2024.02.22

井原西鶴『好色五人女』、訳者・田中貴子さんによる「解説」の〈はじめに〉と「訳者あとがき」全文を公開! 

携帯やメール、LINE、ましてやアプリのない時代の恋愛なんて、今からみればなかなか想像しにくいかもしないけれど、いつの時代も恋愛は人生において最大の出来事の一つであり、関心ごとであるのはまちがいありません。時は江戸時代。恋愛に夢中になるあまり、世間を騒がせた事件を起こした女性たちがいました。そんな現実に起きた事件をもとに、恋に生きた五人の女性のリアルな生(性)を描いたのが、西鶴の『好色五人女』です。この作品が明治、大正、昭和、そして令和のいまへと、どのように読まれ、評価されてきたのでしょうか。時代の恋愛感情の移り変わりとともに考察する解説の出だしと、訳者あとがきを公開いたします。

解説 恋する・五人の・女たち 田中貴子

はじめに

薄い壁を通して隣の女の部屋から漏れてくる 睦言(むつごと)に、思わず内職の手を止めて聞き入る主婦のサチ子。谷川岳への道のりを語る男の声は、深く彼女の女の部分に響いた。後日、声を頼りに出会ったその男と、サチ子はベッドをともにしてしまう。ところが、男と別れたあとに財布をのぞくと、そこには見知らぬ三万円が入っていた。

サチ子は一世一代の恋をしたと思っていたが、あの男は自分を三万円で買ったのだ。手が震え、からだが震えてきた。

──向田邦子の小説、『隣りの女』(文藝春秋、1981)である。この小説は同年ドラマとなり、TBSテレビで放映された。これをリアルタイムで視聴した私は、四十年以上たった今でも、その場面場面を脳裏に再生することができる。それほど鮮烈な印象のドラマであった。サチ子は桃井かおり、そして男は根津甚八。根津の声の演技は、まるで当て書きしたかのように素晴らしかった。

ニューヨークへ去った男に逢うため、定期預金を解約して飛行機に乗ったサチ子の手に握られていた本こそが、『好色五人女』だったのである。

「よもやこのこと、人に知られざることあらじ。この上は身を捨て、命かぎりに名を立て、茂右衛門と死出(しで)の旅路の道連れ」離陸するときの震えか気持のおののきか、サチ子は、いつまでも震えがとまらず、膝の上の『五人女』の同じところに目を走らせていた。

サチ子が「主婦売春」の汚名を返上し、それをまぎれもない恋にするためには、自分なりの道理を立てる必要があった。その媒介として『好色五人女』を登場させた向田の手わざは、鮮やかというほかない。というのも、『隣りの女』のサチ子の行動は、現代から『好色五人女』を逆照射するものとなっていると考えられるからである。


このあと、作品の成立等についての基本的なことがらを押さえた研究史、明治の文芸評論家、劇作家島村抱月による評価、大正昭和時代にかけての言説、またフェミニズムの文脈から作家富岡多恵子による批評が続きます。


訳者あとがき 田中貴子

『好色五人女』 井原西鶴/田中貴子訳『好色五人女』との出会いは、高校生の頃にさかのぼる。「好色」というワードに好奇心をそそられた、といういかにも十代らしい理由で角川文庫の一冊を求めたのである。西鶴なら受験勉強に役立つかとも思ったのだが、小娘に好色物の何かがわかろうはずもなく、大学入学後は中世文学へと傾倒して長らく触れることはなかった。

再び『五人女』を手に取ることとなったのは、現在の勤務校でのことだった。兵庫県高砂市出身の学生が、『五人女』のお夏で卒論を書きたいというのである。私のゼミは平安時代から室町時代までを対象としており、お化けが出て来るなら江戸時代でもまあいいよ(実は、怪談はそんな簡単なものではないのだが……)とは言っていたものの、基本は「太閤検地」(十六世紀)までの時代に限りたい。学部生といえども論文指導はとても難しいと思ったが、勤務校には近世文学のゼミがないうえ、地元愛にあふれる学生の志も無下にしがたく、気が重いながらも指導を引き受けることになった。そこで数十年ぶりに再読してみると、笑いあり、しゃれありで、今まですり 込まれていた印象がどんどん覆って行った。負うた子に教えられるとはこのことである。

若い頃は自分と年齢の近いお夏やおまんに惹かれた。特に巻五のおまんは、その主体的な行動とお嬢様ならではの無軌道ぶりが滅法格好よかったものだが、時過ぎて今に至ると、既婚ながら「好色」の名の下に埒外へ走って行ったおせんやおさんの行動が身に沁みて、人にはどうもしようがない運命の巡り合わせがあるのだと思うようになった。そして、瞬間的に燃え上がる恋には必ず世間のやっかいごとがつきまとうものだ、とも……。いつ読むかによって読みどころが変わるのが古典文学の強みである。 繰り返し読み継がれてきた理由には、単に古典文学のカノン化(正統なものとして崇める動き)だけでは説明できない営為があったのかもしれない。

その後、光文社翻訳編集部からご依頼を頂いたとき、どのような経緯かすでに忘却の彼方となったが、『五人女』がいいのではないかということに決まったのだ。だが、これが思わぬ難産となり、完成に至るまで十年を超える月日を費やすことになろうとは、お釈迦様でもさらさらご存じなかったのである。私の五十代は病と老いの波に翻弄され、仕事は遅々として進まず、編集部には多大なご迷惑をかけることになった。

