古典新訳文庫ブログのインタビュー〈女性翻訳家の人生をたずねて〉に、新しいシリーズが加わります。本という媒体ではなく、〈映像〉の世界で外国語を日本語に翻訳している女性たちにお話を聞いていきます。そもそも不可能か?とも言われる翻訳を、さらに短い文字制限で日本語にするというマジックへの挑戦者たち。しかも、英語以外の外国語を扱う翻訳者のシリーズです。字幕や映像翻訳という仕事の苦労と魅力、その言語との出会い、子どもから大人に成長する過程でのアレコレ。"不実な美女たち"の「妹」シリーズとして、ご愛読いただければ幸いです。
vol.1の吉川美奈子さん(ドイツ語)に続き、vol.2では、スペイン語の比嘉世津子さんのご登場です。比嘉さんは、衛星放送のニュース、ドキュメンタリーなどの映像翻訳、通訳も手がけていらっしゃいます。さらに、映画の買い付け・配給も含めたラテン・アメリカやスペイン語に関連する会社を20年前に立ち上げた起業家。最近の字幕翻訳作品は、2018年7月公開の『ラ・チャナ』、9月公開の『ディヴァイン・ディーバ』 (栃木・宇都宮ヒカリ座は2月1日まで)があります。
スペイン語を、なぜ、どのようにして学んだのか。子ども時代にさかのぼっての思い出、外国語との出会い、仕事の遍歴、映像翻訳の面白さ、映画配給事情などをお聞きします。
比嘉世津子さんプロフィール
ひが・せつこ 1959年生まれ。関西外国語大学外国語学部スペイン語科卒業。神戸製鋼、日産でのスペイン語通訳業務などを経て、NHKスペイン国営テレビ(TVE)通訳。Action Inc.代表。映画字幕、映像翻訳のほか、スペイン、イタリア、ラテンアメリカの独立系作品の買い付け国内配給を行う。
主な字幕作品:『永遠のハバナ』『グッド・ハーブ』『瞳は静かに』『スリーピング・ボイス』『チリの闘い』『ブエノスアイレス恋愛事情』『ル・コルビュジエの家』『悪魔祓い、聖なる儀式』『ラ・チャナ』『ディヴァイン・ディーバ』など。
構成・文 大橋由香子
「字幕マジックの女たち 映像×多言語×翻訳」 Vol.2 比嘉世津子さん〈スペイン語〉Anecdota1
「字幕マジックの女たち 映像×多言語×翻訳」 Vol.2 比嘉世津子さん〈スペイン語〉Anecdota2
「字幕マジックの女たち 映像×多言語×翻訳」 Vol.2 比嘉世津子さん〈スペイン語〉番外編
Anecdota3 突然の事件によって無謀にも映画配給、そして字幕翻訳へ
1999年には、Action Inc.を設立した。大きなイベント関連仕事を受ける際に、会社組織である必要が生じたからだが、法人化によって仕事が受けやすくなり、個人事業者(フリーランス)の時より、売り上げが上がったという。
「仕事と芝居を両立させるためにも、自分で時間や金額を采配できる仕事が必要だったので、会社を設立しました。40歳の時です。当時は、株式会社を作るのに必要な資本金を集められなくて、有限会社にしました。まさか、資本金1円でも株式会社にできる時代がくるとは、想像もできなかったです。
Action Inc. にしてから、色々なジャンルの翻訳・通訳関連の業務を行ってきました。メーカーのデータベース翻訳が大量にきたときは、人手が足りなくて『ジャパン・タイムス』に広告を出して翻訳者を募集しました。自分が発注する側になると、どんな翻訳者が良いのか、身にしみてわかりましたね」
翻訳者はきちんと調べるのが基本だが、納期の制約で調べがつかなかった場合は、疑問点として納品先やコーディネーターに伝えたほうがいい。理解できていないのに、いい加減につじつまを合わせたような訳文は、一番たちが悪い。もちろん、本人が理解しているつもりで間違っているのは、論外である。
そして2003年、事件が起きる。
自ら金を工面し、劇場も予約していた芝居の企画の途中で、頼りにしていた演出家が降りてしまったのだ。
落ち込んだ比嘉さんは、しばらくすると、小劇場を借りるために貯めたお金を握りしめ、ハバナで開かれる新ラテンアメリカ映画祭に行った。いい映画があったら、買い付けて日本で上映したいと考えた。
そこで見つけたのが『永遠のハバナ』(原題「SUITE HABANA」)。ハバナに住む12人の市井の人々の1日を、一切の台詞を排除し、街の音と音楽だけで描いた作品だ。
「以前、映画監督の通訳を兼ねて、企画段階から映画製作に関わったことがあったので、映画は芝居と桁違いにお金がかかることは知っていました。でも、制作ではなく、出来上がった映画を配給するのなら可能だと思ったんです。
まわりからは、『映画なんて、簡単に買えるもんじゃない』と言われ、帰国してからは、『個人配給なんて無謀!』と呆れられましたけど(笑)、ラテンアメリカに特化した映画配給会社がないから、やりたかったんですね」
