2013.06.03

「新・古典座」通い — vol.19 2013年3月〈後編〉

「光文社古典新訳文庫」を、良質な古典作品がかかる劇場に見立て、毎月新刊を紹介。その時々の街の話題と一緒に。[文 : 渡邉裕之・文筆家]
〈今月の新刊〉
『ご遺体』(イーヴリン・ウォー 小林章夫/訳)

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魯迅の酒場小説を、呑みながら語ろう!
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さて後半は、魯迅の『孔乙己(コンイーチー)』について、ライターの大竹聡さんと話をします。(大竹ファンのみなさん、お待たせしました!)この小説は『故郷/阿Q正伝』(藤井省三訳)に収められている。
大竹さんは、雑誌「酒とつまみ」の創刊編集長。酔っぱらいの笑える醜態をテーマにした雑誌といえばよいのでしょうか、酒呑みでリトルマガジン好きという酔狂な人たちに支持されています。

大竹さんは、最近では、光文社新書で出した『ひとりフラぶら散歩酒』『ギャンブル酒放浪記』(本の雑誌社) などを発表し、酒をテーマにした書き手として注目されている人。
『孔乙己』は、中国の呑み屋を舞台にした小説なので、「酒とつまみ」の大竹さんと話そうと思ったわけです。呑みながら。

その呑み会につきあってもらったのが、ライター・編集者の北條一浩さんと、校正者の大西寿男さん。お二人は、私が参加しているメールマガジン「高円寺電子書林」の同人。このメルマガに大竹さんは連載をもっていまして、私は担当編集者なのでした。
高円寺電子書林の二人とメルマガの紹介は、最後にさせていただいて、話を始めましょう。
場所は、大竹さんに指定してもらった呑み屋です。

呑み屋を舞台に、魯迅は何をしたかった?
故郷/阿Q正伝

渡邉 武蔵小金井にある大黒屋、なんか落ち着く呑み屋さんですね。大竹さんが発見したんですか?

大竹 いや、この店が今のビルに入る前、一軒家の時代に、牧野伊三夫さんに連れてきてもらいました。

渡邉 画家の牧野伊三夫さんは、このところ人気ですね。単行本の装丁や表紙の絵、それに注目の北九州のタウン誌「雲のうえ」の編集委員をやったり......ここ数年ですごくファンが増えている。

大竹 そうですね。彼とは15年くらい前からの知り合いです。「WHISKY VOICE 」というサントリーがバーに配る小冊子があります。ライターとして僕は参加させてもらっていたのですが、牧野さんがアートディレクター、それでつきあいが始まった。僕の担当はバー巡りで、打ち合わせ・取材・打ち上げ、すべて呑みながら行われる(笑)、そんな仕事でした。

渡邉 素晴らしい! 私たちも呑みながらの仕事をしましょう。今日は魯迅の『孔乙己』について話そうと思います。中国の小さな街の小さな呑み屋さんを舞台にした、文庫本で10ページしかない作品です。
物語の語り手は、酒のお燗担当の少年。奥には座席があるけれど、金のない連中は入ってすぐのカウンターで酒を立ち呑みです。肴に塩茹での竹の子や、空豆をウイキョウと煮込んだウイキョウ豆なんかが出る。美味しそうですね。ぐっとくる。

大竹 そんな店にやってくるコンイーチーは、科挙の一番最初の簡単な試験にも通らなかったというインテリ崩れ、そしていつもお金がない。字だけはうまくて、写本をしてお金を稼いでる。そのささやかな稼ぎで酒を呑みにくるんだけど、店に屯してる労働者たちから思い切りからかわれる。酒を注文すれば「また、よそ様の物を盗んだんだろう!」とかいわれるんですね。

渡邉 客は、コンイーチーを馬鹿にして、それを肴に呑んでいく。人を馬鹿にして楽しむ。まあ、呑み方のひとつではありますよね。
昔、僕が出席した友人の結婚式はそれでした。会社関係の人間が新郎をいびりながら呑んで楽しむ会だった。聞いているうちにだんだんムカムカしてきて、遂に僕は「彼はそんなヒドイ男じゃありません!」といってしまった。......こういう呑み方がわからなかったんだな〜(笑)、その会で相当僕はダサイ人でした。

