2018.11.22

「字幕マジックの女たち 映像×多言語×翻訳」 Vol.2 比嘉世津子さん〈スペイン語〉Anecdota1

古典新訳文庫ブログのインタビュー〈女性翻訳家の人生をたずねて〉に、新しいシリーズが加わります。本という媒体ではなく、〈映像〉の世界で外国語を日本語に翻訳している女性たちにお話を聞いていきます。そもそも不可能か?とも言われる翻訳を、さらに短い文字制限で日本語にするというマジックへの挑戦者たち。しかも、英語以外の外国語を扱う翻訳者のシリーズです。字幕や映像翻訳という仕事の苦労と魅力、その言語との出会い、子どもから大人に成長する過程でのアレコレ。"不実な美女たち"の「妹」シリーズとして、ご愛読いただければ幸いです。

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vol.1の吉川美奈子さん(ドイツ語)に続き、vol.2では、スペイン語の比嘉世津子さんのご登場です。比嘉さんは、衛星放送のニュース、ドキュメンタリーなどの映像翻訳、通訳も手がけていらっしゃいます。さらに、映画の買い付け・配給も含めたラテン・アメリカやスペイン語に関連する会社を20年前に立ち上げた起業家。最近の字幕翻訳作品は、2018年7月公開の『ラ・チャナ』、9月公開の『ディヴァイン・ディーバ』があります。

スペイン語を、なぜ、どのようにして学んだのか。子ども時代にさかのぼっての思い出、外国語との出会い、仕事の遍歴、映像翻訳の面白さ、映画配給事情などをお聞きします。

比嘉世津子さんプロフィール

ひが・せつこ 1959年生まれ。関西外国語大学外国語学部スペイン語科卒業。神戸製鋼、日産でのスペイン語通訳業務などを経て、NHKスペイン国営テレビ(TVE)通訳。Action Inc.代表。映画字幕、映像翻訳のほか、スペイン、イタリア、ラテンアメリカの独立系作品の買い付け国内配給を行う。
主な字幕作品:『永遠のハバナ』『グッド・ハーブ』『瞳は静かに』『スリーピング・ボイス』『チリの闘い』『ル・コルビュジエの家』『悪魔祓い、聖なる儀式』『ラ・チャナ』『ディヴァイン・ディーバ』など。

構成・文 大橋由香子

「字幕マジックの女たち 映像×多言語×翻訳」 Vol.2 比嘉世津子さん〈スペイン語〉Anecdota2

「字幕マジックの女たち 映像×多言語×翻訳」 Vol.2 比嘉世津子さん〈スペイン語〉Anecdota3

「字幕マジックの女たち 映像×多言語×翻訳」 Vol.2 比嘉世津子さん〈スペイン語〉番外編

Anecdota1「ここではないどこか」に憧れ、「普通」と違うことに悩む

生まれは、兵庫県の尼崎市。幼稚園の頃から「子どもらしくない子」で、小学生になると「夢見るゆめこさん」とお母さんに呼ばれていた。

「人と付き合うのが苦手で、幼稚園も小学校も行くのがイヤでした。自分も子どもなのに、『子どもってうるさい』って思ってた(笑)。マイペースでボーッとしている私と対照的に、1歳下の妹はキャッキャしている可愛い子でしたね。
今いるところが窮屈に感じられて、『早くここから出たい』と思いながら、本を読んだり空想したりしていました」

図書館から借りた本を片っぱしから読むのが好き。お気に入りは、コナン・ドイルやエドガー・アラン・ポー。それも、子ども向けの児童書ではなく、大人向けの本だった。

「昔は漢字にルビがふってあったから、わからない言葉があっても読めたんですね。小学校に入ると、国語の教科書に出ている一部が引用されていた本を図書館で探して、読んでみて面白いと、同じ作家の別の作品を借りていました」

小さな頃は貧血気味で、スポーツはあまりしないタイプだった。

ところが、6年生で神戸に引っ越したことで変化が生じた。

尼崎の小学校は1学年10クラスもあるマンモス校だったが、神戸では1学年2クラス。光化学スモッグなど公害による大気汚染があった尼崎より空気がきれいだったのか、引っ越しを機に身体を動かすようになり、体調も良くなった。

ちょうど『巨人の星』を始めとするスポ根マンガの全盛期、『アタックNo.1』や『サインはV』の影響もあり、特に女子の間ではバレーボールが大流行していた。比嘉さんも、バレーボールに熱中する。

『アタックNo.1』
Amazon Prime Videoへ

公立中学に進学し、学校で英語の授業が始まるが、英語に関しては、今でもお父さんに感謝していることがあるという。

比嘉さんが小学1年の時、父親に「数学が好きか。語学が好きか?」と聞かれた。数学というのは算数のことだと思っていたので、「語学かな」と答えた。すると、教会の英語塾に通わせてくれた。

