純粋で真面目な青年ドン・ホセは、これまで会ったこともない魅力を持った女性カルメンに心を奪われる。自由奔放な彼女に振り回され、ホセは悪事に手を染めるようになり……。
バレエやオペラの題材としても人気が高い「カルメン」。黒人奴隷貿易を題材に、奴隷船を襲った反乱の惨劇を描いた「タマンゴ」。プロスペル・メリメ(1803-1870)の傑作中編2作を訳した工藤庸子さんにお話を聞きました。
──『カルメン』といえば、オペラやバレエでご存知の方が多いですよね。
工藤 メリメを読んでくださる人は、そんなに多くはないでしょうね。わたし自身も、初めて『カルメン』に触れたのはオペラです。高校に「オペラ部」というのがあって『カルメン』は演し物の一つでした。
──え、オペラ部ですか!?
工藤 今の筑波、昔の教育大の附属高校ですが、「日本で最初の高校オペラ部」らしいです。面接試験のときに「ピアノ、趣味ですか?」とか熱心に訊かれるので変だなと思ったんですが、その人が音楽の先生で、入った途端に伴奏ピアニストとしてスカウトされて。歌手の生徒たちもスカウトされたのかな……たぶん自主的だと思う。皆、とても楽しそうで、賑やかでしたよ。藤原歌劇団とか、二期会とか見に行ったりもして。
──そこでかなり本格的にオペラをやることになった。
工藤 音楽プロデューサーになった卒業生が、一生懸命指導してくれてね。カルメン役の子なんて味も素っ気もないと言っちゃわるいけど、ただの綺麗で真面目な女子高生。ところが公演当日は胸の開いた真っ赤なサテンのフリルのドレスを着て……「こんなに開けちゃいやだ!」とか言ってましたけど。衣装も自分たちで縫ったんです。それで、先輩の女性がお化粧させてくれると、けっこう「化ける」んですよ。文化的に非常に面白い体験だったと思います。
──高校生の工藤さんは『カルメン』をどう理解していましたか?
工藤 大してわかってないと思います。だいたい女が男を誘惑するというメカニズムに大して興味もないわけですよ。うぶな女の子はね。だから音楽として面白いというぐらい。
──原作となった文学の、メリメの『カルメン』に触れたのはもっと後のことで?
工藤 そうですね。白水社から1974年に出た『フランス文学事典』という、当時で2万円もした、文学研究の結晶みたいな事典がありました。それには『カルメン』や『タマンゴ』が別項目で立てられて、きちんと解説されていた。メリメの評価も高かったし、よく読まれていたんです。端正な19世紀小説の傑作としてね。
──その頃の『カルメン』の印象は?
工藤 昔は男性作家による「恋愛小説」は、基本的に「女性賛美」なのだという了解があった。わたしも若い頃は、そう教えられて、まあ、そのつもりで読んでいたのだけれど。じつは19世紀は、夫と人妻と青年の三角関係を描いた「姦通小説」の時代なんですよね。
──19世紀の小説というと、女性賛美よりも、むしろ女性が虐げられていることが多い気が……。
工藤 「姦通小説」の時代には、女性が法的な権利を持たなかった、なんて話は、文学研究の中に女性が入っていくことによって、初めて言えるようになった。扱う主題が「恋愛」にせよ「姦通」にせよ、メリメみたいな独身作家たちの実生活はひどいものですよ。それはフーロベールだって同じ。
──そういうひどい、いや、男性中心主義的な生き方を貫いてきたメリメが、男に縛られない自由奔放な女カルメンを生んだのがなんとも面白い。
工藤 これはクンデラが言ったことですけど、小説は、それを書いた人間より聡明なものなんです。書くことによって何か一つ上の段階が見えてしまうのかな。メリメはあの時代に立ち上がりつつあった知の領域に目を凝らして、その成果を貪欲に作品に取り込んだ。それで、一人のジプシー女が真摯に生きたとしたらどうなるかというフィクションを構築していったら、自由な女が現れちゃったのかもしれません。これが文学の奇跡というもの。フーロベールの『ボヴァリー夫人』もそう。フェミニスト的な読み方をするなら、エンマは男に幻滅して、男なんてろくなもんじゃないとはっきり宣言して、死ぬ。もう嫌です!という拒絶、その潔さみたいなものは別格でしょ。やはり文学の不思議さだと思う。
