以下の記述の最大の典拠はプラトンである。なお、事件の年代や詳細については現在標準的とみられる説に従い、異説があっても記載していない。また、暦年は近似的なものである。
年 | 歳 | 出来事 |
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紀元前524年頃 | テミストクレス生まれる。前495年頃ペリクレス生まれる。前492年にアケメネス朝ペルシアがギリシアに遠征を始め、前490年再度遠征。ペルシア戦争が勃発する。マラトンの戦いでギリシア連合軍がペルシアを撃退。前490年頃にソフィストのプロタゴラスが北ギリシアのアブデラで、前485年頃にはソフィストで弁論家のゴルギアスがシチリア島東部レオンティノイで生まれる。前480年ペルシア軍再度ギリシア遠征。サラミスの海戦でギリシア連合軍の勝利。前477年にペルシア帝国に対抗するエーゲ海地域の軍事同盟であるデロス同盟が結ばれ、アテナイが盟主となる。 | |
紀元前469年 | ソクラテス、アテナイに生まれる。父ソフロニスコス、母パイナレテ。ソフロニスコスは石工ないし彫刻家と伝えられ、パイナレテは助産が上手であったといわれる。 | |
紀元前461年 | ソクラテス8歳 | ペリクレスがアテナイの政治の実権を掌握する。直接民主政の制度下で強い指導性を長期間発揮し、平和政策を実施するとともに、パルテノン神殿をはじめとする数々の建築物を完成させ、都市整備をすすめた。また、芸術と文化を振興した。これらの政策により、アテナイは黄金時代を迎える。 |
紀元前449年 | ソクラテス20歳 | アテナイがペルシア帝国と和睦を結び、ペルシア戦争終結。 |
紀元前443年 | ソクラテス26歳 | プロタゴラスが初めてアテナイを訪れる。友人ペリクレスの依頼により、この頃建設された植民市トゥリオイの法律を起草したといわれる。 |
紀元前433年 | ソクラテス36歳 | プロタゴラスが再度アテナイを訪問、『プロタゴラス』の対話設定年代。 |
紀元前432年 | ソクラテス37歳 | ソクラテス、デロス同盟を破ったポテイダイアの包囲戦に参加する。 |
紀元前431年 | ソクラテス38歳 | アテナイとスパルタの間にペロポネソス戦争が起る。翌年の前430年には疫病が流行し、ペリクレスもこの疫病で前429年に死去する。この頃からアテナイは次第に衰退へ向かう。 |
紀元前427年 | ソクラテス42歳 | プラトン、アテナイに生まれる。父アリストン、母ペリクティオネ。両親ともアテナイの名門出身であった。 |
この年、故国レオンティノイの外交使節団代表としてゴルギアスが同盟国アテナイを訪問し、隣国シラクサの圧力に対して支援を求めた。民会での演説は聴衆に圧倒的な印象を与え、支援を取り付けると共に、以後のアテナイにおける弁論術隆盛の火付け役となる。やがてレオンティノイはシラクサによって支配され、ゴルギアスはギリシア本土各地で教えた。 | ||
紀元前424年 | ソクラテス45歳 | ソクラテス、ボイオティア地方デリオンの戦闘に参加する。 |
プラトン 3歳 | ||
紀元前423年 | ソクラテス46歳 | アリストファネスの喜劇『雲』が上演される。この作品ではソクラテスがソフィストとして揶揄されている。 |
プラトン 4歳 | ||
紀元前422年 | ソクラテス47歳 | ソクラテス、スパルタ軍に占領されたアンフィポリス奪還のための遠征軍に参加する。 |
プラトン 5歳 | ||
紀元前415年 | ソクラテス54歳 | アルキビアデスの主導により、この年から前413年まで、アテナイはシチリア島に出兵。この軍事行動は大失敗に終わる。この頃プラトンがソクラテスと知り合う。 |
プラトン 12歳 | ||
