「光文社古典新訳文庫」を、良質な古典作品がかかる劇場に見立て、毎月新刊を紹介。その時々の街の話題と一緒に。 [文 : 渡邉裕之・文筆家]
〈今月の新刊〉
『高慢と偏見』(オースティン 小尾美佐/訳)
今月の新刊、ジェイン・オースティンの『高慢と偏見』(小尾美佐訳)の本当の面白さがわかってきたのは、上巻のほとんど終わりに近い346ページあたりから。ヒロイン、エリザベス・ベネットの許に、彼女へのプロポーズを拒否された大地主ミスタ・ダーシーから手紙が届く。そこにはエリザベスが信じてきたある事柄がまったくの嘘であること、姉ジェインの結婚への道筋が阻まれている理由が、他ならぬ自分たち家族の愚かしさにあったことが書かれていた。
そして下巻へ。ページを開けば、この手紙を受けとめたエリザベスの心情である。ここで彼女の聡明さが魅力的な形で表現されていく。最初は動揺するが冷静にダーシーの言葉を読み解き、本当に正しいのはどちらかを見極めていくのだ。そして姉の不幸を家族自らが招いたことを屈辱として正面から見据えていく。
恋愛に翻弄されそこでの失敗を涙し反省するヒロインは何人も知っている。しかし、恋愛することの前提となる自分の家族の愚かしさをこうして認めていく女性と小説の中で初めて出会った。
18世紀末から19世紀初頭、イングランドの田舎の上層中産階級の女性の恋愛物語である。その娘は美しく少々気が強く、相手役となる貴族は男前でそして高慢だ。凡百な設定の中で、おきまりの恋愛物語が進行していくわけだが、後半、手紙の内容をしっかりと自分のこととして受けとめたヒロインによって、物語に深みが増していく。そのことによって家族の影も深くなる。
愚かしい家族の中で育てられた愚かしい自分を自覚してしまった娘はどうするか。ここに娘たち同士の愛情・信頼、「シスターフッド」が自らを救いだす希望の光として浮かび上がってくる。軽はずみな行動ばかりする妹たちを見据えながら、エリザベスは心優しい長女ジェインと愛情・信頼関係を結び、その運命を幸福な方向へと切り開いていくのだ。
ここで私は、今この東京でシスターフッドを独特な形で語ったパフォーマンスがあったことを報告したい。
10月25日、渋谷のアップリンクという主に映画を上映するミニシアターで「五所純子のド評」という名のイベントが開催された。これは毎月最終火曜日に文筆家の五所さんが、ひとつのテーマで何冊かの本を即興的に語っていく、「書評パフォーマンス」である。私がたまたま出かけたその回は「娘たち」をテーマにしたものだった。
その語りの仕方が面白い。ステージ上のテーブルには本やレコードプレイヤ−が置かれ、そう、ミニチュアの「土俵」も設置されていた。美しい五所さんが登場しレコードをかける。最初の本を選び、土俵の土にぶすりと挿して立たせ、その本について語りだす。
彼女によれば「『ド評』は、90分、本についてモノローグで語るひとり相撲」。本が立つ土俵はその絵解きということか。
五所さんが語り出す。もちろん台本もないしメモもない。本について語っているのだが、いわゆる書評の言葉とは異質だ。
「『ド評』を始めた理由のひとつに、ソーシャルリーディングへの私なりの対応がありました。現在、ネットワークを使って、本の読解を共有していく動きがあります。可能性はもちろん認めますが、そこには『同調圧力』のような、『読み』を一定の方向にもっていく力が発生するのではないかと考えます。ソーシャルリーディングが『知の均質化』を目指すなら、私は『特殊性』を目指していいのではないか。本について人前で無防備にモノローグで語るのは、その実践です」
五所さんの独り語り。沖縄の基地関連の写真集を開き、ルワンダの民族闘争の中で強姦された女性たちとそこで生まれた子供たちを写した写真集を見せながら語りは続いていく。
こうした流れの中で、彼女は「シスターフッド」について語り出した。姉妹間のそれではなく、広く女性同士の愛情・信頼関係として。その言葉によって、モノローグの中に登場した沖縄の米軍兵士に暴行された少女、ルワンダの若い母親、あるいはアニメの少女が結びつく、そして届かない関係性も見えてくる。ここでは詳しく説明できないが、その言葉が発声された文脈は、まさに「特殊」だった。一冊の本と個人が出会い、ある言葉がふと思い出される貴重な瞬間が、ステージ上に現れた。
書評でやれることってまだまだあるのだな。うれしくなり、帰宅した私は、また『高慢と偏見』を頭から読み出してみた。あまり面白いと思えなかった上巻前半部分が輝き出す。娘たちの愚かしさがなんともいえず魅力的だ。そう、この小説は、第一印象とはまったく違う人間の魅力を知っていく楽しさを教えてくれるものだった。
「ド評」のインフォメーションを。次回11月29日のテーマは「東京」、そして12月27日は、異例の女性シンガーphewと五所純子さんの朗読の会になるという。場所はアップリンク。 URLはhttp://www.uplink.co.jp/factory/log/004210.php