──たしかに、エンマが今の時代にいたら、全然違う生き方を選んでいた気がします。カルメンは、女性が憧れる同性というか、とにかく自由な女で情熱的でかっこいい。
工藤 「自由な女」という読まれ方は、わりと後から出てきたものですね。メリメは知識人としては知られていたけれどベストセラー作家ではなくて、1875年のビゼーのオペラのおかげで、ようやく『カルメン』が一般に知られるようになった。オペラ自体は、カルメンの強さとか、主体性みたいなものを、必ずしもその作品内で造形していないような気がする。鈍重な田舎者に愛想を尽かして、颯爽たる闘牛士に惚れこんで、新たな愛を貫こうとした一途な女というのが、おそらく一般的な解釈。オペラやバレエの場合は、それこそ演出次第で、何でもできちゃうんですけどね。「革命の女」だとか、極めつきの「娼婦」だとか……。
──カルメンは、男性にしてみると、近づいてみたいけど火傷してしまいそうなギリギリの魅力を持っている女性ですね。
工藤 そこは翻訳者として演出したかったところです。よくいう「移り気な女」というのは、女性の側からすれば、どうでもいいやんか(笑)、という感じ。「愛は移り気」というのは、たぶん一つの真理ですけどね。カルメンには、もっといろいろなものがある。
──移り気ではありますが、ロミ(女房)とロム(亭主)の関係の中ではすごく忠実だったりもする。
工藤 そういうところが生身の女としてすごく魅力的でしょ。愛する男に尽くすとなったら徹底して尽くすけど、男の大怪我が治ったら、あとは知らないよ、と言って消えちゃう、とか。
──「悪女」とか「魔性の女」というおきまりのレッテルもありますよね。19世紀のフランス小説のヒロインだと、たとえばマノンとかナナと並ぶような。
工藤 「カルメンとマノンとナナ、誰が好き?」って、男と女が一晩かけて話をしても良さそうですね。それぞれが自分で考えればいいことだけど、わたしの見方を一言だけ。決定的に違うのは、カルメンにはマノンやナナのような底なしの「娼婦性」はない。マノンやナナは「自由」という言葉がキーワードになってはいない。
──『カルメン』の冒頭にギリシャ語のエピグラフがありますね。「女は総じて気むずかしい。大人しい時はふたつだけ。一方は床のなか、他方は墓のなか」という。
工藤 女は手なずけられないという、いかにもメリメみたいなミゾジニー(女性蔑視)の男が言いそうな台詞だけど、大きな文脈では、19世紀とはそういう時代だったということです。逆説のようですが、小説のヒロインになるのは、反抗する女、単純に健気ではない女。
──だからこそ、自由な女は悪女や魔性の女ということにしないと話が収まらなかったのかもしれない。あと、工藤さんの訳を読んでドン・ホセの印象が変わりました。頑張り屋さんのいい青年だなあと。
工藤 ビゼーのドン・ホセはだいたい評判が悪いですよね。純情で平板で。結局は引き立て役でしかない。オペラの場合は、女声はソプラノからアルトまで、男声はテノールからバスまで、どちらも対比的な2組のキャラクターを立てるのが基本だから、登場人物の配置が異なる。ドン・ホセと婚約者のミカエラの清純な愛がなければ、カルメンと闘牛士エスカミーリョとの愛の華やぎが成立しない。
──ビゼーのドン・ホセは、未練がましいというか愚痴っぽい印象です。自分やったことをいちいちカルメンのせいにするんじゃないよ!と言いたくなってしまう。
