1890年
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九月一五日、イングランド南西部デヴォンシャー州トーキーのアッシュフィールドの邸宅で、アガサ・メアリ・クラリッサ・ミラー生まれる。父フレデリック・ミラーはアメリカ人で実業家、母クラリッサはイギリス人。アガサは姉マージョリー、兄ルイ・モンタントとの三人きょうだいの末っ子で、家庭は裕福だった。 |
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私立学校に進学した姉兄と異なり、アガサはいわゆる正規の教育は受けず、内気で本好きの少女として育つ。 |
1896年
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6歳
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家の財政状態が悪化の道をたどっていたさなか、父が健康を害する。アッシュフィールドの邸宅を人に貸し、家族で南フランスの町、ポーに半年間滞在。その後アルジェレ、コーテレ、パリでつましい生活を送る。 |
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アガサは家庭教師につきフランス語を習得し、帰国後はドイツ人音楽教師フロイライン・ウーデルのもとでピアノレッスンを始める。 |
1898年
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8歳
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姉からシャーロック・ホームズシリーズの話を聞いたことなどを機に、探偵小説が好きになる。 |
1901年
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11歳
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一一月、父が肺炎で他界(五五歳)。 |
1902年
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12歳
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姉が裕福な工場主と結婚し、マンチェスターのチードル・ホールに住む。 |
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アガサは音楽と読書の日々を送るが、母の勧めもあり、この頃から詩や短編小説をさまざまな雑誌に投稿するようになる。 |
1905年
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15歳
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トーキーのミス・ガイヤーの学校で初めての学校生活を経験。冬にはパリの教養学校に留学し、声楽とピアノに本格的に取り組む。 |
1906年
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16歳
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約一八カ月の留学生活を終え、声楽とピアノの才能を活かせる道を探るが、人前で緊張する性質や声量の小ささを考慮し断念。 |
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冬、母の病気療養のため、母とカイロへ旅行。この旅行に材を得た習作『砂漠の雪』について、アッシュフィールドの邸宅の近くに住んでいた人物で交遊のあった作家イーデン・フィルポッツにアドバイスを求める。 |
1907年
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17歳
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ガストン・ルルー『黄色い部屋の秘密』に感化される。このとき、探偵小説を書けるかをめぐって姉と論争したことが、のちに作家となる動機に。 |
1912年
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22歳
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一〇月、クリフォード卿のダンス・パーティで英国陸軍航空隊所属の将校アーチボルド・クリスティー少尉と出会う。当時アガサは、レジー・ルーシーと婚約していたが、これを解消。 |
1914年
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24歳
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7月、第1次世界大戦が勃発(~1918年一一月)。アーチボルドはフランスの前線へ召集される。 |
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12月、アーチボルドと2人だけの慌しい結婚式を挙げる。夫が戦地に赴いているあいだ、アガサはトーキーの陸軍病院でボランティアの看護婦を志願し、のちに薬剤師として働き(~1918年)、毒薬の知識を得る。この環境に触発されて詩「薬局にて」を作る。 |
1916年
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26歳
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処女作『スタイルズ荘の怪事件』を執筆し始め、後半はホテルにこもって一気に脱稿。名探偵エルキュール・ポアロはここで誕生。複数の出版社に送るものの、いずれも採用されなかった。 |
1918年
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28歳
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アーチボルドが空軍省に異動。 |
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九月、ロンドンのノースウィック・テラスの新居に引っ越す。 |
1919年
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29歳
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八月、アッシュフィールドで娘を出産。シェイクスピア『お気に召すまま』のヒロインにちなみ、ロザリンドと名付ける。 |
1920年
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30歳
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ボドリー・ヘッド社の編集者ジョン・レーンに才能を認められ、最初の推理小説『スタイルズ荘の怪事件』を刊行。母に捧げられた。初版の約二〇〇〇部を完売するが、収入は僅か二五ポンドだった。 |
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第2作『秘密機関』(1922年)についで『ゴルフ場殺人事件』(一九二三年)も好評を博し、新進小説家として存在感を示す。 |
1923年
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33歳
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大英帝国博覧会の宣伝使節を任じられた夫と、世界1周旅行をともにする(前年から)。南アフリカ、オーストラリア、ニュージーランド、ハワイ、カナダ、アメリカを訪ね、アガサはサーフィンに夢中になった。帰国後、夫に職がなく、一家の経済状態は悪化。 |
1924年
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34歳
