三月末に「ボローニャ国際児童図書展」いわゆる「ボローニャ・ブックフェア」に行ってきました。有名なブックフェアには「フランクフルト・ブックフェア」「ブック・エキスポ・アメリカ」「ロンドン・ブックフェア」があります。なかでも「フランクフルト・ブックフェア」は、歴史も古く世界中から出版人が集まる、文字通り最大の書籍の見本市です。
ブックフェアには、過去何度も参加していますが、ボローニャ・ブックフェアは今年が初めてでした。このブックフェアは絵本、児童書やヤングアダルト小説(おもに16,17歳の主人公が登場する、児童小説と一般の小説の中間に位置する小説群)を扱っています。今年で51回目になるそうですが、ここでも欧米をはじめとする多くの出版社が出展しており、世界中の出版人が商談に訪れます。
ブックフェアは外側から見ると、いったい何をしているのか皆目見当がつかない世界です。1997年に初めてフランクフルト・ブックフェアに参加した僕は、会場でぼうぜんとしたことを憶えています。途方もなく大きなメッセに無数のブースが設けられ、そこを訪れると、これから刊行される予定の本の説明が延々と続くのです。
いまでこそ、日本の書籍も海外へ翻訳権が売られることが多くなり、翻訳権ビジネスがどういうものであるのか、出版関係者もある程度は理解しています。しかし当時は、もちろんノンフィクションの本に関する極端な例ではありますが、将来発売される本のレジュメと冒頭からの数章を読んだだけで、その本の翻訳権の売り買いをするなどという世界が存在すること自体に、驚きの念を禁じえませんでした。
今回訪れたボローニャ・ブックフェアでも、本質的には同じ翻訳権の取引が行われているのですが、児童書ということもあって、雰囲気は他のフェアのようなビジネスライクなものとは違い、牧歌的といってもいいほど感じのよいものでした。市場の流れと傾向を知ることが、僕たちの目的だったのですが、会場の程よい大きさと、展示されている絵本や児童書のカバーデザインにおおいに癒されたと言ってもいいと思います。
興味深かったのは、ヤングアダルト小説の人気の高さです。しかしながらアメリカやイギリスでは初版が数十万部、世界30カ国で翻訳権が売買されている作品がなぜか日本でだけ刊行されていないのです。これには、欧米の出版社の版権担当者も一様に首をかしげていました。日本にはそのジャンルと重なるマンガがあるから、あるいは現代日本人の内向き志向が、海外を舞台にした作品を好まないなど、さまざまな分析や意見を会場でも聞きました。
どれも当たっているような気がしましたが、本当のところはどうなのでしょうか。これからの日本の出版のあり方を含めて、よくよく考えてみるべき問題だと思いました。デジタル化の急速な進展で、もはや一国で完結する文化の発展という図式は不可能になったようにも思えるのです。
会場では写真にもあるように、着ぐるみたちが歩き回り、お祭り気分を盛り上げています。また、各種のイベントもあり、トークショーや寸劇なども行われていました。ちなみに同じホテルに泊まっていて、朝食で一緒になることが多かった青年は、ロンドンから寸劇の役者として参加したそうです。
光文社古典新訳文庫にも、児童文学の古典はたくさん入っています。『宝島』『秘密の花園』『トム・ソーヤーの冒険』『仔鹿物語』『飛ぶ教室』『ジーキル博士とハイド氏』、さらにはイタリアのジャンニ・ロダーリをはじめとする児童文学者の作品もあります。すべての作品が、旧来の訳をはるかに超えたレベルで翻訳され、大人にも十分に楽しめる水準になっていると自負しています。
欧米のエージェントとそんな話をすると、彼らも目を輝かせて、それらの物語の面白さについて語ってくれましたので、世界中で古典はまだ生きているのだなと、おおいに力づけられました。そして「未来の古典」たりうる現代作品の話になりました。大きな収穫のあったフェアでした。
ボローニャの街について、ひとつだけ印象を記しておきます。ボローニャ大学はヨーロッパ最古の大学だそうです。かつて、ダンテ、ガリレオ、コペルニクス、ペトラルカなど、人類の知の歴史に燦然と輝く人物たちが学んでいました。今でも学生が多いせいか、とても充実した書店が、たくさんあるのに驚きます。
かなり大きい書店が多いのですが、並んでいる本の種類の多さといったら。イタリア語に不案内な僕にも、表紙に印刷されている著者の名前はかなりな確度でわかります。哲学から文学、歴史、経済学、社会学まで、触発される書目がズラリと並んでいるのです。
もちろん新刊もならんでいます。しかし哲学の棚にいけば、ニーチェ、ショーペンハウワ―、文学の棚に行けばダンテと三島由紀夫が、さらにはマルクス、毛沢東に、あのマクルーハンがあるといった具合です。古典を古典とあえて言わなければいけない国に生きている人間にとって、この無造作ともいえる本の並べ方に圧倒的な豊かさを感じました。
そして書店には、いつも人があふれていました。老若男女を問わず熱心に本を探しています。しかも親子で来ている人も多いのです。編集者という職業柄、どんな国に行っても書店を覗くのが習い性となっていますが、ボローニャの書店には、軽い眩暈をおぼえるような、こう言ってよければ、書店としての存在の確かさがありました。
「フェルトリネッリ」という書店に入った時は、ああ、この書店か、という深い感慨がありました。ご存じの方も多いかと思いますが、この書店チェーンは同じ名前の出版社を立ち上げたジャンジャコモ・フェルトリネッリという出版人が作りあげたものです。莫大な富を持った一族に生まれた彼は、出版社を起こし、ソ連時代に弾圧され国内で出版の道を断たれていたパステルナークの『ドクトル・ジバゴ』をイタリアで出版したのです。この人物について書かれた『フェルトリネッリーーイタリアの革命的出版社』(カルロ・フェルトリネッリ/著 麻生九美/訳 晶文社)という本があります。イタリア出版史に大きな足跡を残しながら、最後は左翼運動に身を投じ、謎の爆死を遂げた希代の出版人の生涯を、その息子が描いた比類のない物語です。この本については稿を改めてご紹介したいと思っています。
実り多き旅になりました。時差ボケには、まだ悩まされていますが、イタリアの知的な階層の健在ぶりに強い印象を受けたことを記して終わりたいと思います。
[文 : 翻訳編集部 編集長・駒井 稔]