工藤 あ、それはね、あなたが若い世代の覚醒した女性だからでしょ。正しいかも。つまりドン・ホセがひ弱に見えるわけね。
──工藤さんの訳では、彼女の魅力に参ってどうにもならなかったと潔く認めている。まっすぐな男性だなと感じました。
工藤 ドン・ホセは自分を分析する言語を持っている。ドン・ホセ自身の語りを通して、それが読者に伝わるように訳したいという気持ちがありましたね。カルメンは、ならず者の世界で、犯罪の瀬戸際で生きてきた女ですから、ホセの実直で、じつは教養もあって、逞しい男であるところに、強く惹かれたんだろうと思う。
──ドン・ホセはバスクの男、カルメンはジプシーの女。二人の出自は、物語を通してずっと意識させられました。
工藤 うまく造形されてますよね。ドン・ホセは、この物語の本体をなす出来事の報告者で、ドラマの実質的な語り手です。とても誇り高い人物なんですが、このキャラクターはバスクの出身であるという設定と深く絡んでいる。いきなり言っても何のことかわからないかもしれないけど、19世紀のフランスには「孤高の民バスク」という了解があった。その民族性がはっきり出ていて面白いと思います。
──当時のヨーロッパで、バスクの民はどんな存在だったんでしょう。
工藤 なんとなく「謎の民」ではあったみたい。ジプシーは外から入ってきた「不穏な民」だけど、バスクはヨーロッパの先住民です。早い時期にカトリックに改宗したという意味でも「正統性」を持っている。16世紀には、フランシスコ・ザビエルとかイグナチオ・デ・ロヨラとか、イエズス会の創立者たちがバスクから出てくるわけですよ。ヨーロッパ文明の宗教的な拠点でもあり、単なる田舎者じゃない。大学も立派なものがあった。しかも高い山の上に住んでいる。当時のトポグラフィックな感覚からしても、ある種の敬意は払われていたと思います。山の上というのは高みですからね。
──よくわからない存在として畏怖の対象だった?
工藤 そういうこともあるかもしれません。たとえば、バスク語って周辺の言語と全然違うんですよ。古いことは確かだけれど起源がわからない。その「わからなさ」が、バスクとジプシーでは質が違う。
──ジプシーが「不穏な民」として迫害の対象になってきた理由がそこにある。
工藤 ジプシーは、中世末期からすでに差別の対象になっていたらしい。土地に定着することが文明の基盤だというのは、ヨーロッパの本質みたいなものですから、貧しい流浪の民であるジプシーが常に差別の対象であったのは間違いない。その一方で、定着した住民のすべてを均質な「国民」として統合する「国民国家」というものが出てくれば、排除のシステムもそれだけ強化されていくわけ。それで19世紀には、ジプシーはもちろんのこと、黒人やユダヤ人に対する「自分たちとは違う」という、他者意識みたいなものが強烈になっていくんだと思う。
──差別といえば、「ジプシー」は蔑称だという考え方があります。実際、日本の放送メディアでは、代わりに「ロマ」と称するのが一般的になっている。新訳にあたってそこはどのように考えられましたか。
工藤 メリメは作品中で「ジプシー」だけでなく、「ボヘミアン」「ヒターナ」などを使い分けている。これを忠実に再現するよう努めました。カルメンは、最後の「決め台詞」では、自分を「カーリ」と名指しますが、日頃から劇的な演出効果を伴うようなやり方でロマーニ(ジプシーの言葉)を導入する。そういうヒロインを生んだ作者メリメの言葉のセンスは、抜群なんです! かりに、日本語訳に際して、「ジプシー」という言葉を全部「ロマ」という中立的とされる言葉に置き換えてしまえば、「自分の言語によって自由を定立する女」というカルメンの主題そのものが破壊されてしまう。
「おまえさんはあたしのロムなんだから、おまえさんのロミを殺したらいいんだよ。でも、カルメンはいつだって自由なのさ。カーリ[ジプシーの女]と呼ばれる女に生まれたんだ、カーリのままで死なせてもらいます」(『カルメン/タマンゴ』p.170)
