古典新訳文庫ブログのインタビュー〈女性翻訳家の人生をたずねて〉に、新しいシリーズが加わります。本という媒体ではなく、〈映像〉の世界で外国語を日本語に翻訳している女性たちにお話を聞いていきます。そもそも不可能か?とも言われる翻訳を、さらに短い文字制限で日本語にするというマジックへの挑戦者たち。しかも、英語以外の外国語を扱う翻訳者のシリーズです。字幕や映像翻訳という仕事の苦労と魅力、その言語との出会い、子どもから大人に成長する過程でのアレコレ。"不実な美女たち"の「妹」シリーズとして、ご愛読いただければ幸いです。
ドイツ語の吉川美奈子さん、スペイン語の比嘉世津子さんというように、映像の字幕翻訳に携わる女たちに聞くこのシリーズ、第3弾は、韓国語の福留友子さんにご登場いただきます。11月には福留さんが手がけた映画「国家が破産する日」が公開されます。
ドラマ、映画で精力的にお仕事をなさっている福留さんの原点はどこにあるのか。韓国翻訳一直線!というわけではない紆余曲折、それでも赤い糸がどこかでつながっている偶然と必然の旅を、ご一緒にたどってみましょう。
政府間の関係がギクシャクしても、互いの文化や言語に惹かれる人がいて、ドラマや映画、音楽や文学の交流の影には、言葉の架け橋となる翻訳者・通訳者がいます。日本が戦争に負けた日は、植民地として支配されていた朝鮮半島の人たちにとっては解放の日です。異なる視点、違う文化や言語だからこそ交流の歓びがあるという思いからの連載です。
福留友子さんプロフィール
ふくとめ ともこ 1969年5月1日生まれ。三重県立四日市高等学校を卒業後、東京学芸大学に進学。東京学芸大学大学院教育学研究科修了して、大手進学塾の専任教務社員に。映像翻訳会社で字幕翻訳スタッフとして働いた後、フリーランスで韓国語の字幕翻訳者として活躍中。
代表作は映画『冬の小鳥』『ハロー!?ゴースト』『ソウォン/願い』『バトル・オーシャン/海上決戦(原題:鳴梁)』『ベテラン』『華麗なるリベンジ』『ザ・キング』『リトル・フォレスト春夏秋冬』『麻薬王』『サバハ』、ドラマ『イニョン王妃の男(吹き替え)』『グッド・ドクター』『花郎<ファラン>』『SUITS/スーツ〜運命の選択〜』『スイッチ~君と世界を変える~』ほか。
構成・文 大橋由香子
에피소드(エピソード)1 ハングルとの出会いは、母からのプレゼント
에피소드(エピソード)2 韓国との遭遇、そして「これで食べていく!」という決意
에피소드(エピソード)3 進学塾で働きながら翻訳への道を暗中模索、そこにやってきた韓流ブーム
韓国で「食べていく」覚悟を決めた福留さんが、翻訳という道の入り口に立ったのも、大学院時代だった。
大学院では、文化人類学のゼミで韓国の親族組織を専門としながら、朝鮮近現代史のゼミも続けていた。そこで、日本の植民地時代の『開闢(ケビョク)』*という総合雑誌を日本語に翻訳して、レジュメにまとめ、順番に発表するという機会があった。
大学院の入試では「他の追随を許さない」と評された韓国語の実力を持つ福留さんだが、この時に大きな発見があった。
「自分で外国語を読んで理解するのと、それを翻訳して読み手が理解できるような日本語にするのとは、全く違うということを思い知らされました。翻訳って難しいなあと痛感すると同時に、その面白さにも目覚めました」
翻訳への気づきとともに、日本帝国主義が植民地にした朝鮮について、そして日本人=植民者としての自分の位置も自覚するようになった。
一方、フランス語では、研究のベースとなるレヴィ=ストロースの『親族の基本構造(Les Structures élémentaires de la parenté)』や『悲しき熱帯(Tristes Tropiques)』などを原語で読んだ。
「レヴィ=ストロースの理知的で美しい文体に、とても感銘を受けました。このような論文や作品を、その原語のニュアンスを最大限に損なわないで日本語に訳してみたいと感じるようになったんです」
研究者志望の福留さんの将来の夢に、こうして翻訳の仕事も加わっていく。
