1797年
|
|
ウィリアム・ゴドウィン、メアリー・ウルストンクラフトの娘として、八月三〇日にロンドンで生まれる。父ゴドウィンは、自由主義思想を唱え『政治的正義』などの著書を持つ思想家であり、小説家としてもゴシック小説『ケイレブ・ウィリアムズ』を書いたことで知られる人物。母のウルストンクラフトは女性の権利拡大を訴えた急進的思想家で、『女性の権利の擁護』などを出版した文筆家だったが、メアリーを出産後に死去。 |
1801年
|
4歳
|
父ゴドウィンがメアリー・ジェイン・クレアモントという未亡人と再婚。その一家とともにロンドン近郊で育つ。 |
1804年
|
7歳
|
この頃、父ゴドウィン宅で詩人サミュエル・ティラー・コールリッジが自作詩『老水夫の歌』を朗読するのを聞いたとされる。 |
1814年
|
17歳
|
すでに親交のあった詩人パーシー・ビッシュ・シェリーとヨーロッパ大陸に駆け落ちし、フランス、ドイツ、スイスなどを旅行したのち、イングランドに帰国。なお、この旅行には義妹クレア・クレアモントも同道した。 |
1815年
|
18歳
|
娘を出産するが、すぐに死去。 |
1816年
|
19歳
|
息子ウィリアム誕生。夫シェリー、クレアとともにジュネーヴに旅行。バイロンの借家近くに家を借りた。この年の六月一六日に『フランケンシュタイン』を書き始める。 |
|
|
12月、シェリーの妻ハリエット自殺。その年末にメアリーはシェリーと正式に結婚。 |
1817年
|
20歳
|
5月14日に『フランケンシュタイン』脱稿。この年、娘クララを出産。 |
|
|
一一月、処女作『六週間の旅』出版。 |
1818年
|
21歳
|
一月一日、『フランケンシュタイン』出版。 |
|
|
九月、長女クララ、ヴェニスで死去。 |
1819年
|
22歳
|
長男ウィリアム、マラリアのため、ローマで死去。 |
|
|
一一月、息子パーシー・フローレンスをフィレンツェで出産。 |
1822年
|
25歳
|
七月八日、夫シェリーがイタリア西海岸で溺死。以後、心の痛手に悩まされながら子供の養育費や学資をつくるために、小説、伝記、旅行記などを精力的に執筆。 |
1823年
|
26歳
|
二月、一四世紀イタリアを舞台にした歴史小説『ヴァルパーガ』出版。 |
|
|
七月二九日、『フランケンシュタイン』をR・B・ピークが劇化したものがロンドンで上演され、帰国したメアリーは息子パーシーと八月二八日にこれを観劇。『フランケンシュタイン』第二版出版。 |
1824年
|
27歳
|
バイロン、ギリシャで死去。この年、小説『最後の人間』を書き始める。また亡夫シェリーの詩集を編纂するが、シェリーの父がその出版に強く反対したため、初版五〇〇部のうち三〇〇部あまりを売っただけで、残部の販売をあきらめる。 |
1826年
|
29歳
|
『最後の人間』出版。 |
1830年
|
33歳
|
歴史小説『パーキン・ウォーベックの運命』出版。 |
1831年
|
34歳
|
『フランケンシュタイン』改訂第三版出版。 |
1836年
|
39歳
|
父ゴドウィン死去。 |
1839年
|
42歳
|
メアリーが編纂した亡夫シェリーの詩集、四巻本及び一巻本を出版。 |
1840年
|
43歳
|
息子パーシー及び彼の友人たちとドイツ、スイスなどを旅行。 |
1844年
|
47歳
|
シェリーの父ティモシーの死去により、パーシーがシェリー家の財産を相続。これによりメアリーは金銭面の苦労から解放された。『ドイツ、イタリア漫遊』出版。 |
1851年
|
53歳
|
二月一日、ロンドンの自宅で死去。遺骸はボーンマスに両親と並んで埋葬された。 |
1959年
|
|
中編小説『マティルダ』出版。父と娘の近親相姦を扱った作品のため、この年まで出版されなかった。 |