2024.11.18

連載「“不実な美女”たち──女性翻訳家の人生をたずねて」の記録ページです

“不実な美女”たちヘッダー

幼少期や少女時代に第2次世界戦争を体験し、翻訳者も編集者も男性が圧倒的だった時代から、半世紀以上も翻訳をしてきた女性たちがいる。暮らしぶりも社会背景も出版事情も大きく変化したなかで、どのような人生を送ってきたのだろうか。かつては"不実な美女"*と翻訳の比喩に使われたが、自ら翻訳に向き合ってきた彼女たちの軌跡をお届けする。


"不実な美女"とは、17世紀フランスで「美しいが原文に忠実ではない」とペロー・ダブランクールの翻訳を批判したメナージュの言葉(私がトゥールでふかく愛した女を思い出させる。美しいが不実な女だった)、あるいはイタリア・ルネサンスの格言(翻訳は女に似ている。忠実なときは糠味噌くさく、美しいときには不実である)だとも言われ、原文と訳文の距離をめぐる翻訳論争において長く使われてきた。詳しくは、辻由美著『翻訳史のプロムナード』(みすず書房)、中村保男『翻訳の技術』(中公新書)参照。

このリードで始まる大橋由香子さんのコラム「“不実な美女”たち──女性翻訳家の人生をたずねて」は、2014年3月から小尾芙佐さん、2014年11月から中村妙子さん、2015年10月から深町眞理子さん、2017年6月から松岡享子さんの全4シリーズを連載してきました。

今回、この連載をもとにして一部加筆・修正し、書き下ろしも含めた書籍『翻訳する女たち』がエトセトラブックスから刊行されることになりました。(サイト上の記事は非公開としましたが、)書籍に載せられなかった時代が偲ばれる写真などを連載の記録として残します。書籍と一緒にご覧ください。


『翻訳する女たち 中村妙子・深町眞理子・小尾芙佐・松岡享子』エトセトラブックス
翻訳する女たち
中村妙子・深町眞理子・小尾芙佐・松岡享子
大橋由香子 著
エトセトラブックス
発売 : 2024年11月18日
定価 : 2400円+税
ISBN : 978-4-909910-25-7
版元ドットコム
[プロフィール]大橋由香子(おおはし ゆかこ)
フリーライター・編集者、非常勤講師。著書に『満心愛の人  益富鶯子と古謝トヨ子』(インパクト出版会)、『ニンプ→サンプ→ハハハの日々』(社会評論社)、『生命科学者中村桂子』『同時通訳者鳥飼玖美子』(どちらも理論社)、『からだの気持ちをきいてみよう』(ユック舎)、『記憶のキャッチボ ール』(共著、インパクト出版会)、共編著に『福島原発事故と女たち』(梨の木舎)、『異文化から学ぶ文章表現塾』(新水社)ほか。光文社古典新訳文庫サイトで「字幕マジックの女たち 映像×多言語×翻訳」連載中

大島かおりさん翻訳 光文社古典新訳文庫

『翻訳する女たち』第二部 ひるがえりひるがえす女たち(書き下ろし) には、大島かおりさんの思い出も記されています。そこには光文社古典新訳文庫の大島さんの訳書も登場。ミヒャエル・エンデのロンセラー『モモ』(岩波書店)を大島かおりさんが翻訳するようになった経緯も出てきます。そして、『モモ』の絵本版は、松永美穂さんの翻訳で、ちょうど光文社から出ました!


 

vol.1 小尾芙佐さん

1回表 本を読みながら歩いた少女時代/1回裏 あのころ、あの本、あんなこと
2回表 本屋、映画館、劇場に通った学生時代/2回裏 あのころ、あの本、あんなこと
3回表 原稿とりの編集者から、翻訳者へ/3回裏 あのころ、あの本、あんなこと
4回表 結婚、出産。翻訳が追いかけてくる/4回裏 あのころ、あの本、あんなこと
5回表 不可能なことを可能にしなければ/5回裏 あのころ、あの本、あんなこと

  • アイザック・アシモフと小尾芙佐さん
    「S-Fマガジン」2014年7月号創刊700号にも再掲載された写真。1964年10月号では「ボストン大学内の研究室で歓談するアシモフと筆者」というキャプションがついていた。
    写真提供:小尾芙佐
  • 4000枚近いキングの「IT」を引き受けることになって導入にふみきった親指シフトの初代ワープロと小尾さん。

