古典新訳文庫ブログのインタビュー〈女性翻訳家の人生をたずねて〉に、新しいシリーズが加わります。本という媒体ではなく、〈映像〉の世界で外国語を日本語に翻訳している女性たちにお話を聞いていきます。そもそも不可能か?とも言われる翻訳を、さらに短い文字制限で日本語にするというマジックへの挑戦者たち。しかも、英語以外の外国語を扱う翻訳者のシリーズです。字幕や映像翻訳という仕事の苦労と魅力、その言語との出会い、子どもから大人に成長する過程でのアレコレ。"不実な美女たち"の「妹」シリーズとして、ご愛読いただければ幸いです。
「ここではないどこか」を求めて、ある時は逃走し、ある時は何かを追って突き進む、好奇心いっぱいの比嘉さん。前回の末尾コラムでご紹介した映画『GET THE FEED』( Action.inc.配給、比嘉さん字幕翻訳)は、7月13日から新宿K's cinemaにて公開。現状でのタイトルは「大統領極秘指令(仮)」だそうです。
今回は番外編として、海外の映画祭を見てきての印象や、「立ち上げ」経験についてお聞きしました。(構成・大橋由香子)
「字幕マジックの女たち 映像×多言語×翻訳」 Vol.2 比嘉世津子さん〈スペイン語〉Anecdota1
「字幕マジックの女たち 映像×多言語×翻訳」 Vol.2 比嘉世津子さん〈スペイン語〉Anecdota2
「字幕マジックの女たち 映像×多言語×翻訳」 Vol.2 比嘉世津子さん〈スペイン語〉Anecdota3
番外編 世界は広い! ラテンアメリカ魂は挫けない
──今回の連載の間、比嘉さんにご連絡すると、「来週から海外です」とか「いま空港です」というタイミングが何回かありました。海外のどんな映画祭に、どのくらい、いらしているのですか?
比嘉 2015年までは、毎年、3、4回ぐらい行っていました。よく行っていたのは、2月のベルリン国際映画祭のEFM(ヨーロピアン・フィルムマーケット)、3月にメキシコのグアダラハラ映画祭、9月にスペインのサンセバスチャン映画祭、12月にブエノスアイレスのVentana Surというフィルムマーケットです。
2016年は、キューバ・日本合作映画『エルネスト』(オダギリジョー主演、阪本順治監督)で撮影や通訳・台本翻訳に関わったので、どこにも行かず、2017年は12月のブエノスアイレスのみでした。
2018年は11月に初めてAFM(アメリカン・フィルム・マーケット)に参加しました。他社のための作品探し(スペイン語圏以外も)と共に、インディペンデント映画のことをもっと知りたいと思ったからで、数々のプロデューサーや監督たちに出会いました。
その後、12月に10周年を迎えたVentana Sur(今年はサミットのせいで中旬になりましたが)、今年2月には、4年ぶりのベルリン映画祭に参加しました。
世界の動向を知ることと共に、いつもメール連絡している関係者と実際に顔をつきあわせて話すことで信頼感が生まれます。
今年はまだ始まったばかりですが、7月までは『GET THE FEED』の公開準備に集中し、9月のサンセバスチャン映画祭に行ければ嬉しいです。
──各地の映画祭に参加して感じることや、直近のベルリン映画祭での印象をお聞かせください
比嘉 映画祭で感じることは、「次々と新たな才能が出てきているなあ」ということと、「世界は広い!」ということですね。
これまでラテンアメリカ中心に観てきましたが、今では他社作品の選定や交渉窓口も行っているので、幅広くみるようになりました。
ベルリン映画祭(2019年2月)では、トルコやサウジアラビアなど、イスラーム圏の作品が気になりました。特にトルコの監督とプロデューサーの話では、国が随分、バックアップしているようで、これからも野心的な作品を作りたいと言っていました。
日本でも3月にイスラーム映画祭が開催されるので、ぜひ、観に行きたいと思います。
──比嘉さんが映画の配給や字幕も翻訳するようになったのは、ハバナの新ラテンアメリカ映画祭に行ったのがきっかけでしたね。そういえば、その前になさっていた女3人の劇団って、どんなお芝居だったんですか?