専門外の近世文学の知見も乏しく、西鶴作品を網羅的に読んだこともない私が、数多い研究と現代語訳を有する『五人女』とがっぷり四つに組むためには、基礎的な体力がそもそも欠けていた。現代語訳とは自らの研究の集大成でもあり、すべてを理解し、自分なりの解釈を確立させて初めてなし得るものといっていい。私は、近世の基本のキもわかっていなかったのである。わかっていないということがわかるまでに、十年以上かかったともいえる。研究は一生かけての大仕事だと痛感した次第だ。

さて、『五人女』の新訳に取り組むにあたり、まず決めなければならなかったのは訳出の文体だったが、これは当初から噺家の語りでいこうと決めていた。もちろん、作中にたまに顔を出す語り手の存在も意識していたが、何よりも私が『五人女』を読むときの脳内ではいつのまにか噺家らしき人物がしゃべっていたからである(あくまで個人の妄想です。『五人女』が書かれた時代に職業としての噺家はまだ誕生していない)。軽みも重みも語り分ける懐の深さが、落語の世界にはあると感じる。私はしげしげと寄席に足を運ぶようなコアな落語ファンではないが、昭和の上方生まれなのでメディアを通じて落語には耳慣れていたせいもある(桂米朝門下が多く、江戸落語 はあまり聴く機会がなかったが)。

それに加えて、『五人女』の作者像には( すい ) でシャイだが筋の通った都市人だという印象が拭い切れなかったこともある。上方、といえば今は特濃ソースに二度漬けしたようなベタなお笑いや、飴ちゃんをあげたがる豹柄を着たおばちゃん、といったイメージが全国に浸透しているが、江戸時代の上方は酸いも甘いもかみ分けた大人の価値観で動く大都市であったはずだ。都市には丹波や近江などの周辺部から人が流入し、他人に干渉しすぎないほどほどの情があったのではないか。そんな都市人が女と男を描いたら『五人女』になるのではと考えたのである。個人的な好みではあるが、田辺聖子氏がしばしば描いた「オトナの男」(「カモカのおっちゃん」に代表される)の軽妙洒脱さとその裏に潜む風刺性を思い浮かべていただけるとよかろう。

さて、執筆の準備運動のためYouTubeの公式チャンネルやサブスク動画などに残されている音源で古今の噺家の落語を聴き(誰をモデルにしたのかは読書の妨げになる可能性が高いので秘するが、立川流一門でないことだけは明かしておいてよいだろう)、自分の身を語りの時空に置くというイメージトレーニングを試みた。西鶴の影響を受けたとされる樋口一葉を読み直し、西鶴を逆照射しようともした。何かが降って来ないと書けない憑依型研究者の私は、気持ちの上だけでもこういうことをする必要があったのである。それでもなかなか「降って来る」状態にはならずに焦り、また、十七世紀から自分が本領とする中世に早く戻りたいといういらだちにさいなまれ続けたものである。

訳出するための文体という点では、最初、上方落語の語りも考えたのだが、現在の上方イメージに引きずられてしまうことを懸念して標準語とし、各地に散らばる登場人物の言葉も方言を避けることにした。巻五のおまん源五兵衛などはしょせん「なんちゃって薩摩方言」にしかならないだろうし、そもそも、江戸時代の方言の実態もよくわからなかったからである。文体を比較的ニュートラルにした反面、登場人物の言葉は年代によって現代的な口調を取り入れてみた。すでに定着したと思われる流行語(「イケメン」など)や記号を積極的に用いたのは、現代の読者にイメージしやすいよ うにである。古典文学の現代語訳は敬語表現などが煩雑で読みにくいといわれることが多いので、過剰な敬語表現は避け、テンポよく読んでもらえるよう心がけた(つもりであるが、読み返すと「谷崎源氏」もどきの箇所があるようにも思える)。

本書によって、数多くの人を魅了してきた『好色五人女』という作品がより多くの年代の人々に楽しんでもらえるよう、心から祈ってやまない。

なお、執筆から編集作業まで佐藤美奈子氏、編集長の中町俊伸氏に大変お世話になったことを感謝申しあげる。また、丁寧な校正作業で助けて頂いた校正者の方にもお礼申しあげたい。

最後に、亡き先代猫のきなこと、当代の文覚(もんちゃん)にも感謝を。彼らとともに乗り越えた日々の愛しさを忘れず、これからも精進してゆきたい。

二〇二三年十一月 田中貴子


[田中貴子さんプロフィール]
1960年、京都府生まれ。日本文学研究者 (中世)。甲南大学教授。1988年、広島大学大学院文学研究科修了。博士 (日本文学)。著書に『「渓嵐拾葉集」の世界』『外法と愛法の中世』『日本〈聖女〉論序説 斎宮・女神・中将姫』『鏡花と怪異』『いちにち、古典 〈とき〉をめぐる日本文学誌』など多数。
田中貴子さん 光文社古典新訳文庫での訳書一覧

好色五人女

好色五人女

井原西鶴
田中貴子 訳
  • 定価:946円(税込)
  • ISBN:978-4-334-10195-4
  • 発売日:2024.01.11
  • 電子書籍あり