[プロフィール]小尾芙佐(おび ふさ)
1932年生まれ。津田塾大学英文科卒。翻訳家。訳書に『闇の左手』(ル・グィン)、『われはロボット』(アシモフ)、『アルジャーノンに花束を』(キイス)、『IT』(キング)、『消えた少年たち』(カード)、『竜の挑戦』(マキャフリイ)、『夜中に犬に起こった奇妙な事件』(ハッドン)、『くらやみの速さはどれくらい』(ムーン)、『ジェイン・エア』(C・ブロンテ)、『高慢と偏見』(オースティン)、『幸福な王子/柘榴の家』(ワイルド)ほか多数。

 

vol.2 深町眞理子さん

1回 父の転勤で転校4回、本が最高の友だちだった
2回 朝鮮から引き揚げ、神田川を見ながら高校へ
3回 会社に勤めながらの下訳 専業の翻訳者をめざす
4回 訳者は役者──心に残る翻訳作品
番外編 キング、そして宇野利泰さん
  • 深町眞理子さん
    深町眞理子さんの著書『翻訳者の仕事部屋』
    (飛鳥新社、1999年)(ちくま文庫、2001年)
  • 『飛行一寸法師』
    ラーゲルレーフ作 香川鉄蔵訳
    大日本図書出版 1918
     ©National Diet Library,2000

[プロフィール]深町眞理子(ふかまち まりこ)
1931年生まれ。英米文学翻訳家。訳書に、『ザ・スタンド』(キング)、『ルーンの杖秘録』シリーズ(ムアコック)、『光の王』(ゼラズニイ)、『渇きの海』(クラーク)、『親指のうずき』(クリスティー)、『くじ』(ジャクスン)、『アンネの日記 増補新訂版』(フランク)、『野性の呼び声』(ロンドン)ほか多数。著書に『翻訳者の仕事部屋』がある。

 

  • 1948年頃、迎賓館は国会図書館として使われていた。
    小尾芙佐さんは、この国会図書館に通って受験勉強をした。

 

 

vol.3 中村妙子さん

1回 住まいは牧師館、翻訳ものに囲まれて
2回 恵泉から津田塾へ、敵性語になった英語を学ぶ
3回 戦後、古本屋で原書を買い、訳していった
4回 番外編(裏の回) あのころ、あの人、あんな本
5回 夫の学生寮での新婚生活、子育ての間に翻訳
6回 人間はどこにいても同じように考えることがある
番外編 中村妙子さんのまわりの女性たち

  • 中村妙子さん。
    ダイニングテーブルのある部屋のガラスケースには、旅行先で買ってきた海外の人形とともに、手がけた本が並んでいる。
    (撮影:大橋由香子)

img_nakamura02-04.jpg

この道は 恵泉と河井先生

  • 中村妙子著
  • 恵泉女学園発行

おばあちゃんになった中村さんが孫娘に説明するスタイルをとりながら、恵泉女学園にこめた河井道先生の思いを描いた本。本書のなかで中村さんは、こうも書いている。

<河井先生には一年生のときに「国際」を、五年生のときに「聖書」を教えていただいたわ。どんなお話をうかがったか、よくは覚えていないのよね、残念ながら。何しろ、もう六十年も前のことなんですもの。でも、たまたま自分が悩んでいたこと、関心を持っていたことに触れるお話は心に残っているわ。>

そして、最近、翻訳を頼まれた原書(手のひらのことばシリーズ『おもいやりのことば』偕成社、1999年)で、むかし河井先生から教えてもらった言葉に出会うという不思議な体験を語っている。

[プロフィール]中村妙子(なかむら たえこ)
1923年2月21日大森生まれ。1935年大田区立蒲田尋常高等小学校卒業、恵泉女学園入学。1940年津田英学塾入学(1943年に津田塾専門学校と改称)。1942年秋、繰り上げ卒業となる。情報局第三部(対外情報課)の戦時資料室で嘱託職員として働く。敗戦後は連合国軍総司令部の民間情報教育局に勤める。1947年「マクサの子どもたち」が『少女の友』(実業之日本社)に連載されたのを機に、以来ずっと翻訳をしてきた。1947年10月に中村英勝と結婚。1950年、東京大学西洋史学科に入学。1954年卒業。恵泉女学園、津田塾大学などで教鞭もとった。 翻訳を手がけて70年近くになり、最近の訳書は、ロザムンド・ピルチャー『双子座の星のもとに』(朔北社)、フランシス・バーネット『白い人びと』(みすず書房)、ジョン・バニヤン『危険な旅』(新教出版社)、アガサ・クリスティーほか『厭な物語』(共訳、文春文庫)、ストレトフィールド『ふたりのエアリエル』(教文館)など。

