幼少期や少女時代に第2次世界戦争を体験し、翻訳者も編集者も男性が圧倒的だった時代から、半世紀以上も翻訳をしてきた女性たちがいる。暮らしぶりも社会背景も出版事情も大きく変化したなかで、どのような人生を送ってきたのだろうか。かつては"不実な美女"*と翻訳の比喩に使われたが、自ら翻訳に向き合ってきた彼女たちの軌跡をお届けする。
*"不実な美女"とは、17世紀フランスで「美しいが原文に忠実ではない」とペロー・ダブランクールの翻訳を批判したメナージュの言葉(私がトゥールでふかく愛した女を思い出させる。美しいが不実な女だった)、あるいはイタリア・ルネサンスの格言(翻訳は女に似ている。忠実なときは糠味噌くさく、美しいときには不実である)だとも言われ、原文と訳文の距離をめぐる翻訳論争において長く使われてきた。詳しくは、辻由美著『翻訳史のプロムナード』(みすず書房)、中村保男『翻訳の技術』(中公新書)参照。
このリードで始まる大橋由香子さんのコラム「“不実な美女”たち──女性翻訳家の人生をたずねて」は、2014年3月から小尾芙佐さん、2014年11月から中村妙子さん、2015年10月から深町眞理子さん、2017年6月から松岡享子さんの全4シリーズを連載してきました。
今回、この連載をもとにして一部加筆・修正し、書き下ろしも含めた書籍『翻訳する女たち』がエトセトラブックスから刊行されることになりました。(サイト上の記事は非公開としましたが、)書籍に載せられなかった時代が偲ばれる写真などを連載の記録として残します。書籍と一緒にご覧ください。
『翻訳する女たち』第二部 ひるがえりひるがえす女たち(書き下ろし) には、大島かおりさんの思い出も記されています。そこには光文社古典新訳文庫の大島さんの訳書も登場。ミヒャエル・エンデのロンセラー『モモ』(岩波書店)を大島かおりさんが翻訳するようになった経緯も出てきます。そして、『モモ』の絵本版は、松永美穂さんの翻訳で、ちょうど光文社から出ました!
おばあちゃんになった中村さんが孫娘に説明するスタイルをとりながら、恵泉女学園にこめた河井道先生の思いを描いた本。本書のなかで中村さんは、こうも書いている。
<河井先生には一年生のときに「国際」を、五年生のときに「聖書」を教えていただいたわ。どんなお話をうかがったか、よくは覚えていないのよね、残念ながら。何しろ、もう六十年も前のことなんですもの。でも、たまたま自分が悩んでいたこと、関心を持っていたことに触れるお話は心に残っているわ。>
そして、最近、翻訳を頼まれた原書(手のひらのことばシリーズ『おもいやりのことば』偕成社、1999年)で、むかし河井先生から教えてもらった言葉に出会うという不思議な体験を語っている。
「子どもが好き、本が好き」という松岡さんが、自分と児童文学との関わりについて書いた新書です。目次と章とびらのページには、章タイトルとともに、短文が記されています。例えば「1章 子どもと本とわたし」には、こうあります。「幼い日に本のたのしみを知ったのが、幸せのはじまりでした」
このブログ連載と一緒に読めば、子ども時代の松岡さんにもっと近づくことができるでしょう。
2章以降は、財団法人東京子ども図書館での活動と、児童文学の翻訳、創作、研究をしてきた第一人者としての知見が披露されていきます。子どもを本好きにするには「暮らしのなかに本があること、おとなが読んでやること」が一番の手だてです。そして、昔話の魅力、本を選ぶことの大切さも、長年の実践から語られます。
次の世代に本をつないでいくことも大事です。終章である5章とびらには、「子どもたちに、豊かで、質のよい読書を保障するには、社会が共同して、そのための仕組みをつくり、支えていくことが必要です」とあります。
『サンタクロースの部屋』の続編として編まれました。
今回の連載にあるように、慶應義塾大学の図書館学科で学んだ松岡さんが、アメリカに渡って児童図書館の理念と実際の運営を学び、子どもたちと交流し、日本に帰ってきてからの試行錯誤も紹介しながら、「東京子ども図書館」をつくるまでの思いが書かれています。1974年の設立時と、1984年には10年間の歩みをふりかえっています。
社会の変化によって、こどもたちが、お話や本をじっくりと楽しむことができなくなっているのでは、という問題意識が根底に流れています。松岡さんの危機感は、その後どうなっていくのか、社会はどのように変わっていったのか、テレビの他にも、パソコンやスマホが子どもたちの日常に入り込んでいる今、読み返してみたい1冊です。
自分の子ども時代を振り返ってみると、お気に入りの絵本の思い出が意外に少なくて、ちょっとがっかりする。
『ちびくろサンボ』でぐるぐる回るトラたちがバターになる場面はくっきり覚えているし、『ちいさなおうち』や『水の子トム』は何度も読んだ。でも、私が絵本や子どもの本に本格的に出会ったのは、自分の子どもが生まれてからだった気がする。
