2023年3月14日発売の光文社古典新訳文庫、カミュ『転落』は、一風変わった語りの小説です。場末のバーで話しかけてきた男の語りのみで構成される本書は、もちろんそのまま読み進めても楽しめますが、あらかじめ概要をつかんでおくと、なお理解しやすいでしょう。今回の新訳では、翻訳者の前山悠さんに読書前の予備知識をまとめてもらい、「訳者まえがき」として収録しました。発売を前にウェブでも公開します!
以下に翻訳をお届けする『転落』は、『異邦人』『ペスト』に続き、カミュの「第三の小説」として位置づけられている作品である。それは発表された順序が3番目だった(1942年の『異邦人』、1947年の『ペスト』に続き、1956年に刊行)というだけでなく、作品の重要度としても、前2作の後塵を拝すると見なされてきたことを意味する。一方で──少数派の意見ということになるが──文学の読み手としては最高の 慧眼 の一人であり、そして 不倶 戴天 の敵でもあったサルトルが、カミュの中で「おそらく最も美しく、かつ最も理解されていない作品」と評した一冊でもある。
美しさにまえがきはいるまい。だが、「理解されていない」とはどういうことか?
実際、『転落』はひどく厄介な小説である。とはいえ、重要とうたわれる文学作品に時として見られるように、難解で抽象的な哲学論議が展開されたり、支離滅裂で解読不能な混沌に見舞われたりするわけでは決してない。むしろ、『転落』で語られる内容はおしなべて通俗的で親しみやすいものであり、しばしば卑俗でさえある。問題は、その一見して気の置けない語り口の裏に、聞く者を手なずけ 弄 ぶようなトリックと、その意識を根本から揺さぶろうとする企みが、巧妙に隠されているということである。
舞台は現代(作品刊行時の1950年代を思わせる)、オランダのアムステルダム。いかがわしい雰囲気のバー「メキシコ・シティ」で、クラマンスと名乗るフランス人が、同じくフランスから来ているらしい男になれなれしく話しかける。そしてクラマンスはそのまま喋り続ける。能弁に、 滔々 と、途方もなく喋り続ける。「ゴリラくん」とあだ名される「メキシコ・シティ」のマスターについてあれこれ陰口を叩いた後、オランダやオランダ人に関する同じく皮肉と 揶揄 に満ちた論評を経由して、クラマンスは自身の身の上話に移る。彼はかつてフランスで弁護士をしていたらしい。社会的弱者が被告となる事件を専門に活躍し、私生活でも折り目正しく、それでいて社交も女性関係も華々しく順風満帆、この上なく充実しきった日々を送っていたという。ところが今はみすぼらしい格好をし、自ら腐すアムステルダムに住んで、不穏なバーに毎晩入り浸っている。とすれば、その間には何らかの「転落」があったということになる。
クラマンスの話は長い。実のところ、この小説は最初から最後まで、連綿と続く彼のおしゃべりから成り立っている。言葉の綾や誇張ではなく、これから我々が読むことになるすべては、このクラマンスという一人の男がバーでたまたま見つけた同郷人を相手に発する超 長広舌 、常識はずれに長大なひと続きの 台詞 である。その間には、情景描写も、状況説明も、他の誰の言葉も差し挟まれることはない。したがって、聞き手を務めさせられている同郷人についても、その反応・素振りはただクラマンスの言葉を通してのみ感知される。クラマンスが「おわかりですか」とか「あなたもそうでしょう」とか「おや、お気に召さない?」とかしきりに問いかけることによってのみ、その存在は表されるのである。そして、クラマンスの「あなたはあの話が気にかかっていらっしゃる」だの「それほどまでに好奇心を示していただけるとは」という言葉から、この聞き手は決して嫌々相手をしているのではなく、むしろ大変な関心を持って話の続きを求めているらしい。
クラマンスの話は長く、1日では終わらない。しかるべき時に打ち切られ、続きは次の日に持ち越される。かくして聞き手は都合5日間にわたってクラマンスに会いに行く。小説の構造として、この5日間のそれぞれの日の話ごとに章が分けられている。ただし4日目のみさらに2つの章に区切られるため、全6章となる。各章の境目には「☆」が目印として置かれている。
クラマンスの話は長いが、その本題──あるいは最大の謎──は、ほとんど最初に示される。それはすなわち、弁護士を辞めた彼が目下従事しているという、「告解者にして裁判官」とは一体いかなる職務かということである。弁護士から「告解者」への変化は、他人の罪を擁護する者から、自分の罪を告白する者に変わったことを意味する。そして「裁判官」ということは、他人の罪を裁く者でもあるだろう。己の罪を告白し、他者を断罪するとはどういうことか?
「告解者にして裁判官」とは何か? クラマンスはいかにして弁護士を辞め、この謎めいた職務に行き着いたのか? そして、この男の気味悪いほどの多弁は、もしも狂人によるそれでないとすれば、いかなる意図によるものか? あるいは、その相手をして絶えず話の続きをせがんでいるらしい聞き手は、一体何者なのか? クラマンスは誰に向かって話をしているのか?
そうした謎がいずれ明かされることになるまで、クラマンスの話はおびただしい紆余曲折をたどる。相次ぐ脱線、引き延ばし、ほのめかし、曖昧さ、攪乱、虚偽。だが彼の語りは、そうした不穏な経路を曲行しながらも、間違いなくひとつの目的に向かっている。あるいはすべては計算された回り道であり、予定通りのルートに従って企みのゴールに近づいていく。伏線は確実に回収され、脱線は必ず核心へと繫がるだろう。
願わくは、この 目 眩 くような、しかし緻密に構築された語りの迷路を、存分に楽しまれんことを。