大竹 肉体労働者がインテリ崩れをいじめるというのは、東西問わずいつの世でも行われていたことでしょうか。

渡邉 「また、なんか盗んだ」とか揶揄されるんだけど、実際、コンイーチーは写本の際に本や筆、硯なども盗むこともあったらしい。そして彼が店に現れない日が続く。すると盗みの罪で足をへし折られたという噂が流れてくる。そんなある日、少年がカウンターの下から、熱燗を注文する声を聞く。覗いて見ると、足を折られて地面に座っている彼がそこにいるわけです。

大竹 それからまた、コンイーチーいじめがはじまるんですね。その日以来、彼はやってこない。「おそらくコンイーチーは死んだに違いない」と少年が考えるところで物語が終わる。まさに身も蓋もない小説。
魯迅はどうしてこんな小説を書きたかったんだろう? 僕は考え込んでしまったな。日本の小説にも、「こんな暗いもの書いてどうすんだ!?」と思わずいってしまいたくなるものがあります。でも若い頃は、身も蓋もないところが新鮮で、「ビビッドだから、いいかあ〜!」なんて思ってしまう。
この小説も僕は若い頃読んでいますが、まだ感性が新鮮だったから、そんなふうにやり過ごした。だけど年をくって今回読んだら「なんでこんなことを魯迅は......」と考え込んでしまった。
これが少年目線ではなく、コンイーチー自身の語りで描かれる「自虐もの」であれば、ピンときたのかもしれません。

渡邉 この小説が発表されたのは1919年。少年がその時点で店に数年顔を出していないコンイーチーのことを思い出しているとしたら、彼が酒場でいじめられていたのは1917年くらいとも考えられる。そう、ロシア革命の年。そんな激動の時代を思うと、どうも「インテリ崩れ」っていうのが気になり出す。
僕はこの小説のポイントは、少年目線ではないかと思っています。語り手が未熟で、視線が届かないところがあるというところが仕掛けじゃないかしら。だとしたら、コンイーチーは、それなりのインテリだったとも考えられる。
こんなことをいうのは深読みではなくて、小説を読みながら思い出したことがあるからです。
僕は80年代前期、西荻窪に住んでいて、当時「のみ亭」という酒場によくいっていました。やっちゃんという魅力的な男が主人で、今もやっている店です。
あの頃、呑みにいくと必ずカウンターで一人呑んでいるオヤジがいた。黙々と飲んでいるその人を、僕は単なる酔っぱらいだとずっと思っていたのですが、しばらしくして、『バナナと日本人』(岩波新書)『ナマコの眼』(ちくま学芸文庫) などを書いた鶴見良行さんだと知ります。
彼は鶴見俊輔などが出たインテリ一族、鶴見一族の一人です。外交官の息子でアメリカ生まれで英語が堪能でした。近代日本、特に戦後は英語を使って地位を上昇させていくインテリたちが多い中、鶴見さんは英語を使ってアジアの暮らしに降りていった人だった。たとえば、アメリカで国際会議があると、わざわざベトナム経由で出かけていく。アメリカのお金を遣ってベトナム戦争当時のサイゴンの人たちの暮らしを見にいくんですね。
そういった経験を踏まえ、日本を取り巻くアジアの状況を、バナナやナマコなどを通して語るという独自の方法論を身につけていったインテリです。でも、彼はアジアの民衆とのコミュニケーション能力があまりにも高かったのか、酒場の客の私なんかには単なる酔っぱらいにしか見えなかった(笑)。
そんな経験があるから、「コンイーチーそれなりのインテリ説」をいったりしたくなる。だからこの小説に、ロシア革命の時代、労働者に馬鹿にされている中国のインテリという光景を見てしまいます。

大竹 いや、魯迅は、この国では今こういうことが起きているとストレートに示したかったんでしょう。だから、この小説はストレートに読むべきものだと思います。科挙という古い制度があり、それにうまく入れなかったものは役立たずよばわりされていて、そして野垂れ死んでいく。それに対する怒りがこれを書かせたのでは。

渡邉 しかし怒りは強く感じられない文体ですね。非常に抑制された言葉を遣っています。

大竹 確かに。実に行き届いた文章です。この小説を読んでいると、そろそろ終わるかなとわかるんです。終わるぞと思わせておいて、実際に終わる(笑)。非常に整理され作り込んだ文章なんですね。