比嘉さんの父親は、大正生まれで沖縄出身。子どもの頃に実母を亡くし、義母とは折り合いが悪く、16歳で沖縄から大阪に来て働いていた。

20代前半で戦争に召集され、衛生兵として満州(今の東北南部)に送られる。満州からベトナムに行軍した唯一の部隊らしい。マラリアにかかり、被弾しながら何とか生き延びた......と、酔っている時にだけ、子どもに話し聞かせていた。

その後、消防士になった父は、いつどうなるかわからない危険な仕事ということもあったのか、「数学か語学、どちらかで手に職をつけて自立できるように」という考えで、比嘉さんに英語を習わせたのだ。

「両親ともプロテスタントで、算数ではなく語学と答えた私は、大阪の聖パウロ教会の子ども英語クラスに小学校1年生から通い始めました。教会は茶屋町にあったので、母と妹と一緒に繁華街に行く、ハレの日でした。
 母は父より13歳年下ですが、結婚してから短大に通ったんです。父は、女性も職を持って経済的に自立すべきというのが持論で、『泥棒に入られた時、物は盗まれても、身につけた技術は盗まれない』『何があっても一人で生きていけるように』とよく言っていました。
 母は栄養士の資格をとりましたが、子どもが小さな時は家で邦文タイプの仕事、手が離れてからは栄養士、とずっと働き続けていました。父が、知り合いの保証人になって借金を背負っていたので、共働きでも貧乏暮らしでしたね」

Agnes Moorehead Dick York Elizabeth Montgomery Bewitched 1964
テレビドラマ『奥さまは魔女』のメインキャスト
ABC Television [Public domain],
via Wikimedia Commons

ちょうどテレビでは、「奥さまは魔女」や「セサミストリート」などアメリカの番組を放映していた。英語は日本語に吹き替えられていても、日本とは違う「ここではない」雰囲気や光景に惹かれていた。

 

「もうひとつ父に感謝しているのは、『酒に飲まれるな』と子ども心に感じたことですね(笑)。
 中学の英語ですか? うーん、先生の英語が関西弁なんですよ(笑)。だから、というわけではないですが、特に英語を熱心に勉強したという感じではなかったです。部活でバレーボールをやりながら、学校の図書室だけではなく神戸の中央図書館にも行って、相変わらず本を読んでいましたね。面白い、へんな同級生がたくさんいて、みんな仕入れていたネタを開陳して盛り上がったり、一緒に映画を観に行ったりしました」

親と観に行った映画で印象的なのは『2001年宇宙の旅』。梅田の映画館で、母親はとても楽しみにしていたが、比嘉さんは、よくわからなかったという。自分の小遣いで友だち一緒に観に行った最初の映画は、『燃えよドラゴン』。

『カサンドラ・クロス』(1976年日本公開)

「『メリーゴーランド』や『カサンドラ・クロス』とか、洋画が好きでした。
 当時の映画館は入れ替え制じゃなかったから、映画の途中から最後を見て、席が空いたら座る、という感じ。今から思えば、ラストが分かっていて、また観始める、自由気ままでしたね」

Osaka Expo'70 Kodak+Ricoh Pavilion
1970年大阪で開催された日本万国博覧会。
「小学校の遠足(?)で一度、行きました。人が多すぎてグッタリで、長蛇の列に並んで月の石を見ても、何も感動しなかったことを覚えてます。
母と妹が万博に行った時、父と私は興味なかったので2人でボーリングに行きました」
takato marui [CC BY-SA 2.0], ウィキメディア・コモンズ経由で

 

沖縄出身の名字と「どこにも属さない」感覚

小学校に比べると、中学生活は楽しめるようになったが、悩みもあった。

話し合いの時、自分だけ違うことを思ってしまうのはなぜ? という疑問。自分は「普通」とは違うという意識がつきまとい、窮屈さを感じていた。

「私には、日本人としてのアイデンティティがなかったんです。母が和歌山出身だったので、家では関西弁。父は私たちに、沖縄の文化や言葉を特別に教えようとはしませんでした。自ら学べと思ったのか、たまにサーターアンタギーやラフティを作ってくれましたが、『比嘉』という沖縄独特の名字でも、両親とも沖縄出身の子たちとは違っていました。沖縄が日本に復帰するまでは、『日本人じゃない』と言われたこともあり、子ども心に、どこにも属していない感覚がありました」

