1882年
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1月25日、ロンドンに生まれる。 |
1895年
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13歳
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母ジュリアが49歳で死去。その後、精神の発作を起こす。 |
1897年
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15歳
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異父姉ステラが死去。 |
1904年
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22歳
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父レズリー・スティーヴンが癌で死去。享年71 |
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窓から身を投げ、最初の自殺を試みる。 |
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スティーヴン家の兄弟姉妹でブルームズベリー地区のゴードン・スクエア46番地へ転居。兄トビーのケンブリッジ大学時代の友人たちがスティーヴン家に集うようになる。 |
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最初の書評が「ガーディアン」紙に掲載される。 |
1906年
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24歳
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兄トビーが腸チフスで死去。 |
1907年
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25歳
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姉ヴァネッサがクライヴ・ベルと結婚。 |
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小説『メリムブロージア』(のちの『船出』)の構想を練り始める。 |
1910年
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28歳
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2月、「ドレッドノート号いたずら事件」。ヴァージニア、弟エイドリアン、ダンカン・グラントその他計6名が、肌を黒くしたり、ターバンを巻いたりしてアビシニア皇帝の1行に扮し、イギリス海軍の軍艦を訪問。海軍の士官たちを騙して艦内を案内させることには成功したものの、後に「ミラー」紙がこの事件を写真付きで報道し、これによって「ブルームズベリー・グループ」の名が1躍世間に知られることになる。この「悪ふざけ」は、通常、彼らの反軍国主義・反権威主義を示す事件として理解されている。 |
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11月、ロジャー・フライ企画「第1回ポスト印象派展」。マネ、ゴーギャン、マティス、ゴッホなどをイギリスに紹介したこの展覧会に、ヴァージニアもエッセイ「ベネット氏とブラウン夫人」(1924年)で暗に言及し、「1910年12月頃、人間性が変化した」と述べている。 |
1912年
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30歳
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1月、レナード・ウルフ、ヴァージニアに求婚。レナードは、1903年にヴァージニアを1目見たときから恋に落ちていたと言われる。ヴァージニアはレナードの求婚をいったんは断るものの、後に受け容れる。婚約期間中に彼女は友人への手紙で「私は無1文のユダヤ人と結婚します」と述べているが、彼女のユダヤ人にたいする差別意識は2作目の小説『夜と昼』にもあらわれており、それはレナードを深く傷つけたと言われている。 |
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8月、レナードとヴァージニア、結婚。 |
1913年
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31歳
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ロジャー・フライが美術学校の芸術家たちと共にデザイン工房のオメガ工房を立ち上げ、ヴァージニアは最初の顧客の1人となる。 |
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9月、精神的に不安定になり、致死量に近いヴェロナールを服用し昏睡状態に。その後、長期の療養生活に入る。 |
1914年
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32歳
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第1次世界大戦勃発。ロンドン郊外のサリー州リッチモンドへ転居。 |
1915年
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33歳
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リッチモンドのホガース・ハウスに転居。 |
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1作目の小説『船出』(The Voyage Out)を出版。 |
1916年
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34歳
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ウルフ夫妻はこの年から4年にわたって「女性協同組合(The Women’s Co-operative Guild)」のリッチモンド支部を自宅に置いて組合の企画・運営に携わり、労働党や女性の運動について多くを学ぶ。 |
1917年
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35歳
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リッチモンドのホガース・ハウスにて、レナードと共に「ホガース出版」を立ち上げる。短編小説「壁のしみ」(“The Mark on the Wall”)をホガース出版から刊行。 |
1918年
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36歳
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第1次世界大戦終結。選挙法の改正により、30歳以上の女性に選挙権が与えられる(男性は21歳以上)。 |
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ホガース出版にてジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』(Ulysses)の出版を依頼されるが、さまざまな事情から断念する。 |
1919年
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37歳
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サセックスのマンクス・ハウスに転居。 |
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小説『夜と昼』(Night and Day)を出版。 |
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ロジャー・フライのオメガ工房が財政難その他の事情で閉鎖。 |
1922年
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40歳
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この年から26年にかけて「ヴォーグ」誌の編集長を務めたドロシー・トッドは、同誌上でファッション、劇場、音楽、文学などの異なる分野を結びつけることを目論み、ブルームズベリー・グループのメンバーに関係する記事を数多く掲載する。 |
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小説『ジェイコブの部屋』(Jacob’s Room)を出版。 |
1923年
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41歳
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ホガース出版からT・S・エリオットの『荒地』(The Waste Land)を書籍のかたちで出版(「荒地」はエリオットが編集した「クライテリオン」誌上で前年に発表された)。 |
1924年
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42歳
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ロンドンのタヴィストック・スクエア52番地に転居。 |
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この頃から、ホガース出版では、ジークムント・フロイトなどによる精神分析関連の著作の翻訳を数多く出版するようになる。 |
1925年
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43歳
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小説『ダロウェイ夫人』(Mrs. Dalloway)を出版。 |
この頃から1920年
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代後半にかけて、イギリス貴族で売れっ子作家でもあったヴィタ・サックヴィル=ウェストとの交際がきわめて親密になる。 |
1926年
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44歳
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5月、ゼネスト。 |
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亡き母ジュリアのヴィクトリア朝風のドレスに身を包んだヴァージニアの写真が「ヴォーグ」誌に掲載される。 |
1927年
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45歳
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小説『灯台へ』(To the Lighthouse)を出版。 |
1928年
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46歳
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「普通選挙法」の制定(21歳以上の男女に選挙権が与えられる)。 |
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ヴィタをモデルとした小説『オーランドー――ある伝記』(Orlando: A Bio-graphy)を出版。 |
1929年
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47歳
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ケンブリッジ大学での講演をもとにエッセイ『自分だけの部屋』(A Room of One’s Own)を出版。「女性が小説や詩を書こうとするなら、年に500ポンドの収入とドアに鍵のかかる部屋を持つ必要がある」との主張が有名。 |
1931年
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49歳
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小説『波』(The Waves)を出版。 |
1936年
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54歳
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スペイン内戦勃発。 |
1937年
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55歳
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小説『歳月』(The Years)を出版。『歳月』はアメリカ合衆国でベスト・セラーに。 |
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4月、ヴァージニアの写真がアメリカ合衆国の「タイム」誌の表紙を飾る。 |
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甥ジュリアン・ベル(姉ヴァネッサとクライヴ・ベルの息子)がスペイン内戦に参加して戦死。 |
1938年
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56歳
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エッセイ『3ギニー』(Three Guineas)を出版。 |
1939年
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57歳
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ドイツ軍、ポーランドへ侵攻。第2次世界大戦勃発。 |
1940年
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58歳
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小説『幕間』(Between the Acts)を脱稿。 |
1941年
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59歳
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3月28日、サセックスのウーズ川で入水。 |
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死後、『幕間』が出版される。 |