好奇心いっぱいで、いろんなことに興味を抱いた東京学芸大学での日々。そして「韓国の父系親族組織」についての論文を書き上げ、修士課程を修了する。
ところが、博士課程に進学する段階で、福留さんは悩む。
この頃から、大学研究職の新規ポスト数より博士課程修了生の数が多くなるオーバードクターの傾向が強まっていく。研究職で食べていけるか不安定な時代になったのだ。
「苦学生だった私にとって、博士課程に進むのはかなりの冒険です。所属サークルは冒険探検部でしたが(笑)、チャレンジするには冒険すぎると躊躇しました。ひとまず社会に出て、資金が貯まったら大学院に戻ろうと思って、大手進学塾で働くことにしました」
こうして、最初の仕事先は、翻訳とも韓国語とも無縁な会社だった。研究も続けられるように、フルタイム正社員ではなく、週4日勤務の契約社員になる。
仕事内容は、小学生、中学生に文系の科目を教えること。週4回でも、かなり忙しい毎日だった。
お金を貯めて大学院に戻るまでの「腰掛け」だったはずだが、仕事に追われるなか、次第に学問への興味は薄れていく。 ところが、翻訳への関心はますます強まっていった。
学問の道から翻訳へ、最初は英日のビジネス翻訳だった
「塾の仕事をしながら、翻訳を副業にしようと思い、ネット上のオーディションを受けたり、翻訳学校の通信教育の講座を受講したりしました。英語から日本語への翻訳です。当時は、韓国語でトライアルを実施している翻訳会社が少なく、英語のトライアルを受けることが翻訳業界への近道だと考えたからです。
翻訳会社にも登録して、少しずつ英日の翻訳を受注できるようになりました。大学院での経験から、論文や学術書の翻訳を希望していましたが、そういうジャンルの仕事は皆無でしたね。英語のビジネス文書、一般文書、ITなど実務翻訳が主でした」
進学塾で小中学生に勉強を教え、副業として英語の翻訳を細々と続け、フランス語からはすっかり遠ざかっていた。
韓国映画やドラマは好きだったので、CSの韓国語チャンネルを契約して、韓国語には触れる生活を送っていた。
出版翻訳を専門とする翻訳会社にも登録したことで、韓国語の文学作品のリーディングや下訳、雑誌の翻訳が来ることもあった。
そんな時、ペ・ヨンジュン主演のドラマ「冬のソナタ」をきっかけに韓流ブームが到来する。福留さんが翻訳をしながら進学塾で働くようになって8年が経過した2004年のことだった。
韓国語を日本語にする仕事の需要が激的に増していく。
このブームの影響もあったのか、韓国語に特化した小さな字幕翻訳会社が社員を募集した。福留さんはその募集案内を偶然にもネット上で見つけ、さっそく応募し、採用される。
最初は進学塾の講師も続けながら、字幕翻訳会社で在宅勤務で仕事をしたが、やがて進学塾は退職した。
「この会社で、字幕翻訳のイロハを教わりました。CS放送などを中心に、爆発的に増えた韓国のコンテンツ、特にドラマに字幕をつける仕事に従事しました。
字幕は一瞬で消えてしまうので、原音の雰囲気やニュアンスを生かしながらも、平易さ、つまり、わかりやすいことが望まれます。特殊な作品以外は、『中高生くらいでも理解できる』のが基本です。塾の講師として小学生中学生が習う基本的な知識を確認できたことは、字幕の仕事をする上で役に立ちましたね」
フランス語への思いもあり、渋谷にある映画美学校で、寺尾次郎さんの字幕翻訳講座も受講した。2018年に逝去された寺尾さんからは、フランス語、英語を日本語にする翻訳のテクニック以上に、映画作品への愛や、字幕へのこだわりを学んだ。
ある時、映画美学校を通じて、東京国際映画祭に出品する韓国映画の字幕をやってみないかと声をかけてもらった。映画祭の仕事は納期が短いが、もちろん引き受けた。その映画が「冬の小鳥」である。
韓国語関係の翻訳会社に所属して約3年、2009年に韓国語のドラマと映画のフリーランス字幕翻訳者として独立する。
社会は変わっていく、民衆のパワーが韓国映画の魅力
韓国映画の魅力というと、ノワール、サスペンス、スリラーなどを取り上げて、「社会の暗部を容赦なく生々しく描写し、それがエンタメとして昇華されている」と答える人が多いが、それ以外にも数多くの多種多様な映画が作られていると福留さんは語る。