比嘉 どのような芝居かと言われるのが一番困ってしまいます(笑)。物語がある普通の芝居ではないので、一応、流れだけ説明しますね。
ケニアから帰国して、(今はもうありませんが)早稲田大学6号館の屋上の小屋でやっていた演劇ワークショップに参加。ケニアでは、即興といえどもメソッドアクティングを学んでいましたが、早稲田では身体と声をつかう表現でした。
舞踏でもないし、かといって、静かな演劇でもないし、活劇でもありません。でもテキストはマクベスなどシェークスピアが多かった。
そこで知り合った女3人で「玉座」という劇団を作りました。オリジナル脚本で、やはり身体と声をつかった芝居をしていました。
1年準備して2年続けて、3人それぞれの道にすすみ、一人は唐組に入って主役をはってました。
私は芝居を観に来た演出家に誘われて、小劇場でオリジナルの台詞芝居を始めましたが、その後、その劇団が、実は丸太を組んで舞台と客席を作り、野外芝居をしていた老舗劇団ということで、私も出られる時は野外芝居に出て、稽古中は大阪にいました。
基本は野外芝居の人間だと思いますが、小劇場も脚本が面白ければ出ていました。野外芝居は基本的に、はみ出し者たちを描きます。テントではなく、上は空(そら)な野外が好きです。
──女優・比嘉世津子を観たかった! 残念です。芝居も会社も、自分(たち)で「立ち上げる」のが、比嘉さんの性に合っている感じがしますね。とはいえ、最近の女性活躍の文脈で出てくる「女性起業家」イメージとは、だいぶ違いますけど。
比嘉 一般的に「起業家」と言われて持つイメージがどのようなものか、私には余りわかりませんが、きっと、新たなことを立ち上げて「大きく」していく人だと思います。
私は当初から、組織が苦手な自分が組織を作ることはない、と思っていましたので、「大きく」することは考えていませんでした。
この働き方は、自分が幸せでいるためで、組織で才能を発揮される女性もたくさんいらっしゃるので、それぞれかなあ、と思います。
でも、まだまだ男性優位な日本の企業では、特に女性は、エネルギーの8割(私は6割だと思っていたら友人が8割だと)を朝のラッシュと社内外での人間関係で消耗しているような気がします。自分は、それが無理(特に電車のラッシュ)なので、今の働き方にしましたが、終身雇用が崩れてきたし、正社員でも不安定なので、個人事業でも小さな会社でも、自分が持続して働ける場を作る人は増えてくるのではないか、と思います。
まずはできることから、という超ハードルが低いところからの出発でしたが、第三者から時間や場所に拘束されずに動けるので、とても満足しています。
気分がのった時は徹夜しても気にならないし(翌日休むので)、午前中に運動したり、週末に仕事をして平日に映画や美術館に行ったり、ひきこもりたい時には、ひきこもったりできる自由は手放せません。
精神的に健康な状態を保つには、これしかない、と、男性陣からは「会社なら大きくしろ」「もっと儲けろ」と言われても気にせず、マイペースで20期(20年目)を迎えられることに感謝しています。
──日本映画をラテンアメリカやヨーロッパに紹介したいとおっしゃっていましたが、例えば、どんな作品でしょうか。
比嘉 すみません、まだ情報解禁になっていないので、意中の1本について詳しくお話できないのですが、その作品だけではなく、塚本晋也監督の『野火』をはじめ、もっと世界の人々に観て欲しい邦画を発掘して届けたいと思っています。
──では、解禁を楽しみに待っています。
最後に、先日のアカデミー賞についてラテン系の映画はどんな感じだったのでしょうか。
比嘉 アカデミー賞で、メキシコのアルフォンソ・クアロン監督が監督賞、『ローマ』で外国語映画賞受賞を受賞し、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ、ギジェルモ・デル・トロとのThree Amigos(3人の友達)が、再び、脚光を浴びています。
『ローマ』は、Netflix製作で日本も含めて配信されていて、映画館で上映されていない作品を排除するカンヌ映画祭にはノミネートされません。
が、しかし、今年のカンヌ映画祭の審査員長は、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥに決まりました。メキシコ出身といえば、他に撮影監督のエマヌエル・ルベツキも2013年の『ゼロ・グラビティ』、2014年の『バードマン(あるいは無知がもたらす予期せぬ奇跡)』、2015年の『レヴェナント:蘇りし者』で、撮影部門でアカデミー賞初の3年連続受賞を果たしました。
アルゼンチンは今、政権が変わり、映画協会のトップ交代など、様々な局面にぶつかっていますが、それでも、皆、果敢に挑戦しています。そういうラテンアメリカ事情を見ると、どんどん元気がでてきます。
ちょっとやそっとのことでは挫けないのがラテンアメリカ魂ですから。
──なるほど! これからもラテンアメリカ魂で、映画を中心に据えながら様々な表現形態での比嘉さんのご活動に期待しています。
(vol.3の連載もご期待ください!)
