①事件の年代やその詳細については、できるだけ標準的な説に従い、異説があっても記載していない。
②事件を現代の暦年に正確に換算できない場合も多いが、近似的に対応させている。
③ソクラテスとプラトンの生涯に関する内容は、主としてプラトンの作品の情報にもとづく。
年 | 歳 | 出来事 |
---|---|---|
紀元前492年 | アケメネス朝ペルシャ帝国がギリシャに遠征を開始し、ペルシャ戦争が勃発する。前490年に第2回、前480年に第3回の遠征が行なわれるが、いずれもアテネを中心とするギリシャ連合軍が勝利した。前477年にはエーゲ海地域の軍事同盟であるデロス同盟が結ばれ、アテネが盟主となる。 | |
紀元前469年 | ソクラテス、アテネのアロペケ区に生まれる。父ソーフロニスコスは石工あるいは彫刻家であったと伝えられる。母ファイナレテは助産師であった。 | |
若いころのソクラテスの姿を伝える証言は少ない。1説では、自然哲学の研究に関心を持っていたという。やがて、デルフォイ神殿の神託が下ったことをきっかけに対話活動を開始するが、これがいつごろのことなのかは不明。 | ||
紀元前461年 | ソクラテス8歳 | 前年に政敵キモンの追放に成功した政治家ペリクレスは、この年からアテネの政治の実権を掌握する。ペリクレスは平和政策を実施するとともに、パルテノン神殿をはじめとする数々の建築物を完成させ、都市整備をすすめた。また、芸術と文化を振興した。これらの政策により、アテネは黄金期を迎える。 |
紀元前449年 | ソクラテス20歳 | アテネがペルシャ帝国と和睦を結び、ペルシャ戦争が終結する。 |
紀元前443年 | ソクラテス26歳 | プロタゴラスが初めてアテネを訪れる。彼はペリクレスの依頼により、このころ建設された植民都市トゥリオイの法律を起草したという。 |
紀元前433年 | ソクラテス36歳 | このころ、プロタゴラスがアテネに2度目の訪問をしたと推定される。本作『プロタゴラス』の設定年代である。 |
紀元前432年 | ソクラテス37歳 | ソクラテス、デロス同盟を破ったポテイダイアの包囲戦に参加する。 |
紀元前431年 | ソクラテス38歳 | スパルタとの間にペロポネソス戦争が勃発。翌年には疫病が流行し、ペリクレスもこの疫病で死去する。このころから、アテネは次第に衰退に向かっていった。 |
紀元前427年 | ソクラテス42歳 | プラトン、アテネに生まれる。父はアリストン、母はペリクティオネ。父母ともにアテネの名門出身であった。 |
紀元前424年 | ソクラテス45歳 | ソクラテス、ボイオティア地方デリオンでの戦闘に参加する。 |
プラトン 3歳 | ||
紀元前423年 | ソクラテス46歳 | アリストファネスの喜劇『雲』が上演される。この作品はソクラテスをソフィストとして揶揄する内容であり、この頃には、ソクラテスはすでに、保守的な人々から警戒されていたと考えられる。 |
プラトン 4歳 | ||
紀元前422年 | ソクラテス47歳 | ソクラテス、スパルタ軍に占領されたアンピポリス奪還のための遠征軍に参加する。 |
プラトン 5歳 | ||
紀元前407年 | ソクラテス62歳 | この頃、プラトンがソクラテスに弟子入りしたといわれる。1説では、プラトンは、悲劇のコンテストに参加しようとしていたが、ソクラテスの言葉に感動して、自分の作品をすべて焼き捨てたという。ただし、じっさいには、プラトンの親戚や兄がソクラテスと親しく交際していたことから、プラトンも、これ以前からソクラテスを知っていたと考えられる。 |
プラトン 20歳 | ||
紀元前406年 | ソクラテス63歳 | ソクラテス、政務委員会の執行委員を務める。このとき、アルギヌーサイ沖の海戦で10人の将軍が漂流者を放置した責任を問われたが、ソクラテスはその措置が違法であるとして、ただひとり反対した。 |
プラトン 21歳 | ||
紀元前404年 | ソクラテス65歳 | この年、アテネがスパルタに降伏し、ペロポネソス戦争が終結する。本作にも登場するプラトンの親戚のクリティアスやカルミデスらにより、独裁政権が樹立される(翌年に崩壊)。このとき、ソクラテスは独裁政権に、サラミスのレオンという人物を逮捕するように命じられるが、これを拒否する。 |
プラトン 23歳 | ||
紀元前399年 | ソクラテス70歳 | ソクラテス、民主派のアニュトスを後ろ盾とするメレトスなる若者に、不敬罪および青年に害を及ぼした罪で告発される。裁判が行なわれ、死刑判決が下される。2月あるいは3月頃に刑死する。 |
プラトン 28歳 | ソクラテスの刑死後、プラトンはアテネを逃れ、各地を遍歴した。この期間に、本作をはじめとする初期作品を執筆したと考えられる。 | |
紀元前387年 | プラトン40歳 | 南イタリアのタラスでピュタゴラス派のアルキュタスと出会う。その後、シシリー島で大国シラクサの僭主ディオニュシオス1世に招かれ、青年ディオンと出会う。ディオンはプラトンの理解者となり、以後、密接な関係が続く。 |
その後、アテネに帰国したプラトンは、ほどなくして、アテネ郊外にアカデメイアと呼ばれる研究教育施設を開設する。プラトンは、その後20年近くにわたり、このアカデメイアでの研究教育活動に専念する。この時代に、『国家』をはじめとする中期作品が執筆され、イデア論を中心としたプラトン哲学が完成する。 | ||
紀元前367年 | プラトン60歳 | この年、アリストテレスがアカデメイアに入学し、プラトンの弟子となる。シラクサでは、ディオニュシオス1世が死去し、ディオニュシオス2世が即位する。ディオンはディオニュシオス2世の教育のためにプラトンを招聘する。しかし、政争に巻き込まれ、ディオンは国外追放となる。プラトンは1年あまりにわたり、ディオニュシオス2世によって監禁される。 |
シラクサからの帰国後、プラトンは、アカデメイアでの研究教育活動を再開するが、この時期から、プラトンの思想に変化が訪れたと考えられる。その後プラトンは、死を迎えるまでの間、中期作品とは異なる特徴を持つ後期作品を執筆する。 | ||
紀元前361年 | プラトン66歳 | ディオニュシオス2世が再びプラトンを招聘する。プラトンはいったんは拒絶するが、ディオンのために招聘に応じる。しかし、関係が悪化し、監禁される。タラスのアルキュタスの尽力によりようやく解放され、翌年、帰国する。 |
紀元前357年 | プラトン70歳 | ディオンがシラクサの政権を掌握する。 |
紀元前353年 | プラトン74歳 | ディオンが政治的対立から暗殺される。 |
紀元前347年 | プラトン80歳 | プラトン死去。執筆中に死んだとも、婚礼の宴の最中に死んだともいわれる。アカデメイアは甥のスペウシッポスが引き継ぎ、以後、ギリシャ世界の学問の中心として、後529年まで存続した。 |