──いやあ、この決め台詞はかっこいい。 スカッとします。
工藤 「こんなこと言ってみたかった!」みたいな台詞でしょ。女として訳者冥利に尽きる。これを男性の翻訳者にやらせることはないという気がします。
──カルメンの肝の座り具合がよく出てますね。
工藤 そう。それで、これを「ポリティカル・コレクトネス」の配慮で「ロマ」って書き換えちゃったら、文学ってまったく成り立たない。カルメンは、ポリグロット(多言語話者)です。密談をするときにロマーニ語を使う。ドン・ホセを罵るときにバスク語を使う。たくさんの外国語に相当するものを適当に習得して、その中で思考して、ここで人間関係に最終的な決着をつけなくちゃというときに、見事に自分の意識を言語化してるわけじゃないですか。
──フランス語の中にポコッと「ロミ」とか「ロム」という言葉が入っているのに、それが決して借りてきた言葉になっていない。
工藤 浮き上がって見えるけど、なおのこと、すごい力を持っている。メリメは言葉の持つ力というものに対して、とても繊細な感性を持っていますよね。その意味で一流の小説家。カルメンがジプシーじゃなかったら面白くないでしょ。この作品のおかげで、世界中の男が、ジプシーというだけで、カルメンみたいな女を夢想するようになっちゃったんだから、すごいことですよね。
──罪ですねえ。学生時代に読んだ、たしかフランス近代の小説に、黒い髪の女性に勝手な恋の幻想を抱く男性が出てきたんです。それを先生が、ジプシー女性の黒い髪というのは、当時のヨーロッパの男性に甘美でエキゾチックな欲望を抱かせるものだったと解説していたのを思い出しました。
工藤 そうね。でも実際には、ジプシーは特別に美しいものではなくて、普通の人たちですよね。
──造作が美しい人もいるかもしれないけれど、ジプシー自体がそうというわけではない。
工藤 メリメも、カルメンがそんなに美女だとは書いてないです。整った美女ではなくて……でも表現がうまい。わたしは「すがめ」と訳しましたが、目がね、たぶんちょっと開いているんだと思うんです。これを「やぶにらみ」と訳しちゃうと、あまり色気がない。きっと焦点が合わないような目をしているんですよ。
──有名な『カルメン』と一緒に、一般的にあまり知られていない、黒人奴隷の反乱の物語『タマンゴ』を収めたわけですが、工藤さんが『タマンゴ』に着目したのはどういったところからですか?
工藤 スタール夫人(1766-1817)のことを学んでいるうちに、奴隷制度との関わりという問題が浮上してきたんです。スタール夫人の父親でルイ16世の大臣だったネッケル、スタール夫人、その息子であるスタール男爵(オーギュスト)は、三代にわたって「奴隷貿易の廃止=禁止」に深く関わっています。オーギュストとメリメは、同世代の親イギリス派として接点があったはず。1997年に新書館で訳した『カルメン』を古典新訳文庫に収めないかというお話をいただいたとき、『タマンゴ』と並べることで、新しい読解の視点を読者に伝えられると思いました。ジプシー女と黒人奴隷という一見縁もゆかりもなさそうな主題を組み合わせることで、メリメが「異文化」「異民族」といかに向き合ったかを描出することができるだろうとね。
──民族に対するステレオタイプや宗教感情などが、どちらか一方に肩入れしないで扱われている気がしました。
工藤 メリメは19世紀前半、黎明期の民俗学、民族学、比較言語学、人類学、さらには外国語の習得などの知的な枠組みをとおして異文化を考察した人です。土地の征服に直接かかわったことはない。彼には帝国主義的な排除の論理はないだろうとわたしは思っています。
──目次の順番を、『カルメン』の前に『タマンゴ』にしたのにはどういう意図的が?
