『オイディプス王』。世界に冠たるこのギリシャ悲劇を、たとえば現代の「刑事コロンボ」や「古畑任三郎」に連なる倒叙型サスペンス風のエンタテインメントとして解釈・演出してみたら、作者ソポクレスは不謹慎だと怒り出すだろうか。いや、とんでもない、とでも言いたげな挑戦的な演出で魅せる戯曲が、KAAT神奈川芸術劇場で上演中だ。題して『オイディプスREXXX』。
なにやら怪し気なネーミングだが、実は「REX」はラテン語で「王」という意味をもつオーソドックスなことば。語尾に重ねた三つのXは、ソポクレスがいたころのギリシャの芝居は、三人の役者ですべての人物を演じ分ける仮面劇だったという史実にちなんだものらしい。その影響もあってか、『オイディプスREXXX』では、オイディプスを演じる中村橋之助、イオカステの南果歩、クレオン役の宮崎吐夢(劇団「大人計画」)の三人が、それぞれ仮面ならぬ衣装を替えて、三人で八人分の登場人物を演じ分けている(衣裳:岡村春輝)。そのほか、公募で募ったというコロス役の役者を、一目でわかる別々の個性をもつバラバラの6人に絞り込み、同じ気分を息のあったラップであえて合唱させてみせるなど、目新しい、時にあざといほどの演出の一つ一つに、実は古典に対する深慮が見え隠れする。演出家の杉原邦生(劇団「KUNIO」主宰)は、木ノ下歌舞伎『勧進帳』などで注目されているだけあって、歌舞伎と同様、ギリシャ悲劇のオリジナルにも十分な敬意を払い、むしろその余勢を駆るようにして自分流の現代的な解釈を果敢に持ち込むことに成功したようだ。そのことは、観劇日の上演後に行われた、劇場の芸術監督を務める白井晃さんが進行した翻訳家の河合祥一郎さんとの対談からも十分に伝わってきた。
河合祥一郎訳であらためて『オイディプス王』を読んだ杉原は、ネットに載せた<前口上>でこう言っている。「これまで数々のベテラン俳優によって演じられてきたオイディプス王を、僕は"ひとりの青年"として描き出したいと考えています。地位と権力を得た若き王は、その未熟さゆえに周囲が見えなくなり、意見の食い違う者を責め立て、身近な人の助言も聞き入れず、一瞬にして自ら破滅への路を辿っていきます。おのれの才覚、地位を振りかざすその姿は、コンプレックスをひた隠そうと必死に足掻く、哀れで悲しいひとりの人間です。そんな揺れ動く青年・オイディプスこそが、この物語で描かれている王の姿なのだと僕は確信しています」と。その構想の結果、母と交わる若き青年オイディプスに配役された、ストレートプレイは初めてだという弱冠22歳の若き歌舞伎役者橋之助が、すべてを明かされて自らの両の目をつぶし、歌舞伎の隈取りを思わせる、まるで古代の仮面劇にも通じる流血の化粧を施してから見違えるような集中を見せるのは、演出家・杉原が巧まずして呼び込んだ稀な僥倖だと云っていいだろう。
最後に、舞台を前後左右から取り囲む階段状の観客席という面白い工夫があったこともお伝えしておこう。ないものねだりになるけれど、あれでもし屋根がない開放空間にすることができていたら、時空を隔てたギリシャの劇もかくやと思えただろうにと、残念に思った。24日まで。
(今野哲男 記)