ウノ、ドス、トレス、クアトロ......という数字と、「メ ジャモ......,ソイ ハポネッサ」という自己紹介、そして「セルベッサ、ポルファボール」だけは、しっかり覚えて私がメキシコを訪れたのは、1987年のこと。いくら注文してもビールを飲めなかったポーランドの苦い経験から、「セルベッサ ポルファボール」は超絶必要語である。
もともとの目的は、コスタリカで開かれる某イベントへの参加だが、帰りにメキシコに立ち寄った理由は、ユカタン半島。
小学生の時に世界地図を見ていて発見したその半島が、自分の名前の愛称だったので、「大人になったら、ここに行く!」と決めていたのだった。
決めたからと言って、中学や高校や大学でスペイン語を勉強するわけでもなく、メキシコについて調べるわけでもなく、でもマヤ文明にはなんとなく興味を持っていた。(コスタリカに行く時、I先生にビールの注文方法も含め、スペイン語入門編だけは教えてもらった)
その後、存在を知ったユカタン半島の突端にある「イスラ ムヘレル」も名前に惹かれて訪れることにした(女の島)。
船付き場で声をかけてきて、安宿を教えてくれたアンちゃんに誘われて一緒に食事をしてたら(話には聞いていたが、ラテン男子の女子への声かけ率は高い)、彼の妻が出産したばかりと、彼や食堂の人たちと話していてわかり、「こんなとこでハポネッサと夕飯食べてんじゃないよ! 早く家に帰りな」と、少ないスペイン語ボキャブラリーで説教し、周囲の客と一緒になってまくし立ててた。
ユカタン半島とともに目指したのは、フリーダ・カーロの家とトロツキーの家。両方ともメキシコシティのコヨアカン地区にあり、家を公開しているので、休館日ではないことをガイドブックでチェックして出かけた。
最寄り駅から歩くと、それが高級住宅街だと気づき、ちょっと不思議な感覚。革命家であっても、インテリゲンチャはそれ相応の生活をしているんだなあ。
フリーダ・カーロの家は、「青の家」と呼ばれるように抜けるような青い壁と、彼女の描いたいくつもの自画像、ギプスも含めて彼女が身につけていた装飾品に心奪われた。そして、トロツキーの家へ。まだ博物館は併設されておらず、ブザーを押すと職員かボランティアの人が鍵を開けて招き入れてくれ、庭を通り、家の中を見られるようになっていた。
銃弾の跡が生々しい壁、ピッケルで暗殺された部屋などとともに、トロツキーの蔵書らしきものも並べられていた。
スタッフと話していて、私が日本から来たというと、「ちょうど良かった! もし時間があるなら、手伝ってくれませんか?」と言われた。何の予定もない暇な一人旅なので、喜んで、と答えると、日本語の本があるのだが、自分たちの中には読める人間がいないので、題名などをカードに書いてくれと頼まれた。
こうして私は、机に持ち運ばれた何冊かの古い日本の本の、題名や著者、出版社+アルファを、書くことになった。
著者名はそのままローマ字で書いたが、題名などはどうしたのだろう。スペイン語はほとんどできないので、英語で書いたのだと思う。
スタッフの女性と男性はおおいに喜んでくれて、「今すぐではないですが、いずれアルバイト代を支払いますから」と言ってくれた。
「いえいえ、そんなお気遣いなく、役に立てれば嬉しいですから」と断ったものの、求められて宿泊先であるメキシコシティのホテルか自分の住所かを書いた気がする。
「うーむ、でもどうやって払うのだろう」と疑問を感じながら、帰国後も、ひょっとして、ペソ紙幣が送られてきたりして、と郵便ポストを見ることもあった。
だが結局、アルバイト代が届くことはなく、その時書いた住所から2回、引っ越してしまった。もしずっと同じところに住んでいたら、届いたかも、と感じるのは、トロツキーへのなんとなくの共感のせいだろうか。
今度、集金に行こうかな。私に「仕事」を頼んだスタッフの顔も撮影したはず。うちの部屋の、ダンボールのどれかに、紙焼きの写真があるから、それを探して、もう一度、行ってみたいな。 (大橋由香子)
大橋由香子(おおはし ゆかこ) プロフィール
フリーライター・編集者。月刊「翻訳の世界」(バベル・プレス)やムック「翻訳事典」(アルク)等で翻訳者へのインタビュー取材を手がけてきた。光文社古典新訳文庫の創設時スタッフでもある。著書『同時通訳者 鳥飼玖美子』『生命科学者 中村桂子』(理論社)『満心愛の人 益富鶯子と古謝トヨ子:フィリピン引き揚げ孤児と育ての親』(インパクト出版会)『異文化から学ぶ文章表現塾』(新水社、共著)ほか。