紀元前406年 | ソクラテス63歳 | ソクラテス、政務委員会の執行委員をつとめる。このときアルギヌサイ沖の海戦で十人の将軍が、漂流した部下を放置した責任を問われ、帰還した将軍たちは1括して裁判にかけられたが、ソクラテスはその措置が違法であるとしてひとり反対した。 |
プラトン 21歳 | ||
紀元前404年 | ソクラテス65歳 | アテナイがスパルタに降伏し、ペロポネソス戦争終結。敗戦後クリティアスを中心とする親スパルタ派3十人の独裁政権が樹立される(翌年の前403年に崩壊)。小アジアに亡命していたアルキビアデスが暗殺される。ソクラテスは3十人政権にサラミスの人レオンを連行するよう命じられるが、これを拒否する。 |
プラトン 23歳 | ||
紀元前401年 | ソクラテス68歳 | ペルシア王アルタクセルクセス2世に対し弟キュロスが反乱を起こす。クセノフォンやメノンが参加する。 |
プラトン 26歳 | ||
紀元前399年 | ソクラテス70歳 | ソクラテス、政治家アニュトスと弁論家リュコンを後ろ盾とするメレトスという若い詩人により、不敬神の罪で告発される。裁判が行われ、死刑判決が下される。1月後の3月に刑死する。ソクラテスの死後、プラトンはアテナイを逃れ、各地を遍歴した。 |
プラトン 28歳 | ||
紀元前393年 | プラトン34歳 | この頃、ソクラテスの有罪・死刑という裁判結果を擁護したパンフレット『ソクラテス告発』がポリュクラテスにより書かれる。この後『イオン』『エウテュフロン』『カルミデス』『ソクラテスの弁明』『クリトン』『プロタゴラス』『ゴルギアス』『ラケス』『リュシス』など、数多くの初期作品が執筆されたと考えられる。 |
紀元前387年 | プラトン40歳 | プラトン、南イタリアのタラスでピュタゴラス派のアルキュタスと出会う。その後、シチリア島でシラクサの僭主ディオニュシオス1世の下を訪ね、青年ディオンと出会う。ディオンはプラトンの理解者となり、以後密接な関係がつづく。 |
その後、アテナイに帰国したプラトンは、ほどなくしてアテナイ郊外アカデメイアの神域に同名の研究教育機関を開設する。プラトンはこの後20年ほどアカデメイアでの研究教育に専念する。この頃『メノン』を著す。 | ||
以後プラトンは、『パイドン』『饗宴』『ポリテイア(国家)』『パイドロス』『パルメニデス』『テアイテトス』など、主要な作品を発表する。 | ||
紀元前367年 | プラトン60歳 | アリストテレスが17歳でアカデメイアに入学し、プラトンの弟子となる。 |
シラクサではディオニュシオス1世が死去し、ディオニュシオス2世が即位する。ディオンはディオニュシオス2世の教育のためにプラトンを招聘するが、政争が起こりディオンは国外追放となる。プラトンも1年あまりディオニュシオス2世によって監禁される。 | ||
シラクサからの帰国後、プラトンはアカデメイアでの研究教育活動を再開し、以後、『ソフィスト』『政治家』『ティマイオス』『ピレボス』『法律』などの後期対話篇を執筆する。 | ||
紀元前361年 | プラトン66歳 | ディオニュシオス2世が再びプラトンを招聘する。プラトンはいったん拒絶するがディオンのために招聘に応じる。しかし関係が悪化し再度監禁される。タラスのアルキュタスの尽力によりようやく解放されて、翌年に帰国する。 |
紀元前357年 | プラトン70歳 | ディオンがシラクサの政権を掌握する。 |
紀元前353年 | プラトン74歳 | ディオンが暗殺される。 |
紀元前347年 | プラトン80歳 | プラトン死去。執筆中に死んだとも、婚礼の宴の最中に死んだともいわれる。アカデメイアは甥のスペウシッポスが引き継ぎ、以後、ギリシア世界の学問と哲学の中心として、後529年まで存続した。 |