2023年10月、11月刊『太平記』(上・下)の訳者亀田俊和さんの「訳者あとがき』(下巻収録)を全文公開します。
小学生の頃、学校の図書室に室町時代の歴史の本があった。確か山岡荘八が著者だったと思う。それに記されていた、阿新殿がはるばる佐渡島まで赴き、父日野資朝の仇を討つ話が今でも妙に印象に残っている。今思えば、筆者が南北朝時代の研究を志したのは、この本の影響だったのかもしれない。
筆者が南北朝期の研究者だから、きっと『太平記』は何度も熟読してきたと思っておられる読者も多いだろう。しかし解説にも書いたとおり、現在実証的な歴史学研究において『太平記』が史料として利用されることはほとんどなく、せいぜい傍証として引用されるに過ぎない。室町幕府の執事(管領)が発給した施行状を研究していた時代は、『太平記』をきちんと読んだ記憶がほとんどない。
施行状研究が一段落つき、高師直や足利直義の伝記を執筆するようになって初めて、『太平記』を本格的に読み始めたというのが正直なところである。それでも、これだけ膨大な長編を通して読んだことはなかった。
『太平記』の現代語訳のお話をいただいたとき、正直に言えば最初はとまどった。国文学の分野に、『太平記』を何十年も精読して研究を進めてこられた方々がたくさんいらっしゃる。それなのに、自分のような文学に大して素養のない者がこのようなお仕事を引き受けて果たして大丈夫なのか。ちなみに筆者は高校生の頃、古文も地味に苦手な科目であった。
しかし、一般読者とほとんど同じ素人だからこそ、そういう方々と同じ目線の翻訳が可能で興味を持っていただけるのではないか。また、日本語文学系に就職してから文学研究者の方々と接する機会が増え、歴史学だけではなく文学に対しても何らかの寄与ができればと希望するようになった。そうした意味でも、このお話はまたとない貴重な機会だと思った。
そう考え直し、思いきって引き受けることにした。これも解説で述べたように、正確な逐語訳よりも読みやすさやわかりやすさを優先し、おもしろおかしく読めるように心がけた。こう見えても筆者は感性の人間であるし、翻訳作業は非常に楽しかった。
しかし、一方ではやはり大変な側面もあった。『太平記』の原文はテンポのよい名文であるが、センテンスが長い。そこで現代日本語にする際にはどうしても区切る必要がある。わかりやすくするために語順を変えなければならない場合もあった。また難解な仏教の用語や概念、そして和歌や漢詩もあり、これらについてもさほど知識がないので、作業は非常に難航した。しかし、そうした今までなじみがなかった分野についても非常に勉強となった。
さらに台湾に来てから知り合った、日本文学を専門にされている輔仁大学の坂元さおり先生と中村祥子先生に、一ヶ月に一回『太平記』の読書会を開いていただいた。文学研究者の視点から提起される貴重なご意見は筆者のような歴史学者には思いつかないことが多く、まさに目から鱗が落ちる思いがした。特に坂元先生には、事前に本書の原稿を何度もご確認いただいた。この場を借りて、篤く御礼申し上げたい。
賢明な読者なら容易に推察できると思うが、文学における『太平記』研究は膨大な蓄積がある。本書の三校が終わった段階でも新たな知見を得ることがあり、無理を言って加筆させていただいたが、まだまだ漏れた論文等も多いと思う。そうした失礼を働いてしまった論者の方々に、この場を借りてお詫びを申し上げたい。
本書は、最初の計画では五六話を訳し、一冊で完結する予定であった。しかし筆者の訳を読まれた編集長が二冊九〇話に増やすことを決断されたという。その分時間と労力も大いにかかったが、大変光栄なことで意欲も倍増した。ちなみに話は基本的に筆者が選んだが、第一二巻七「広有怪鳥を射る事」は編集部に隠岐広有のファンがいるそうで、ぜひ訳してほしいとお願いされた。
ところで現在、世間は室町ブームに沸いている。それを象徴する出来事として、たとえば二〇二一年には宝塚歌劇団で楠木正行を主人公とする歌劇『桜嵐記』が上演された。筆者は台湾の映画館で、この演劇の千秋楽公演中継を坂元先生と宝塚ファンの中村先生たちとともに鑑賞した。
また同年からは『週刊少年ジャンプ』(集英社)で北条時行を主人公とした松井優征氏作の漫画『逃げ上手の若君』の連載が開始され、二〇二四年のアニメ化も決定したという。足利尊氏を描いた垣根涼介氏の『極楽征夷大将軍』(文藝春秋、二〇二三年)が直木賞を受賞したことも記憶に新しい。
思えば学部生の頃(一九九〇年代中頃)、筆者が大学の日本史研究室に所属していたときは南北朝時代を研究する先輩や同級生はいなかった。論文も他大学の研究者のものをほぼ独学で勉強したが、全国的にも南北朝期研究者の数は少なかったように思う。
日本史上屈指のマイナー時代だったことを想起すれば、現在の隆盛はただただありがたいと感謝するばかりである。
本書の刊行が日本史学の興隆に少しでも貢献できれば、これに過ぎる喜びはない。さらに現在、筆者は『太平記』を介して歴史学と文学の研究成果を融合することを目指しており、この現代語訳が今後の自分の研究の起点になればと願っている。
本書に読者の方々がどのような反応を示すか正直怖いところもあるが、ひとまずは現在の自分の持っている力をすべて出し切ったと思う。最後に、遠く台湾に離れている筆者と何度もメールのやりとりをして編集の労をとってくださった担当編集者の佐藤美奈子氏に篤く御礼を申し上げます。
二〇二三年九月 亀田 俊和