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詩集『夢の道』をジョフリー・ブレス社から自費出版。『茶色の服の男』で初めてまとまった収入を得、夫も金融業に転職したことで家計の状態は落ち着く。ロンドンから南西郊外のサニングデールに転居し、「スタイルズ荘」と名付ける。 |
1926年
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36歳
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姉に捧げた推理小説『ロジャー・アクロイド殺人事件』を刊行(版元コリンズ社では初)。このトリックが公平か否かをめぐる論議を呼んだことで、一躍有名に。 |
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早春母が他界。神経衰弱に陥る。 |
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夏、夫が別の女性と結婚したいといってアガサに離婚を迫る。 |
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一二月三日、謎のいわゆる「失踪事件」を起こす。一二月一三日、ヨークシャーのハロゲイトにある鉱泉療養のためのハイドロパシック・ホテルで発見される。マスコミ各紙が報道し、一部では売名行為ではないか、夫が殺したのではないかなどの憶測が飛んだ。のちに、失踪の原因は記憶喪失症にあったと診断される。 |
1927年
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37歳
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『ビッグ4』を上梓し、作家としての自覚を新たにする。「スタイルズ荘」を売却。 |
1928年
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38歳
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二月、ロザリンド、シャーロット・フィッシャーとともにカナリア諸島で休養。 |
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四月、アーチボルドとの離婚が成立。 |
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五月、『ロジャー・アクロイド殺人事件』がマイクル・モートンにより『アリバイ』という題名で劇化・上演される。また、クリスティー作品が初めて映画化される(『秘密機関』を原作にした映画『Die Abenteuer GmbH』、ドイツ)。 |
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秋、アガサは旅行でオリエント急行に乗車。 |
1929年
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39歳
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オリエント急行で、走行途中に大雪が原因で立ち往生する出来事がある。 |
1930年
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40歳
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中近東を旅行中、考古学の権威レオナード・ウーリー博士夫妻の紹介で、ウルの古代都市発掘に参加していた考古学者マックス・マロウアン(当時二六歳)に出会う。 |
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九月、大英博物館に勤務するマックスと、エディンバラのセント・コロンバ教会で再婚し、キャムデン街に住む。以後、マックスのイラクやシリアにおける発掘に、アガサは調査隊員として同行するようになる。 |
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メアリ・ウェストマコット名義で『愛の旋律』(普通小説)を刊行。また30年代はアガサにとって最も脂ののった時期で、数々の長編や名作の多くが生まれた。 |
1934年
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44歳
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『オリエント急行殺人事件』を出版。 |
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メアリ・ウェストマコット名義で、自伝的性格の大きい小説『未完の肖像』を刊行。 |
1936年
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46歳
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『ABC殺人事件』を出版。 |
1937年
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47歳
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『ナイルに死す』を出版。 |
1939年
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49歳
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『そして誰もいなくなった』を出版。 |
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グリーンウェイ・ハウスを購入。ロンドン近郊のウォーリングフォードの家とともに、後半生の多くの時間をこの家で過ごすことになる。 |
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9月、第2次世界大戦が勃発(~1945年九月)。アガサは再び薬剤師を志願し、グリーンウェイ・ハウスは疎開した人のための託児所として提供。自身はドイツ空襲下、ロンドン市内のシェフィールド・テラスで生活する。 |
1941年
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51歳
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アガサは、大学病院の薬局で薬剤師として働く(~1944年末)。 |
1942年か43年頃
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52、53歳
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ポアロ最後の事件である『カーテン』、ミス・マープル最後の事件『スリーピング・マーダー』を執筆し、高額の保険をかけ銀行の金庫に保管。前者の印税は娘に、後者の印税は夫に贈られた。 |
1943年
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53歳
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九月、娘ロザリンドの息子(アガサにとって初孫)マシューが誕生。ロザリンドの夫は後に戦死。 |
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一一月、『そして誰もいなくなった』を脚本化し、ロンドンのセント・ジェームズ劇場で上演され好評を得る。これ以後、演劇活動を始める。 |
1945年
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55歳
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『そして誰もいなくなった』がルネ・クレール監督によりアメリカで映画化される。 |
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一二月、グリーンウェイ・ハウスの提供を終える。 |