 

vol.4 松岡享子さん

1回 自分の世界に入りこみ、ぼーっとしていた子ども時代
2回 なんでもあり、「戦後のどさくさ」という良い環境
3回 児童文学に浸り、"library" に出会った学生時代
4回 アメリカで児童図書館学を学び、公立図書館で働く
5回 帰国して直面する日本の現実、そして翻訳者としての第一歩
6回 「松の実文庫」で子どもたちに語ることと、翻訳・創作活動
7回 お話を語る経験と翻訳の関係、そして国際会議での交流
8回 異文化への好奇心と寛容さー翻訳と子どもの未来

  • 松岡享子さん。
    松の実文庫だったご自宅の入り口にて。
    (撮影:大橋由香子)

松岡享子さんの著作紹介
『子どもと本』岩波新書、2015

「子どもが好き、本が好き」という松岡さんが、自分と児童文学との関わりについて書いた新書です。目次と章とびらのページには、章タイトルとともに、短文が記されています。例えば「1章 子どもと本とわたし」には、こうあります。「幼い日に本のたのしみを知ったのが、幸せのはじまりでした」

このブログ連載と一緒に読めば、子ども時代の松岡さんにもっと近づくことができるでしょう。

2章以降は、財団法人東京子ども図書館での活動と、児童文学の翻訳、創作、研究をしてきた第一人者としての知見が披露されていきます。子どもを本好きにするには「暮らしのなかに本があること、おとなが読んでやること」が一番の手だてです。そして、昔話の魅力、本を選ぶことの大切さも、長年の実践から語られます。

次の世代に本をつないでいくことも大事です。終章である5章とびらには、「子どもたちに、豊かで、質のよい読書を保障するには、社会が共同して、そのための仕組みをつくり、支えていくことが必要です」とあります。

img_matsuoka03-08.jpg

『サンタクロースの部屋』の続編として編まれました。

今回の連載にあるように、慶應義塾大学の図書館学科で学んだ松岡さんが、アメリカに渡って児童図書館の理念と実際の運営を学び、子どもたちと交流し、日本に帰ってきてからの試行錯誤も紹介しながら、「東京子ども図書館」をつくるまでの思いが書かれています。1974年の設立時と、1984年には10年間の歩みをふりかえっています。

社会の変化によって、こどもたちが、お話や本をじっくりと楽しむことができなくなっているのでは、という問題意識が根底に流れています。松岡さんの危機感は、その後どうなっていくのか、社会はどのように変わっていったのか、テレビの他にも、パソコンやスマホが子どもたちの日常に入り込んでいる今、読み返してみたい1冊です。

取材を終えて ひとりごと

自分の子ども時代を振り返ってみると、お気に入りの絵本の思い出が意外に少なくて、ちょっとがっかりする。

『ちびくろサンボ』でぐるぐる回るトラたちがバターになる場面はくっきり覚えているし、『ちいさなおうち』や『水の子トム』は何度も読んだ。でも、私が絵本や子どもの本に本格的に出会ったのは、自分の子どもが生まれてからだった気がする。

絵本を子どもに読んであげながら、自分が楽しんでいた。そして子どもが小学1年生になったとき、「つばめ文庫」というおはなし会のプリントが学校のお知らせにまざってきた。

本が好きだった上の子は、土曜の午後、おはなしを聞き絵本を読んでもらい、学校の図書室とは別の「つばめ文庫」とラベルのついた本を借りてきて喜んでいた。

しばらくして、「文庫のお手伝い募集」とプリントに書かれていて、私はおそるおそる覗きに行った。学校の教室に畳敷きの部屋がひとつあり、そこに子どもたちが集まっている。私よりひとまわりくらい上の「おかあさん」が、最初に熊の手ぶくろ人形を使った出し物をする。そのあと、絵本の読みきかせ、本を使わない素話もある。おかゆがどんどん増える話は、初めて聞くものだった。

やがて、出し物は「くまさんのおでかけ」、素話は「おいしいおかゆ」といい、どちらも東京子ども図書館の『おはなしのろうそく1』に載っているものだと知った。

もちろん私も、著者や翻訳者としての石井桃子さん、松岡享子さんの名前には慣れ親しんでいるつもりだった。でも、恥ずかしながら、石井桃子さんの『子どもの図書館』(岩波新書、1965)も、松岡享子さんの『えほんのせかい こどものせかい』(東京子ども図書館、1972)も、まだ読んでいなかったのだ。

そんな「奥手」な私が、今回の取材で、生まれて初めて、東京子ども図書館や、石井桃子さんの「かつら文庫」に足を踏みいれた。「松の実文庫」だった松岡さんのご自宅にも、山のおうちにもお邪魔させていただいた。

