1816年
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4月21日、北イングランドのヨークシャーで、アイルランド出身の牧師である父パトリック、コーンウォール出身の母マライア・ブランウェルの娘として生まれる。5人娘、1人息子の3女にあたるのがシャーロットで、1818年 |
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生まれの4女エミリーはのちに小説『嵐が丘』(Wuthering Heights)や詩を、1820年生まれの5女アンも小説を著す。 |
1820年
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4歳
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ヨークシャーの北西にあるハワース(Haworth)に1家で移り住み、牧師館を住居とする(なお、ここには現在ブロンテ博物館があり、毎年多数のブロンテ・ファンが訪れる)。 |
1821年
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5歳
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母が癌のため39歳の若さで死去。 |
1824年
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8歳
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上の4人の娘が、牧師の子女のためにつくられたコウワン・ブリッジにある寄宿学校へ入学。 |
1825年
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9歳
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長女と次女が病を得て死去し、シャーロットとエミリーは自宅へ戻る。 |
1831年
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15歳
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ロー・ヘッドにあるミス・ウーラー経営の学校に入学し、2年間学ぶ。 |
1835年
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19歳
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ミス・ウーラーの学校で教師となり、1838年まで教鞭を執る。 |
1839年
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23歳
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この年から3年半近く、住み込みの女性家庭教師(governess)として働く。 |
1842年
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26歳
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シャーロットとエミリー、ベルギーの首都ブリュッセルに渡り、学校に寄宿しながら、フランス語、ドイツ語を学ぶ。なお、途中で伯母危篤の報に接し、1時イングランドに帰国するが、シャーロットはその後、再びブリュッセルに戻り、学びながら教える生活を続ける。 |
1844年
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28歳
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イングランドに帰国。家族の元に戻る。 |
1846年
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30歳
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シャーロット、エミリー、アンの3人が筆名で詩集を自費出版するが、売れたのは2部のみ。 |
1847年
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31歳
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10月、シャーロットの小説『ジェイン・エア』(Jane Eyre)が出版。好評のうちに迎えられ、12月には再版が出る。なお、これに力を得て、それまで引き受け手のなかったエミリーの『嵐が丘』、アンの『アグネス・グレイ』(Agnes Grey)も出版されるが、前者は物語が暗く残忍だと評され、後者はほとんど無視された。 |
1848年
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32歳
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4月、『ジェイン・エア』の第3版が出版。9月、弟のブランウェル死去。12月、妹のエミリー死去。 |
1849年
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33歳
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5月、妹のアン死去。10月、小説『シャーリー』(Shirley)出版。 |
1853年
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37歳
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小説『ヴィレット』(Villette)出版。 |
1854年
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38歳
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父の教会の牧師補アーサー・ベル・ニコルズと結婚。 |
1855年
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3月31日、38歳で死去。 |
1857年
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友人であり、小説家であったエリザベス・ギャスケル(Elizabeth Gaskell 1810~1865)による『シャーロット・ブロンテ伝』出版。また処女作だった『教授』(The Professor)が出版される。 |