北條 二人の話を聞いていて、気づきました。昨年、僕が編集した『冬の本』(夏葉社) という本で、『孔乙己』について書いたエッセイを載せているんですね。『冬の本』は、 冬に読みたい本や、冬がイメージできる本についてのエッセイを集めた本です。大竹さんも書き手の一人なんですが、倉敷で蟲文庫という古書店をやっている田中美穂さんのエッセイも入っていて、そこで彼女は『孔乙己』について触れていました。僕はこの小説を読んでいないので、詳しくはわからないのですが、「窃書(せっしょ)」という言葉が物語に出てくる。本を盗むことらしいんですが、そこから田中さんは自分のお店で万引きされたことについて書いている。最初は悔しいんだけど、だんだん万引きした人を許せるようになっていく、その心情の変化を『孔乙己』にかけて書いているんです。

渡邉 なんか、読みたくなるエッセイですね。
その「窃書」なんですが、「 窃書は盗みにあらず、それは読書人のこと」などといって、コンイーチーは教養をひけらかし、自分の盗みをごまかしたりする。確かに彼には色々と知識があって、「あらんや」とか「ならざるけり」などという言葉遣いもする。それをまた客にからかわれたりするのですが、まあ、コンイーチーもあまりよい酒呑みではないですね。

大西 中国の場合、酒呑みの話というのは、「反体制」という流れがあるじゃないですか。非常に大雑把にいいますが、李白にしても陶淵明にしても、世捨て人になって世の中に物申すという古典的伝統がある。野に下って憂国の立場が酒呑みなんです(笑)。今日、お二人の話を伺っていると、この小説は、そういう伝統的構図を完全にひっくり返しているようなところがある。

渡邉 そうですね、野に下って尚かっこいいインテリじゃない。魯迅は主人公をカウンターの下の土間にまで座らせ、敷居に置いた酒を飲ませている。僕は西荻の呑み屋で、酔っぱらいが鶴見良行だとわかった時、「ああ、いい光景を見せてもらいました」と思ったけれど、ここには、反体制のロマンなど微塵もありません。

北條 作り込んだ小説というよりは、これはドキュメンタリーと理解するといいんじゃないですか。

大竹 そんな感じがするんですよ。科挙という制度が自分の国にあり、それに失敗したら泥にまみれるしかない。日本という外国に留学し帰ってきた魯迅は、「こんなことをしていてどうするんだ」と思ったんでしょう。見方としては凡庸だけど、そんな現状をしっかりドキュメントした小説なんだと思います。

『ひとりフラぶら散歩酒』と二つの言葉

渡邉 少し話題を替えて、大竹さんが光文社新書で出した『ひとりフラぶら散歩酒』について話しましょう。
テーマは、散歩と昼酒ですね。散歩をしながらその街の呑み屋に数軒寄っていく、その様子を書いたエッセイ集。「高尾山〜府中」に「三浦海岸〜鎌倉」、「神保町〜後楽園〜神楽坂」などいった界隈を歩いている。特徴は、知っている街や酒場を案内するのではなくて、知らないところをウロウロしているところ。読んでいると「俺の方がこの街、知ってるよ〜」と思わずいいたくなる、心もとない散歩が魅力です(笑)。

大竹 役に立ってたまるか〜という感じですね(笑)。

渡邉 大竹さんのテリトリーというのは、どこなんですか?

大竹 限られたところしかないな。事務所がある日本橋馬喰町と新宿、それに西荻・吉祥寺・府中にそれぞれ二、三軒というところです。「酒とつまみ」で、中央線を各駅停車で降り、そこの呑み屋でホッピーをひたすら飲んでいく、「ホッピーマラソン」という酔狂な企画があって、そこでいいなあと思った店はちょこちょこあるんですけど。

渡邉 この本は、月刊「小説宝石」(光文社)の連載からセレクトされて構成されています。
大竹さんたちが出した雑誌「酒とつまみ」は、とても評判がよくて、特に出版関係にウケがよかった。この連載は、評判を知った編集者からの連絡から始まったものですか?

大竹 「小説宝石」の編集者の場合は、「酒とつまみ」発行以前から知り合いですから、そうじゃないのですけど、あの雑誌をきっかけに色々な方から連絡をもらいました。
2006年に、自腹で『中央線で行く東京横断ホッピーマラソン』(大竹編集企画事務所→現在、ちくま文庫) という本を出した。これはピンで書いた最初の本なんですが、インターネットの時代だったんで、このタイトルがネットでよくひっかかったんですね。
ほら、年末になると、酒と酒場のテーマで4ページを作らなければいけないとかあるでしょう? そうした企画に悩む、どこかの雑誌のライターが苦しまぎれにネットで検索する(笑)。すると「ホッピーマラソン」とか「酒とつまみ」創刊編集長とかいって僕の名前がひっかかる。こいつだったらコメントくれるだろうと連絡くれるんですね。それをきっかけに仕事をもらったこともあります。