建物や本棚、机や椅子から伝わってくる雰囲気、そこでお話を聞くことの心地よさ! これはもう、子どももおとなもないような気がした。いや、疲れたおとなこそ、お話をきく快楽を味わってほしい。各地で語り手をしているのであろう女性たちの熱気にかこまれながら、私はそう思った。

本のある、本でつながっている空間は、なぜか居心地がいい。連載で毎回訪れた子どもの本屋さんもそうだった。

この「いい感じ」は、なんなのだろう。どこからくるのだろう。

      

まず思い浮かぶのは、連載4回めに出てきたイーノック・プラット公共図書館のキャスタニヤ館長の言葉。

img_matsuoka08_02.jpg

「わたしたちは、本はよいものであると信じる人々の集団に属しています」

あるいは、石井桃子さんの『新編 子どもの図書館』(石井桃子コレクションⅢ 岩波現代文庫)まえがきでの一文。
「私は、この本を書くにあたって、『これからの子どもは、いままでの子どもにくらべて、本を読まなくてもいいのか、または、本は読まなければいけないのか』という点では、『読まなければいけない』という立場をとりました。」

本のほかにもステキなことはあるし、本でなくてもいいのでは? と揺れそうになったこともあるけれど、石井桃子さんのキッパリとした「立場」に安心する自分がいる。

そして、石井桃子著『子どもの図書館』の"その後"を書かなければと『子どもと本』(岩波新書)5章に取り組んだ松岡享子さんは、こう記す。

「書いているあいだ、書き終わったあと、そして、とくに引用した本のリストをつくっているときにつくづく感じたのは、わたしの仕事が、というよりわたしという人間のありようが、どれだけたくさんの本に負っているかということです。自分で感じたり、考えたりしていると思っていることのすべては、本のなかにその根があるのだとわかります」(同書あとがき)

本のなかに、自分の根がある。

親が我が子へという次元ではなく、今のおとな世代が消えた後も生きる「子ども」に伝わるものとして、本に愛着をもつ──それが、あの"心地よさ"につながっているのではないだろうか。

つい最近も、似たような感覚に出会った。

松田青子さんが、エッセイ「彼女たちに守られてきた」で、かつら文庫や石井桃子さんの書斎で感じたことを書いている。
「彼女はここで、生活し、仕事をし、たくさんの子どもと大人の人生を守った。それは同時に、彼女の人生を守ることでもあった」*

石井桃子さんの業績について記す松岡さんの解説を読みながら、私は石井さんと松岡さん、その他の人々のやりとりを想像する。本や言葉が、人と人の間で、からみあってつながっている面白さ。それを今回の取材で味わうことができた。

img_matsuoka08_07.jpg
光文社創業60周年の記念出版として
刊行されたものです。

そういえば、石井桃子さんの『ノンちゃん雲にのる』は、初版が1947年大地書房からでた後、1951年に光文社から桂ユキ子挿絵で出版されていることを、東京子ども図書館のスタッフの方に教えていただいた。

というわけで、この連載の最後でやっと、光文社の本にたどりついたとさ、めでたしめでたし。

『日本のフェミニズム』北原みのり責任編集、河出書房新社 大橋もコラムなどを寄稿しています。

松岡享子さんの回では、松岡享子さんの訳した本が並ぶ子どもの本屋さんや、松岡さんの著作を紹介しました。子どもの本屋さんはイベントやギャラリー展示も行う個性的なお店ばかりです。東京子ども図書館とともに、訪ねて見てはいかがでしょうか。
(撮影:大橋由香子)


[プロフィール]松岡享子(まつおか・きょうこ)
1935年神戸市生まれ。神戸女学院大学英文学科、慶應義塾大学図書館学科卒業、ウエスタン・ミシガン大学大学院で児童図書館学専攻ののち、ボルティモア市立の公共図書館に勤務。帰国後、大阪市立中央図書館勤務を経て、自宅で家庭文庫「松の実文庫」を開き、児童文学の翻訳、創作、研究を続ける。1974年、財団法人東京子ども図書館を設立。理事長を経て、現在は名誉理事長。 著書は、絵本『くしゃみくしゃみ天のめぐみ』『とこちゃんはどこ』『おふろだいすき』、童話『なぞなぞのすきな女の子』、大人向けの『サンタクロースの部屋』『ことばの贈りもの』『えほんのせかいこどものせかい』など。 翻訳は『しろいうさぎとくろいうさぎ』『町かどのジム』『おやすみなさいフランシス』『番ねずみのヤカちゃん』など多数の絵本、児童書のほか、大人向けの『子どもが孤独(ひとり)でいる時間(とき)』など。