さて、後半は古典新訳文庫の翻訳者の一人、中条省平さんについて書いてみようと思う。
中条さんは、この文庫で『マダム・エドワルダ/目玉の話』(バタイユ)、『恐るべき子供たち』(コクトー)、『肉体の悪魔』(ラディゲ)、『愚者(あほ)が出てくる、城寨(おしろ)が見える』(マンシエット)、『花のノートルダム』(ジュネ)など、フランス文学の名作、というより問題作を訳してきた。
ここでは中条さんのもう一つの顔、映画批評家としての顔を紹介したい。私が「チュージョー・ショウヘイ」という名前を初めて聞いたのは、1979年のことだった。非常にマニアックな映画青年たちの間ではあったが、当時彼は既に伝説的人物になっていた。ある青年は私にこういった。「1960年代末、彗星のように現れ、そして消えていった中条省平という天才映画少年がいた」と。
中条さんは、1968年10月、「季刊フィルム」4号(フィルムアート社)で『薔薇の葬列』論を書き映画批評家としてデビューする。『薔薇の葬列』は松本俊夫監督、ピーター主演の劇映画。そして中条さんは麻布中学の3年生、15歳だった。
デビュー作となる評論は、映画を突き詰めて考え、書かれた、鋭い刃のようなテクストだった。その後、中条少年は、この『季刊フィルム』、同じ出版社から刊行された総合芸術誌『芸術倶楽部』で映画批評を書き続けていった。だが1973年、筆を折る。73年といえば、彼はまだ19歳。そして70年代の終わりには、何やらひたすら映画に熱中していた映画青年たちの間で伝説の人物として語られていたのである。
何が語り継がれていたのか、それはもう「彗星の如く現れ消えていったということ」だろう。いつだって若者は、夭折と彗星が好きなのだ。
さて、今年の6月のことだ、私は原將人監督の映画『初国知所之天皇(はつくにしらすめらみこと)』を見に行った。原さんは中条さんが通っていた麻布高校の先輩で、68年に高校生映画作家としてデビューしている。この『初国』は、原さんが8ミリカメラを片手に日本縦断旅行をしつつ映画について考えていくという作品。73年公開時は、なんと7時間の超大作だった!(因みに中条さんはこの作品を批評している) しかし78年に、火災にあってフィルムは焼けてしまう......だったはずが、最近、熱で変形したフィルムの箱を開けてみれば、それは「助かって」おり、再公開となったわけだ。
その上映会が特別なものだった。8ミリ映写機を、原さん自身が操りつつ、電気ピアノで演奏、そしてナレーションを生で語っていくのだ。言葉は公開当時のもの。70年代前期の究極の映画哲学である。ナレーションを一旦終えれば、原さんが唄を唄いだす。
不思議な音楽劇がそこにはあった。スクリーンには映画について饒舌に語る22歳の天才映画青年が動いており、振り返れば、映写機の後ろで、60歳のもうあまり語らない原さんが唄っている。それは唄で過去の亡霊を呼び起こす古典的な音楽劇のようだった。
この時、私は様々なことを思ったのだけど、その一つに中条さんのことがあった。2004年、『中条省平は二度死ぬ!』(清流出版)というタイトルの本が刊行されている。内容は、中条少年が当時『季刊フィルム』で発表した原稿の中からセレクトされた4本の映画論と、批評活動再開後のゼロ年代になって書かれた映画評やマンガ評などを合わせたものだった。
中条さんは当時のテクストを書籍にすることを強く拒んでいたが、編集者の熱意に負けてこの形になったらしい。
「まえがき」にあたる文章には、こんな言葉が書かれている。「若くして試写室で映画を見るなどという毒に当てられたのだ。私は一度死んだのである」さりげなく筆を折った理由が記され、次に少年時代の批評が並び、その後に巧妙に力を抜いて書かれたゼロ年代の映画評が続く。
批評活動を止めていた中条さんは、80年代中期、中央公論社の雑誌『マリ・クレール・ジャポン』をきっかけにして映画評を再び書き始めた。鋭い映画評を何本も読んだ記憶があるが、この本では、力を抜き映画を楽しむテクストが目立つ。多分それは著者が仕組んだことなのだ。
『中条省平は二度死ぬ!』を読みながら、私はこう思った。あの『初国』の上映会が、饒舌な天才映画青年を呼び起こしていく音楽劇だとしたら、この書物は、突き詰めた顔の少年批評家を決して蘇らせないために仕組まれているようだと。
著者が何を怖れているのかは、あえて問わない。ただそのような不思議な書物があることを紹介しておきたい。
中条さんはこのような独特な映画批評家である。ならば翻訳家としては? たとえば『花のノートルダム』を開けば、ジュネの体感をぴったり包み込み動いていく蛇革のような言葉がそこにある。その日本語を体験していただければ、力量はすぐさま確認できることだろう。......そして、『恐るべき子供たち』を、また20歳の若さで死去したレイモンド・ラディゲのデビュー作『肉体の悪魔』を訳している。あのような少年期を過ごした人が。
さあ、今日は映画の話をしたので、渋谷のアップリンクでも行ってみよう。映画を見た後は一階のカフェでワインでも呑もうと思う。