工藤 どっちでもいいかなとは思ったんだけど、もともと『タマンゴ』のほうが先に書かれた作品ですし、新鮮なものが先に来たほうがいい。『カルメン』の付属物にしてしまうよりもね。『タマンゴ』の解釈は、わたしなりに新しいものを出せたと思ってます。ポストコロニアル批評に関心にある先生が教室で使ってくれれば、豊かな教材になるはず。そのために、注もたくさんつけました。
──奴隷制度に関する研究というのはわりと新しいものだとか。
工藤 2001年に『Passages―De France et d’ailleurs 東京大学フランス語教材』(東京大学出版会)というものを作りました。ここで意識的にポストコロニアル批評の視点を取り入れた。エメ・セゼールの「奴隷制と植民地化」とかね。差別的でない奴隷制度の捉え方について本気で何かを試みた教材は、日本では初めてだと思う。現代アメリカや世界の旧植民地における人種差別や経済格差、ヨーロッパの移民問題などと直結する、アクチュアルな学問領域ですよね。
──その後どのように議論が進んできたんでしょうか。
工藤 20年前に注目されていたトピックスは、1848年の「2月革命」でヴィクトル・シェルシェールの努力により「奴隷制の廃止」が宣言されたという出来事。その後、これは世界的な学問の潮流なんですけれども、フランス革命の時期から19世紀全体を通史として「奴隷貿易の廃止」にも注目しよう、とりわけその建前と実態の乖離を明らかにしていこう、という問題提起があった。
──建前と実態の乖離というと?
工藤 18世紀の末、ディドロとか、レナール神父とか、ネッケルとか、啓蒙思想を牽引し、カリブ海域の事情にも通じた人たちがいて、フランスが絶対王制からイギリス風の近代社会に向けて脱皮するためには、奴隷制に依存した経済を克服しなければならないと考えた。奴隷制はいずれは廃止しなければいけないが、いま廃止すると言っても、実行するのは無理。フランスが経済的に破綻するといって、人びとが反対するに決まっているから、とりあえず人道主義的な立場から奴隷貿易を禁止しよう。今いる奴隷は次第に解放して賃金労働者にすればいい。そうすれば子孫も増えるから、大西洋を渡らせる奴隷貿易の必要はないじゃないかと。ここまでが「建前」です。そういうわけで、ナポレオン戦争の終結した1815年のウィーン会議で、フランスも「奴隷貿易の禁止」に賛同した。ところが法的に禁じられたことによって、悪質なモグリの業者が横行することになった。これが『タマンゴ』の時代背景で、実際「中間航路」(奴隷船の大西洋航路)の苛酷さ、凄惨さは「実態」としては、禁止される以前より悪化したと言われています。
──なるほど。
工藤 「建前」について補足すると、スタール夫人は、10歳くらいの子どものときからサロンで話を聞いて育ってますから、啓蒙思想のモラルを反映した小さな作品をいくつか書いています。それを読んでみると、黒人は科学的に見て劣等人種だという発想はまったくないんですよね。
──それが19世紀後半になると、世の中に、おかしな発想、変なステレオタイプが蔓延していく……。
工藤 そうですね。話を単純化すれば、他人の土地を植民地にして、経済的に搾取したいという欲望が先に立って、それを肯定するような学問をつくっていくというのが、一般的な意味での「植民地主義」でしょう。実際19世紀後半の自然科学は、黒人は劣等人種であるという話をしつこく立ち上げていくわけですよ。たとえば骨相学は、黒人を見てごらんなさい、ほらオランウータンに近いでしょうと説く。カリブ海で奴隷制が廃止されても、アフリカ大陸では現地の黒人を奴隷のように使った。鉄道の敷設とか、土地を開発をしていくときに、家畜にとっては別に労働が苦痛ではないはずだから、家畜と同程度の黒人を労働力にすればいい、という発想が生まれる。18世紀のフランスは、海の反対側を舞台にして、全然違う話を紡ぎ出していたんですけどね。タヒチなんか、文明が失ってしまった過去の黄金時代を温存している、愛のユートピアであるとかね。新大陸の先住民も、ユートピアの主として描かれることがある。
──メリメ自身が、スタール夫人のように奴隷制度の廃止のために運動したということはないんですか。
工藤 全然ないですね。メリメはウィーン会議後の「奴隷貿易の廃止」という問題に興味を持ち、しばらく熱中して作品を一つ書いた。でも、その後はケロッと黒人奴隷の話はしなくなった。ヨーロッパ全体の問題として、ジプシーの問題には生涯取り組んだけどね。メリメは植民地に住んで実際に黒人奴隷を見たわけでもないし、2月革命を過ぎれば実質的に奴隷制は遠い問題になったはず。だからわりと一時的な関心。
──でも一時的な関心でいい作品を残したと。
工藤それはそれで、いいでしょう? 『タマンゴ』は、今から2世紀前まで遡っていろいろなものが見えてくるような素材なので、わたしとしては読者の手の届くところに置いておきたい。いってみれば教育的な目標もありました。
──『タマンゴ』のような作品は他にもありますか?