「韓国映画からは、独立や民主化、よりよい社会を勝ち取ろうとする、あるいは勝ち取った民衆のパワーのようなものが感じられるんです。それが魅力のひとつだと私は思います。
学生時代に1980年代の韓国ニューウェーブの作品を何本も見ましたが、この時代の映画は本当にパワーに溢れていました。
実は私は院生時代に、レヴィ=ストロースをバイブルに、親族関係を中心に韓国の社会構造に着目した研究をしていました。韓国社会はそう簡単に変化しないだろうと予測していたんです。ところが、21世紀に入ると、ものすごいスピードで大きく変化しました。まさか、変わるなんて! と目を見張りました。スタティックな変わらないものを自分で追い求めていたのに、社会はいくらでも変わっていく。私は変化しない社会を見ようとしていたのかもしれない、と気づかされました」
このことも、研究をやめた理由のひとつかもしれないと、今、福留さんは振り返る。
「映画の話に戻すと、そういう変化の中で浮上した社会問題なども、リアルタイムで映画の題材にされます。これって日本映画ではありえないことです。より良い社会を求める民衆のパワーが、社会を変化させた力が、韓国映画を進化させているような気がしますね」
こうした映画の魅力を伝えるにあたって、字幕翻訳で心がけていることを伺うと、似て非なる国だからこそ、日本人が見て違和感のないようにしていると答えてくれた。具体的には、どういうことだろうか。
「例えば『恨む』『憎む』『愛する』などの感情表現が、しょっちゅう出できます。状況から考えると、なんでこんなに大げさに? と見えることも多く、感覚が日本人と違うので、そのまま訳すと、日本人にはきつい感情表現になってしまいます。そこで、話者や聞き手の表情、ストーリーと照らし合わせて、しっくりこない場合は、表現のトーンを落とすこともあります。
と同時に、その激しさこそが韓国固有の文化であり、作り手の意図が反映されているのだとすると、安易に表現を和らげたり変えたりしていいのだろうかと、常に葛藤しています」
かつて朝鮮半島を植民地支配した日帝(日本帝国主義)への恨みを晴らすというストーリーも多く出てくるが、日本への非難が強くなりすぎないような配慮も必要とされる。
「普通の現代ドラマでも、実は日本への恨みを晴らすのがモチベーションだった、というのが突然出てくるんです。最近は減ってきましたが。日本への非難をもっとソフトにと制作会社から指摘されることは経験上わかっているので、あらかじめ控えめな表現にします。訳のせいで、映画館への業務妨害などがあったら困りますし、そのへんは、一翻訳者が責任を負えませんから」
日本の放送界では使えない差別用語も、韓国映画ではしょっちゅう出てくる。時代劇の翻訳での差別用語などの規制は、地上波、BS放送、CS、DVD、劇場の順番に強いと感じるそうだ。「妾(めかけ)」はダメだろうから、「そばめ」にしたところ、「愛人」に直されたこともあった。
また、韓国映画やドラマのファンに聞くと、女優さんの低くて太い声色、きつく聞こえるセリフが魅力だという声が多い。吹き替えでは味わえない、字幕の醍醐味である。
この点について、各言語のピッチの高さに関する研究によると、日本語女性も高いがドイツ語女性も高く、フィンランド語は低いなど、言語による傾向があるそうだ。韓国語話者(女性)は、日本語話者(女性)のピッチに対して、比較的低いという 英語論文を福留さんが教えてくれた。
女性のセリフについて、福留さんはこうも話す。
「釜山方言はきつく聞こえるなど、地域による違いもありますね。それから韓国語には、日本語の「~だわ」「~よね」のような女性特有の語尾はありません。だから、性別をぼかさなければならないセリフがある時や、男女で同じセリフを言う時には、翻訳にかなり苦労します」
福留さんの仕事スタイルは、朝5時ごろに起床。ドラマの仕事の納品時刻は午前10時が多いので、もう一度見直すために早めに起きる習慣だという。納品のあとは新規の仕事をして午前0時過ぎに就寝。土日祝日も関係ない。「この仕事を始めてから、全く仕事をしなかった日は、何年か前にインフルエンザになって寝込んだ時だけです」というハードな日々を送ってきた。