渡邉 「酒とつまみ」の創刊は、2002年10月。この雑誌の評判の伝わり方はすごかったですね。みんなA5判のリトルマガジンをすごく求めていて、でも面白いのがなかなかなくて、そんな時の登場でしたから、それこそ枯野に火が広がるように知れ渡った。

大西 あの雑誌の一番の魅力は、書き言葉じゃないところがあるような気がします。呑み屋って話し言葉の世界じゃないですか、その面白さが、とても上手に引き出されています。

大竹 創刊号のインタビューは中島らもさんでした。一緒に呑みながら酔っぱらい話を聞くという企画ですが、取材を受けてくれたことが、うれしくて、巻頭記事は、らもさんでいこうとしたんです。
そしたら、編集を中心的にやっていた渡邉和彦君(現在の編集発行人)が、「いや、俺たちが初めて自分たちで作った雑誌なんだから、創刊号のトップはあんたの『ホッピーマラソン』だ」といってきた。心意気を示せといわれ、断れなくなった(笑)。
それで書こうと決心したんですが、書けない、う〜ん、どうしようかと悩んでいる時、講談社文庫の柳屋小三治さんの『ま・く・ら』という本に出会う。落語の本編はいっさいなく、枕だけが収められている本。これがやけに面白い!
落語の枕ですから話し言葉。そうだ、この「あたしゃね」で「ホッピーマラソン」の様子は書けそうだと思ったんですね。それで、あの文体になったのです。

渡邉 今、僕らがやっている「高円寺電子書林」というメールマガジンで、大竹さんは「酒場の名人」という連載を続けています。酒場で出会った「忘れ得ぬ人たち」のエピソードを書き留めたエッセイ。短くキラリと光る文章を書き言葉できっちり書いている。そして『ひとりフラぶら散歩酒』は、まさにフラフラぶらぶらの話し言葉。大竹さん、どちらに立とうと思ってますか?

大竹 書き言葉と話し言葉。それぞれの端っこにいきたいと思ってます。 書き言葉は、きちんと事実が辿れるように書くのがいい。「酒場の名人」も一夜の出来事をその通り書いている。特別な表現をしなくとも、出来事を順番に書いていけば、うるっとくるというのが、書き言葉の醍醐味です。
反対に、話し言葉は、感動させてやろうというのが透けて見えるのが、かえって安心できて面白い。

渡邉 う〜む。武蔵小金井の酒場で、名人に出会った気持ちです。

大竹 書き言葉は、しっかりとした設定をし、起きた出来事を順番通りに綴れば、読者はほろっとしたりニヤッとしてくれる。それにフィクションの要素を入れ、狙った世界が書ければ小説ということになるでしょう。
魯迅の『孔乙己』だって、そうです。どうして天の声ではなく、あの小僧が語り手なのか。それは不器用でお燗の番しかできないような、どうしようもない子供、しかも、そのさらに下に人がいるという仕掛けだからです。それが設定され、あとは淡々と順番に出来事が書かれているだけじゃないですか。
そして最後、あ、このページをめくると終わるなと思わせて、めくればやっぱり終わる(笑)。やはりこれはよく整理された小説なんですよ。

大竹聡
ライター。先に紹介した著書の他に、『ぜんぜん酔ってません 酒呑みおじさんは今日も行く』(双葉文庫)、『酒呑まれ』(ちくま文庫)など、小説に『愛と追憶のレモンサワー』(扶桑社)などがある。
北條一浩
ライター・編集者。著書に『わたしのブックストア』(アスペクト)。「サンデー毎日」「本の雑誌」などで執筆。
大西寿男
校正者、個人出版事務所・ぼっと舎主宰。著書に『校正のこころ 積極的受け身のすすめ』(創元社)、『校正のレッスン 活字との対話のために』(出版メディアパル)などがある。
高円寺電子書林
編集、校正、ライター、書店などの仕事をしているメンバーが集まり、本の話題を中心に様々な文化現象を語るテクストを集めた無料メールマガジン。渡邉裕之は、「女の人と和解するための読書」を連載している。登録は以下のサイトで。
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故郷/阿Q正伝

故郷/阿Q正伝

  • 魯迅/藤井省三 訳
  • 定価(本体780円+税)
  • ISBN:75179-1
  • 発売日:2009.4.9