工藤 消えてしまった大衆的な作品はいくつもあるみたい。船の上で奴隷が反乱を起こしたという話は実話としてもあったから、それを小説化したような作品は、スタール夫人も読んだ形跡がある。ただ、やっぱり作品としての迫力という意味で『タマンゴ』だけが残って、必ずこれが参照される。
──メリメは国の「歴史的記念物視察官」に任命されてたくさんの調査旅行をしたわけですが、それが創作の役に立ったところはあるんでしょうか。
工藤 「異文化」をいかに捉えるか、自分たちの「国民文化」をいかに定義するか、という二つの問題は、いわばセットになっていて、知的な営みとしては不可分ともいえます。ですから歴史的記念物視察官メリメと作家メリメとは切り離せない。そうは言っても、彼はヨーロッパの外にはほとんど出ていないんです。すべて文献が頼りだった。でも、だからこそ、これだけ力強く、整合的な世界ができたとも言える。フィクションってそういうものかもしれません。メリメにとっては、観察が大前提ではないんです。アフリカの奴隷貿易の根拠地だったところを訪ねてみようとか、そういうことは一切考えない。ジプシーについてもそう。学問的な調査旅行はしても、メンタリティとか恋愛のスタイルとかを実際の体験から知った、たとえばジプシー娘と恋をした、などという話はない。
──『タマンゴ』では、奴隷を運ぶ白人たちも、奴隷として買われた黒人たちも、行動を比べると全然変わらないと思いました。鏡のようだと。工藤さんの訳によるものかもしれないけれど、メリメの差別意識が微塵も感じられないんです。
工藤 奴隷船の船長ルドゥーと奴隷の反乱を指導するタマンゴは、粗野で獰猛なところも、誇り高い男だという意味でも、同等だと思います。わたしは、差別的な意識をいったん脇に置いて、小説が言語としてどういうふうに構築されているかを確かめたい、誠意をもってテクストに向き合いたい、と考えています。大変偉い方、尊敬する大先輩ではあるけれども、堀口大學とは違う訳し方をしなきゃ、女がすたる?!(笑)……堀口先生は明らかに、黒人は劣っているということを前提にして言葉を選んでおられる。
──だけど原文には、そういう痕跡は見られない。
工藤 そうです。つまり « je »というニュートラルなフランス語の一人称が、黒人女のアイシェの場合「おいら」と訳されてしまう。堀口訳には、こうした語彙の選択にも、強烈な文化的読み込みの痕跡が感じられる。それは第二次世界大戦が終結する以前、つまり帝国主義の時代の西欧的な世界観・文明観の名残りなんです。明治25年(1892年)生まれの堀口大學は、戦前の西欧文化に例外的に馴染んだ超文化エリートです。だからこそ、白人と黒人が同じレヴェルの、同種の言語を話すとは考えていなかったのではないか。個人として人種主義者だと言いたいわけではないけど、明らかに「(白人の)文明」の側から「(黒人の)野蛮」を捉えていた。そこをきちんと読み直したいという気持ちが、わたしには働いています。
──他にも、黒人たちが白人たちの船についてあれこれ言うところがすごく興味深かった。ああ、きっとそう思うんだろうなとリアルに感じられました。
工藤 『タマンゴ』は、黒人がこういう環境で生きて、ヨーロッパの文明と接触して、文明の汚れみたいなものまで自分の体内に取り込んじゃったときに、どういうふうに敵である文明と対決するかを描いているんです。海を見たこともない黒人が、白人の船というのは、ある種、神々しいものだと感じたり、白人というのは土地を持っていないから、船の上で一生を終えるんだと考えたりするのは、無知というよりむしろ、彼らの論理であり、つまり理にかなっているわけですよね。