絵本を子どもに読んであげながら、自分が楽しんでいた。そして子どもが小学1年生になったとき、「つばめ文庫」というおはなし会のプリントが学校のお知らせにまざってきた。
本が好きだった上の子は、土曜の午後、おはなしを聞き絵本を読んでもらい、学校の図書室とは別の「つばめ文庫」とラベルのついた本を借りてきて喜んでいた。
しばらくして、「文庫のお手伝い募集」とプリントに書かれていて、私はおそるおそる覗きに行った。学校の教室に畳敷きの部屋がひとつあり、そこに子どもたちが集まっている。私よりひとまわりくらい上の「おかあさん」が、最初に熊の手ぶくろ人形を使った出し物をする。そのあと、絵本の読みきかせ、本を使わない素話もある。おかゆがどんどん増える話は、初めて聞くものだった。
やがて、出し物は「くまさんのおでかけ」、素話は「おいしいおかゆ」といい、どちらも東京子ども図書館の『おはなしのろうそく1』に載っているものだと知った。
もちろん私も、著者や翻訳者としての石井桃子さん、松岡享子さんの名前には慣れ親しんでいるつもりだった。でも、恥ずかしながら、石井桃子さんの『子どもの図書館』(岩波新書、1965)も、松岡享子さんの『えほんのせかい こどものせかい』(東京子ども図書館、1972)も、まだ読んでいなかったのだ。
そんな「奥手」な私が、今回の取材で、生まれて初めて、東京子ども図書館や、石井桃子さんの「かつら文庫」に足を踏みいれた。「松の実文庫」だった松岡さんのご自宅にも、山のおうちにもお邪魔させていただいた。
建物や本棚、机や椅子から伝わってくる雰囲気、そこでお話を聞くことの心地よさ! これはもう、子どももおとなもないような気がした。いや、疲れたおとなこそ、お話をきく快楽を味わってほしい。各地で語り手をしているのであろう女性たちの熱気にかこまれながら、私はそう思った。
本のある、本でつながっている空間は、なぜか居心地がいい。連載で毎回訪れた子どもの本屋さんもそうだった。
この「いい感じ」は、なんなのだろう。どこからくるのだろう。
まず思い浮かぶのは、連載4回めに出てきたイーノック・プラット公共図書館のキャスタニヤ館長の言葉。
「わたしたちは、本はよいものであると信じる人々の集団に属しています」
あるいは、石井桃子さんの『新編 子どもの図書館』(石井桃子コレクションⅢ 岩波現代文庫)まえがきでの一文。
「私は、この本を書くにあたって、『これからの子どもは、いままでの子どもにくらべて、本を読まなくてもいいのか、または、本は読まなければいけないのか』という点では、『読まなければいけない』という立場をとりました。」
本のほかにもステキなことはあるし、本でなくてもいいのでは? と揺れそうになったこともあるけれど、石井桃子さんのキッパリとした「立場」に安心する自分がいる。
そして、石井桃子著『子どもの図書館』の"その後"を書かなければと『子どもと本』(岩波新書)5章に取り組んだ松岡享子さんは、こう記す。
「書いているあいだ、書き終わったあと、そして、とくに引用した本のリストをつくっているときにつくづく感じたのは、わたしの仕事が、というよりわたしという人間のありようが、どれだけたくさんの本に負っているかということです。自分で感じたり、考えたりしていると思っていることのすべては、本のなかにその根があるのだとわかります」(同書あとがき)
本のなかに、自分の根がある。
親が我が子へという次元ではなく、今のおとな世代が消えた後も生きる「子ども」に伝わるものとして、本に愛着をもつ──それが、あの"心地よさ"につながっているのではないだろうか。
つい最近も、似たような感覚に出会った。
松田青子さんが、エッセイ「彼女たちに守られてきた」で、かつら文庫や石井桃子さんの書斎で感じたことを書いている。
「彼女はここで、生活し、仕事をし、たくさんの子どもと大人の人生を守った。それは同時に、彼女の人生を守ることでもあった」*
石井桃子さんの業績について記す松岡さんの解説を読みながら、私は石井さんと松岡さん、その他の人々のやりとりを想像する。本や言葉が、人と人の間で、からみあってつながっている面白さ。それを今回の取材で味わうことができた。
そういえば、石井桃子さんの『ノンちゃん雲にのる』は、初版が1947年大地書房からでた後、1951年に光文社から桂ユキ子挿絵で出版されていることを、東京子ども図書館のスタッフの方に教えていただいた。
というわけで、この連載の最後でやっと、光文社の本にたどりついたとさ、めでたしめでたし。
松岡享子さんの回では、松岡享子さんの訳した本が並ぶ子どもの本屋さんや、松岡さんの著作を紹介しました。子どもの本屋さんはイベントやギャラリー展示も行う個性的なお店ばかりです。東京子ども図書館とともに、訪ねて見てはいかがでしょうか。
(撮影:大橋由香子)