転んでもただでは起きずに、新しい事業を開始してしまった比嘉さん。
映画の字幕翻訳は自らが担当し、映画館を探し、2005年3月上映にこぎつけた。
劇場公開用の映画字幕は、この『永遠のハバナ』が初作品。セリフの時間を測り、1秒4文字、13字2行に入れ込むという字幕翻訳の技の蓄積に、改めて驚嘆した。
衛星放送で手がけてきたテレビ・ドキュメンタリーの翻訳では、話されていることはすべて訳す「ベタ訳」が基本だからだ。
「字幕翻訳では、限られた字数の中で、いかにピッタリの日本語を探していくかが勝負です。セリフの一言に何がつまっているのかを考えます。
スペイン語で"Te quiero"(君を愛している)という時でも、場面や流れによっては『許してくれ』と字幕をつけたほうが、しっくりきます。映像が物語っている場合は、わざわざ言葉にしないで削ったり、言葉の幅や厚み、深さを考えたりしながら日本語にするのが楽しいです。苦しいですけど(笑)」
「気にならない」のがいい字幕。翻訳は共同作業
とはいえ、映画字幕は、個人作業ではなく、共同作業だと比嘉さんは言う。自分がつけた映画字幕を、原語が分からない人に観てもらう。思いがありすぎて、読みづらくなっていないか、映像を見たいのに、字幕が邪魔していないかを知りたいからだ。
また、配給も同様で、特に題名を決めるときは周囲の人と相談する。『永遠のハバナ』も、当初は原題に近い『ハバナ組曲』を考えたが、予告編を作る人、宣伝やパンフレットのデザイナー、映画館の人から、「固すぎる、なんのことかわからない」という意見をもらい、話し合いながら、『永遠のハバナ』に決まった。
「自分の思いやこだわりより、みんなの意見を聞いて、多くの人に見てもらえるタイトルにします。この映画を日本に紹介したい!という気持ちで、一緒にやってきました。そうは言っても、『出したい映画』だけではなく、やらなくてはいけない映画もあるのが現実ですが」
その後も、『グッド・ハーブ』『瞳は静かに』『ブエノスアイレス恋愛事情』『ル・コルビジェの家』『朝食、昼食、そして夕食』など、ラテンアメリカなどスペイン語圏の映画を比嘉さんが字幕翻訳し、配給していった。
2015年には、映画配給開始10周年を記念して「ラテン!ラテン!ラテン!」を新宿のK'sシネマで開催。上記の映画を含めた16作品を上映した。
「気にならないのがいい字幕だと思います。字幕が人目を引いたらダメなんです。よく言われることですが、映画を見終わった人に、"あれ、私、スペイン語で聞いてた?日本語で聞いてた?"と思わせるような、自然な字幕を心がけています」
スペイン語の翻訳者としては、固有名詞に関して、悩ましいことや納得できないこともあるという。
例えば、英語の映画の中で、登場人物がスペイン語でしゃべっている場面で「ミゲル」と発音しているのに、日本語字幕で「マイケル」となっていることがある。「ミゲルにすればいいのに!」とカチンとくる。
とはいえ、比嘉さんが字幕を手がけた『グッド・ハーブ』も、スペイン語の原タイトルをカタカナにすると「ラス・ブエナス・イエルバス」となる。これでは何のことかわからないので、英語の『グッド・ハーブ』にした。
「今や、子どもも大人も、"英語を勉強しましょう"という世の中です。もちろん日本語だけより英語ができたほうが、世界の情報を得られるし、発信もできます。けれど私は、"英語以外もやると、もっと面白いよ" と言いたいですね。特に若い人には、英語プラス別の言語、英語が嫌いな人は、別の言語から始めてみると、面白いよ、と言っています。
結局、私は言葉そのものに興味があるのだと思います。ミステリーというか謎解きみたいなところがあって、字幕は特にそうです。ピタッ!とはまる言葉をどう見つけるか、です」
若い時に逃げまくったから、逃げずに踏みとどまれた
2015年に日本公開したウルグアイ映画の題名「La Vida Util」には、「耐用年数(賞味期限)」と「生きがいのある人生」という意味がある。名画を上映し続けてきた由緒あるシネマテークが舞台で、お客が減り経営が成り立たなくなる中、どうなるのか......という内容のモノクロ・フィルム。
日本語タイトルは『映画よ、さよなら』となった。なるほど、と感心する。
多くの観客に見てもらうために、ラテンアメリカの歴史的な物語を映画で製作するケースも増えてきた。
だが、比嘉さんの心境は、複雑だ。
「歴史上の有名な人物だと、なんであの人が英語しゃべってんねん!と思っちゃいますよね(笑)。
これまで、ラテンアメリカの映画製作は、ほとんどインディペント(独立)系でしたので、低予算でやらざるをえません。設定を密室にしたり、照明が立てられなかったりという制約があるけれど、だからこそ俳優やスタッフが協力し工夫することで、思わぬ緊張感が出ることもあるんです。