──生きている環境や文明でくくられた塊としての人間と、それを抜きにした一人ひとりの人間と、その両方が書かれているのが面白い。それからタマンゴの妻アイシェが、カルメンとはまた違うタイプの魅力的な女性であるのも読みどころの一つかと。
工藤 アイシェってすごくかわいいでしょ。
──愛するタマンゴを助けるために行動するし、すごく気転が利いて、優しく知的な感じが漂っている。
工藤 だから「おいら」って訳しちゃいけないんです。洋上を漂う船の上で、タマンゴとアイシェは二人だけ生き残る。女のほうが先に飢えて死ぬのだけれど、その場面の台詞は「もうお腹すいていないの。それに食べてなんになるっていうの? もうあたしお仕舞だってこと、わかっているわ』と訳した。堀口訳では「おいら、もう腹がすかなくなった。それに、何のために食うのか? おいらの時間はもうそこへ来てるんじゃないか?」となっています。 一方で、差別的というのとは別の話ですが、前に話題にした『カルメン』の「決め台詞」は、堀口訳では「あんたはわたしのロムだから、自分のロミを殺す権利があるわ。だけどカルメンはいつだって自由な女よ。カリとして生まれてきたカルメンはカリとして死んでいきたいのよ」となっている。一般論として、男が訳すと、女の台詞が必要以上に「女っぽく」なる傾向がある。「~だわ」とか「~のよ」が多過ぎます。
──生身の女性とあまりにもかけ離れている。
工藤 今の語感からして、若い女が生きるか死ぬかというときに「~だわ」「~のよ」なんて言うでしょうか! でも堀口大學にとってはこれが自然だった。それだけ女性の言葉が歴史の中で急速に変わってきたということ。翻訳というのは、作品がどう読まれたのかを知る貴重な素材でもあるんです。終戦直後の男性は、「~だわ」「~のよ」と言って女に死んでほしかった……。
──ということですね(笑)。
工藤 でも、男性と一緒に仕事をしてきたわたしは、違う「語感」を持っています。「~だわ」「~のよ」という文末は、公的な立場では絶対に使えないのですよ。昔の男はダメだと言いたいわけではないけど、こういう微妙な言語的性差というのは、今日も無視できぬ問題だと思う。
──女性の翻訳者が訳した男性の言葉についてはどうですか?
工藤 男性の言葉は「普遍的な言葉」ですから、ほとんど性差の刻印がない。これに対して、女の言葉を男が訳すと妙に女っぽくなるというのは、ずっと言ってきたことなんです。女性研究者が少しものを言えるようになってからね。
──翻訳の難しさ、古典が新訳されることの意味を改めて考えさせられます。
工藤 言葉を自由に使えること自体が、解放の体験でもあるとわたしは思う。それは翻訳の喜びでもあります。既訳のあるものでも、別のかたちでアップデートができると感じることがありますが、それって、翻訳により作品は若返ることができるという意味ですから、面白いですよね。原典は変えられないわけですけど。若返りというのは原典を歪めることじゃなくて、国境を越えることによって、文学が新しい生命力を獲得していくこと……翻訳は非常に大切な営みなんです。
──ありがとうございました。
(聞きて:丸山有美、中町俊伸)