この年譜は、オスカー・ワイルドの略歴に、エイダ・レヴァーソンとの交友に関わりのある事柄を加えて作成したものである。括弧に入れた年齢はエイダ・レヴァーソンの年齢である。
年 | 歳 | 出来事 |
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1854年 | 10月16日、オスカー・フィンガル・オフラハティー・ウィルズ・ワイルド、ダブリンで生まれる。 | |
1862年 | 8歳 | 10月10日、エイダ・レヴァーソン生まれる。 |
1871年 | 17歳 | ダブリンのトリニティー・コレッジに入学。 |
1874年 | 20歳 | オックスフォード大学モードリン・コレッジに入学。 |
1878年 | 24歳 | 詩「ラヴェンナ」で「ニューディゲイト賞」を取り、優秀な成績でオックスフォード大学を卒業。ロンドンに引き移る。 |
1880年 | 26歳 | 『ヴェラ、あるいは虚無主義者たち』 |
1881年 | 27歳 |
『詩集』 アメリカ講演旅行のため出帆。 ワイルドをモデルにしたバンソーンという人物が登場するサヴォイ・オペラ「ペイシェンス」上演。 |
1883年 | 29歳 |
アメリカ講演から戻り、2月、3月パリに滞在。 ニューヨークで「ヴェラ」初演されるが、失敗。 |
1884年 | 30歳 | コンスタンス・メアリー・ロイドと結婚。タイト・ストリートに新居を構える。 |
1885年 | 31歳 |
長男シリル誕生。 「ペルメル・ガゼット」に書評を書く。 |
1886年 | 32歳 | 次男ヴィヴィアン誕生。 |
1887年 | 33歳 |
「カンタヴィルの幽霊」「アーサー・サヴィル卿の犯罪」「アルロイ夫人(のちに「秘密のないスフィンクス」と改題)」「模範的億万長者」 「婦人世界」誌の編集長を務める。 |
1888年 | 34歳 | 童話集『幸福の王子』 |
1890年 | 36歳 | 「ドリアン・グレイの肖像」を雑誌に連載。 |
1891年 | 37歳 |
『ドリアン・グレイの肖像』単行本刊行。『アーサー・サヴィル卿の犯罪』『石榴の家』『意向集』 アルフレッド・ダグラスと知り合う。 |
1892年 | 38歳 |
2月20日「ウィンダミア卿夫人の扇」初演。その直後に、エイダ・レヴァーソンと初めて会う。 「サロメ」の上演が禁止される。 |
1893年 | 39歳 |
「つまらない女」初演。 『サロメ』フランス語版刊行。 |
1894年 | 40歳 |
『スフィンクス』 『サロメ』英語版刊行。 |
1895年 | 41歳 |
「理想の夫」初演。 「真面目が肝腎」初演。 クインズベリー侯爵を名誉毀損で訴えるが、敗訴。逆に男子との猥褻行為のかどで逮捕される。 4月26日、最初の公判。 5月20日、第2回の公判で有罪となり、2年間の入獄と重労働を言い渡される。 |
1896年 | 42歳 |
母死去。 「サロメ」がパリの「作品座」で上演される。 牢屋で『獄中記』を書く。 |
1897年 | 43歳 | 出獄。フランスへ渡る。 |
1898年 | 44歳 |
妻コンスタンス死去。フランス、イタリア、スイスを転々とする。 長詩『レディング監獄の唄』 |
1899年 | 45歳 | 兄ウィリー死去。 |
1900年 | 46歳 | 11月30日、パリにて死去。バニュー墓地に葬られる。 |
1903年 | (41歳) | エイダ・レヴァーソン、「レフェリー」誌にコラム「白と黒」を連載(1905年まで)。 |
1905年 | 『獄中記』刊行。 | |
1907年 | (45歳) | レヴァーソン『十2時間目』 |
1908年 | (46歳) |
ロバート・ロス編『オスカー・ワイルド著作集』刊行。 レヴァーソン『恋の影』 |
1909年 | ワイルドの遺骸がペール・ラシェーズの墓地に改葬される。 | |
1911年 | (49歳) | レヴァーソン『限界』 |
1912年 | (50歳) | レヴァーソン『やきもき』 |
1914年 | (52歳) | レヴァーソン『楽園の鳥』 |
1916年 | (54歳) | レヴァーソン『2目惚れ』 |
1930年 | (68歳) | レヴァーソン、ロバート・ロス編『オスカー・ワイルドからスフィンクスへの手紙』に「回想」を寄せる。 |
1933年 | (71歳) | 8月30日、レヴァーソン没。 |