そんな苦労をしてきた監督たちが、アメリカのメジャー系映画会社や助成金で大きな予算をまかされたとたん、有名俳優を起用し、特殊効果や空撮などを入れこみすぎて、物語の緻密さがなくなってしまうこともあります。残念というか、もったいないです」
キューバ・日本合作映画『エルネスト』(オダギリジョー主演、阪本順治監督)では、通訳や台本の翻訳者としてキューバでの撮影にも関わった。
そして今、新しいことを始めようとしている。
日本映画を、ラテンアメリカ、ヨーロッパに紹介することだ。「この監督の作品を!と思える人が見つかったのだという。
「 今の夢は、国際共同制作の映画作品を作ることです。振り返ってみると、20代までは、"ここではない、どこか"を求めて、逃げて逃げて、逃げまくっていました。その後、仕事をするようになって何回も逃げたいことがあっても踏みとどまれたのは、20代で思いっきり逃げたからだと思います。
海外に行かなくても逃げることは可能です。おそらく、場所の問題ではないんですね。芝居や通訳や翻訳、映画......いろいろなことに手を出したけど、私の中では、全部つながっています」
「そうそう、こんなこともしてるのよ」と見せてくれたのは、「Tarot of the Action」と書かれた名刺。20代の頃にタロット・カードを始め、占いではなく、行動のきっかけとなる「タロット・リーディング」を行っている。現在は、月に1回、新宿の老舗バーで、「投げ銭ライブ」を実施中。
タロットも含めて、比嘉さんの中では、多種多様な表現、言葉、仕事が結びついている。
(次回は、番外編をお送りする予定です)
ウルグアイといえば、ホセ・ムヒカ大統領が有名だ。2017年には来日し、『世界でもっとも貧しい大統領 ホセ・ムヒカの言葉』(佐藤美由紀著、双葉社)などの関連書籍も刊行された。ラテンアメリカ版「清貧の思想」と思いがちだが、清く貧しく美しく、とは、かなり違うのがこの映画。
世界で初めてマリファナを解禁したウルグアイ。麻薬密輸業者からマリファナを奪還し、国が管理し適正価格するのが目的で、元ゲリラの大統領、ぺぺ・ムヒカの目玉政策だった。ところが、解禁したもののウルグアイにはそんなにマリファナがなかった。そこで「米国でマリファナを50トン手に入れろ」という極秘ミッションをムヒカ大統領が命じる。ミッションを受けたのは、マリファナ入りブラウニーを作って販売していた薬局の親子。マリファナが解禁されている米国コロラド州デンバーに行き、段取りを整えるが......。
え? ほんと?
この映画は、ムヒカ大統領やオバマ大統領など、実在の人物の映像を駆使した奇想天外な作品。そう、「この映画はフィクションです」。
比嘉世津子さんは、その破天荒さに惚れ込み、日本での配給を決めた。7月公開に向けて、現在、字幕翻訳の真っ最中とのこと。どんなタイトルになるかも含めて、楽しみである。
ウルグアイといえば、シュペルヴィエル。彼は、1884年ウルグアイのモンテヴィデオに生まれている。両親はフランス人、父は兄と共にシュペルヴィエル銀行を経営していた。ところが生後8ヶ月の時、両親に連れられて行ったフランスで両親が相次いで亡くなる。シュペルヴィエルはバスク地方の祖母に育てられたのち、2歳から10歳まで伯父夫婦に引き取られてウルグアイで成長した。フランスで住むようになってからも、たびたびウルグアイに「里帰り」し、22歳で結婚したのもウルグアイでのことだった。55歳、ウルグアイ滞在中に第2次世界大戦の戦況悪化に伴い、子供達をフランスに残したまま、帰国できなくなり、以降、ウルグアイで翻訳やフランス現代詩についての講義をしたという。
シュペルヴィエル著『海に住む少女』(光文社古典新訳文庫)の解説で、訳者の永田千奈さんは「生みの親と育ての親、ウルグアイとフランス。彼の作品に感じられる複眼的な視点」について記し、こうも表現している。「ひとつの世界に拘泥する人には見えない、もうひとつの世界が広がる」
「ここではない、どこか別の世界」に憧れていたという比嘉世津子さん。ウルグアイ経由で、なんとなくシンクロしてしまった気分である。
大橋由香子(おおはし ゆかこ) プロフィール
フリーライター・編集者。月刊「翻訳の世界」(バベル・プレス)やムック「翻訳事典」(アルク)等で翻訳者へのインタビュー取材を手がけてきた。光文社古典新訳文庫の創設時スタッフでもある。著書『同時通訳者 鳥飼玖美子』『生命科学者 中村桂子』(理論社)『満心愛の人 益富鶯子と古謝トヨ子:フィリピン引き揚げ孤児と育ての親』(インパクト出版会)『異文化から学ぶ文章表現塾』(新水社、共著)ほか。