわけです。ものすごく役立ちますね。
──日本で知られていないものの名称なんかはどうなさってますか?
太田 動植物名に多いですよね。日本語でそれに匹敵するものがない時は、フランス語のカタカナ表記を使うこともあります。そういえば、動植物の名称は、近年、新聞・雑誌ではわりと日本語でもカタカナを使うことが多いでしょう。ぼくはあれには批判的な立場です。イメージが湧くように漢字を用いて、必要に応じてルビをふることにしています。カタカナではかえって分かりづらく、外来語なのかと勘違いしてしまうこともたまにありますから。
──たしかに! ところで、日本でも手にはいるけれどまだ一般的とは言い難い季節のフランス菓子「ガレット・デ・ロワ」は、「遺産」の本文では引っかかりなく読めるように「公現祭のお菓子」と訳されていました。さらに注で詳しく名称や風習について触れていて、こうやって注から異文化を知る楽しみもあるなと思いながら読みました。
太田 絵や写真をつけて説明した方がもっと親切だとは思いますけどね。注は翻訳の文章の理解を助けるものですが、多ければいいわけでもないのがこれまた難しいところで。注の必要性でいくと、フローベールの『感情教育』は苦労しましたね。あちらは歴史小説なので、当時のことを説明する注がいろいろ必要だったんです。最終的に注をどこまで削るのかで悩みました。
──モーパッサンの作品はその点では苦労が少なかったですか?
太田 題材を自分の身近にとった作品が多いからでしょうね。モーパッサンは歴史小説はほとんど書いていないし。そもそも新聞・雑誌に掲載する作品なので、特別な知識のない一般読者がすぐ読めるようなものを要求されていたわけです。難しく感じるようなことはあえて避けて創作していたのかもしれません。
──いわば大衆作家ですね。
太田 そうです。モーパッサンの特色としては、即興性が挙げられます。短篇なんていうのは、瞬間的な思いつきでいっぺんに仕上げちゃうわけですよね。そうした作家の意図した即興性のようなものは訳文に反映できたらと思っています。
──執筆速度は相当なものだったでしょうね。
太田 10月に古典新訳文庫から『三つの物語』が出ましたが、フローベールはあの3篇を仕上げるのに3〜4年をかけています。モーパッサンなら1か月ほどで書き上げるかもしれません。だからと言って、モーパッサンの書き方が雑だというわけではなくて、やはりそこは即興に文学の方向性を見出していたんだと思います。訳すのは即興とはいきませんからすごく苦しいんですが。でも、作家の書いたものを追体験できるのは楽しい。苦しくて楽しいのが好きなんです。そういう倒錯した感覚をみんな持ってるんじゃないかな、翻訳者は。
──苦しみの一つには、訳がなかなか進まないことがあると思うのですが。
太田 そういう場合、ぼくは一旦机から離れて原文を記憶しちゃいます。無理に暗記するわけではなくて、気になるところはどうしても頭から離れなくなる感じですが。それで、たとえば大学で授業をやってる時に、突然、いい訳文のアイディアが浮かぶことがあるんです。散歩をしている時なんかも。
──忘れないようにその場でメモをしたりするんですか?
太田 いつもノートを持っていればいいんだけど、さすがに面倒でしていないです。あとで一生懸命思い出そうとしますが、全部は難しいですね。でも一度アイディアが浮かんでいれば先に進むことができます。
──いい訳文ということになると、さまざまな要素、さまざまな考え方があると思います。たとえば、原文が一文で述べているのなら日本語訳もそうすべきとの考え方もありますが、太田さんの立場はいかがですか。
太田 モーパッサンの作品には入り組んだ構造の長い文章がけっこう出てくるんです。その点、かなり訳しにくい作家だと思います。ぼくは、場当たり的に考えるのですが、わりと文章を短く切ってしまうことが多いですね。そうでないと、訳していて論理のつながりが見えてこないですし。何よりも読者にとって分かりやすく、ストレスなく読めるのが大切です。
──ストレスは訳者が感じていればいい?
太田 そうですね(笑)。
──最後に、現在準備中の「モーパッサン傑作選」第3弾に収録を予定している作品をいくつか教えてください。
太田 モーパッサンのいろいろな傾向がわかるように、6〜10の作品で編もうと思っています。メインの作品には「オルラ」、それから「オリーブ園」という中篇を考えています。後者は「オリーブ林」とか「オリーブ畑」という題で既訳もありますが、これはさきほどお話しした父親と子の関係が核心となっている作品です。これらに添える短篇は検討中です!
──ありがとうございました。 楽しみにしています。
(聞きて:丸山有美、中町俊伸)