ドラマと映画で、翻訳の際の違いはあるだろうか。
「作品にもよりますが、映画のほうが流れを作るのが難しいです。ドラマは比較的、細かいところまで丁寧に描かれていて、理解の助けになる情報がたくさん盛り込まれているので、字幕にまとめやすいです。
一方、映画はセリフがかなり練られていて、必要最低限のものに絞られていることも多く、翻訳者自身が“行間を読みながら”、過不足なく分かりやすい字幕にしていく必要があり、苦労しますね。納期が短いのはどちらも同じで厳しいですが、ドラマは長いシリーズものが多いので、とくに体力が必要です」
福留さんは、趣味が多い。ところが、子どもの頃から好きだった絵を描くことは高校に入学した時に、吹奏楽部で出会ったクラリネットは大学入学時にやめてしまった。学生時代から始めた山登りや、一時期ハマった好きな刺繍も、字幕翻訳の仕事をするようになってから楽しむ余裕がなくなった。
今、夢中になっているのは、数年前から再開した海外旅行だ。年に3回は旧社会主義国の東欧諸国や、ヨーロッパの火薬庫であるバルカン半島の国々を中心に旅している。
「最初に旧社会主義国を訪れたのは、1993年でした。ソ連崩壊後、資本主義に接した庶民が、使いかけの石鹸や、表面が錆び付いた缶詰などを手に持って、街頭にずらりと並んで売ろうとしていた姿に驚きました。需給による価格決定や競争という概念もなく、ただ現金を得るために物を売っているという状況で、市場経済の萌芽を目の当たりにしたようで衝撃を受けました。
また、社会主義という思想が人々をつなぎとめていたという歴史、国家のイデオロギーの転換により、人生が左右された人々のその後を見たくて、今は足しげく東欧に通っています」
ベルリン国際映画祭には毎年通っている。日本では上映されそうにない、これらの地域の映画を見るのが恒例行事だ。
「映像では韓国の風景をずっと見ているのですが、今年の春、13年ぶりで韓国に行きました。街がきれいになっていたのと、マナーが良くなっていたことに驚きました。それから、コソボには行ったことがありますが、小学生の時に憧れたアルバニアはまだ行っていません。今年中は無理かもしれませんが来年には訪れたいです」
子どもの頃からの、好きなことや興味を持ったことが、韓国語の映像字幕という今の仕事に結晶している。途中の遠回りに見えるような出来事も、どこかで字幕翻訳に繋がっている。
(続く)
東京の神田神保町の交差点から歩いて1分、チェッコリは、ビルの3階にある。細い階段を昇ると(2階からはエレベーターもあり)現れるかわいいお店。中に入ると、色とりどりの本や雑貨が並んでいる。韓国語の書籍が約4000冊、日本語で書かれた韓国に関する本や学習書が約500冊。本棚に囲まれたテーブルでは、お茶やお菓子もいただける。文字どおり「韓国の本とちょっとしたカフェ」なのだ。
私が訪れた日、入り口のコーナーは「文学で旅する韓国・大邱編」と銘打ち、大邱を知ることができる本の表紙が並んでいた。中の本棚には、「自分でも詩を書いてみたくなる」「本屋が書いた本たち」「恋に落ちたあなたへ」「いま話題のフェミニズム本」「店長のオススメ」と、独自の分類がされていて、本探しのヒントにもなる。同じビルにある出版社クオンの「新しい韓国の文学」シリーズも揃っている。
韓国の本に関するブックトークなどのイベントも開催している。すぐに満員になってしまうので、早めのチェックが必要のようだ。
ハングルの本を手にしたいとき、韓国の餅菓子とお茶で、まったりしたいときに、ぜひ足を運んでほしい。
取材・文 大橋由香子
大橋由香子(おおはし ゆかこ) プロフィール
フリーライター・編集者。月刊「翻訳の世界」(バベル・プレス)やムック「翻訳事典」(アルク)等で翻訳者へのインタビュー取材を手がけてきた。光文社古典新訳文庫の創設時スタッフでもある。著書『同時通訳者 鳥飼玖美子』『生命科学者 中村桂子』(理論社)『満心愛の人 益富鶯子と古謝トヨ子:フィリピン引き揚げ孤児と育ての親』(インパクト出版会)『異文化から学ぶ文章表現塾』(新水社、共著)ほか。