沖縄は太平洋戦争の時、日本で唯一の地上戦の戦場となった。多くの人々が犠牲を負った後、アメリカが直接統治した。そのため通貨はドル、法律も日本とは異なり、1972年に返還されるまで、日本本土に来るにはパスポートが必要だったのだ。

Aquapolis 1977
沖縄の日本復帰記念事業として、1975年に沖縄国際海洋博覧会が開催された。
写真は沖縄海洋博記念公園のアクアポリス。
Copyright © National Land Image Information (Color Aerial Photographs), Ministry of Land, Infrastructure, Transport and Tourism

納得がいかないことがあると、すぐ行動に移して解決しようとするのも、まわりと違うことだったかもしれない。中学の制服や髪型について「なんでこんなに規則があるんだろう?」と疑問に思っていた比嘉さん。副委員長会で、友だちに呼びかけ、規則を変えようという議題を学校集会に提出することにした。

「ところが、いざとなると、みんな私を前に押し出して、すーっとどこかに消えてしまったんですよ。そういう痛い目にあったので、自分は組織には合わない、と思うようになりました」

そして、県立兵庫高等学校に進学する。卒業生には横溝正史や東山魁夷がいる名門校で、先生も生徒もおもしろい人が多かった。「受験勉強は自分たちでやって」という感じ。友だちとのおしゃべり、バレーボール、デート......と青春を謳歌した。

英語の授業は、文法など「四角四面な感じ」で、つまらなかったという。

そして高校3年の夏休み、スペイン語との出会いがやってくる。

神戸市の姉妹都市であるワシントン州シアトルへの夏休みの留学制度があり、それに応募して選ばれたのだ。

「ホームステイ先の家庭に、かっこいい男の子がいたんです。ある夜、ねむれなくてリビングにいたら、彼が近くにきて、『いま自分はスペイン語を勉強してるんだ』と言って、hablo hablas habla(アブロ、アブラス、アブラ)とスペイン語の活用を教えてくれました。その瞬間『そうか! 英語以外の外国語を勉強すればいいんだ』と思ったんです」

経済学にも興味があったので、経済学とスペイン語のある大学を受験した。その結果、国公立はすべて落ちて、関西外国語大学外国語学部に合格した。

浪人して他の大学を狙いたかったが、ちょうど父親が、「これからは自分が好きな筆耕をやりたいから」と、定年前に仕事を辞めてきた。今年なら入学金を出せるが、来年はわからないと言われた比嘉さん。しかも翌年からは共通一次試験が導入されることもあり、「不本意ながら」関西外大に入学し、ひとり暮らしを始めた。

(続く)

今月のオススメ!@スペイン語&ラテンアメリカ

映画『ピアソラ 永遠のリベルタンゴ』

字幕翻訳は比嘉さんではありませんが、12月1日(土)Bunkamuraル・シネマ ほか全国順次ロードショー。

本作の公開を記念し、公開初日12/1(土)10:20の回上映後にBunkamuraル・シネマにて、本作の監督であるダニエル・ローゼンフェルドさんをお招きしてのトークイベント が決定! 通訳は、比嘉世津子さんです。詳細は下記をご覧ください。

Bunkamuraル・シネマ|上映作品情報 『ピアソラ 永遠のリベルタンゴ』
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©Daniel Rosenfeld PHOTO:© Juan Pupeto Mastropasqua

踊るためのタンゴではなく、聴くタンゴを世に送り出したアルゼンチン・タンゴの革命児・ピアソラの人生を描いたドキュメンタリー。4歳でニューヨークに移住し、父がくれた中古のバンドネオンを弾いてピアソラは育った。

「過去を振り返るな。昨日成したことはゴミ」と語りながら楽譜すべて焼き捨てたという、息子が明かすエピソードを始め、娘が書いた伝記も交えながら、数々の名曲が映像で再現される。

映画『ピアソラ 永遠のリベルタンゴ』公式サイト
12月1日(土)Bunkamuraル・シネマ他全国順次ロードショー
監督:ダニエル・ローゼンフェルド
出演:アストル・ピアソラほか
配給:東北新社 クラシカ・ジャパン

大橋由香子(おおはし ゆかこ) プロフィール
フリーライター・編集者。月刊「翻訳の世界」(バベル・プレス)やムック「翻訳事典」(アルク)等で翻訳者へのインタビュー取材を手がけてきた。光文社古典新訳文庫の創設時スタッフでもある。著書『同時通訳者 鳥飼玖美子』『生命科学者 中村桂子』(理論社)『満心愛の人 益富鶯子と古謝トヨ子:フィリピン引き揚げ孤児と育ての親』(インパクト出版会)『異文化から学ぶ文章表現塾』(新水社、共著)ほか。