1946年
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56歳
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アガサ・クリスティー・マロウアン名義で、中近東での発掘の日々を回想した『さあ、あなたの暮らしぶりを話して』を出版。 |
1949年
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59歳
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「サンデー・タイムズ」紙が、メアリ・ウェストマコットがアガサ・クリスティーであると暴露する。 |
1950年
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60歳
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王立文学協会のフェローとなる。イラクで『アガサ・クリスティー自伝』の執筆を開始。ミス・マープルもの『予告殺人』を刊行。 |
1952年
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62歳
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メアリ王太后八〇歳の誕生日のために書き上げたBBC放送のラジオ劇『三匹の盲目のねずみ』が、一一月、ロンドンのアンバサダー劇場で『ねずみ取り』と改題され上演される。この作品は、世界で最も長いロングラン興行となる。 |
1953年
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63歳
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一〇月、ロンドンで戯曲『検察側の証人』が初演され好評を博す。 |
1954年
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64歳
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『検察側の証人』がニューヨーク、ブロードウェイに進出。 |
1955年
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65歳
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五月、『検察側の証人』がニューヨーク劇評家協会から最優秀海外演劇賞を受賞する。 |
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九月、アガサとマックスが銀婚式を迎える。 |
1956年
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66歳
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CBE(Commander of the British Empire)を叙勲。エクセター大学名誉博士号を受ける。 |
1957年
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67歳
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『パディントン発四時五〇分』を出版。ビリー・ワイルダー監督により、『検察側の証人』を原作とした映画『情婦』が製作される。 |
1962年
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72歳
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一二月、最初の夫、アーチボルド・クリスティーが他界。 |
1965年
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75歳
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『アガサ・クリスティー自伝』を脱稿。 |
1968年
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78歳
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夫マロウアンがナイト爵位を授与される。 |
1970年
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80歳
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八〇冊目のミステリ『フランクフルトへの乗客』を出版。現実のハイジャック事件をテーマとして先取りしていたことで、世界中で話題になる。 |
1971年
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81歳
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DBE(Dame Commander of the British Empire、ナイトに相当する女性の階級)を受け、「デーム・アガサ」となる。 |
1973年
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83歳
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最後となった小説『運命の裏木戸』を出版。 |
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一〇月、心臓発作に見舞われ、事実上、創作活動を終える。 |
1974年
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84歳
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イギリスで映画『オリエント急行殺人事件』が製作され、世界各国でヒット。 |
1975年
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85歳
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戦争中に書いたポアロ最後の事件『カーテン』の発行許可を出す。 |
1976年
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1月12日昼過ぎ、ウォーリングフォードの自宅で逝去。享年八五。 |
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一〇月、戦争中に書かれた『スリーピング・マーダー』が刊行。 |
1977年
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『アガサ・クリスティー自伝』出版。 |
1984年
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BBCで、ジョーン・ヒクソンがマープルを演じるテレビシリーズが開始。 |
1989年
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ITVで、デイヴィッド・スーシェがポアロを演じるテレビシリーズが開始。 |
1990年
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クリスティー生誕百年記念で、ロンドンや生まれ故郷のトーキーなどで、さまざまな祭典が催される。 |
1997年
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それまで単行本未収録だった作品を集めた『マン島の黄金』が刊行。 |
2000年
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一二月、『ねずみ取り』が上演回数二万回に到達。 |